🕊️ 「効いた」と分かる医療、「数字でしか見えない医療」

――最後は、自分で考えるしかない

 

医学論文検索には終わりがない。特にコロナに関しては、ワクチン関連、感染後の心血管イベント、超過死亡、副反応、有効性。世界中から次々と新しい論文が出てくる。

そのたびに、「こちらが正しい」「いや、こちらだ」とそれぞれの立場で議論し互いを論破、を繰り返している。

もちろん、それ自体は科学的検証であり、避けられない論議である。しかし、その様子を見ながら、私は以前から少し違うことを考えてきた。

 

医療には、大きく二種類あるのではないだろうか。

一つは、

誰が見ても効果が分かる医療。

例えば麻酔。

手術中、眠って痛みを感じない。

例えば抗生物質。

炎症が改善する。

例えば鎮痛薬。

痛みが実感として軽くなる。

あるいは麻疹ワクチンのように、
歴史の中で劇的に患者数や死亡者数が減少したもの。

 

もちろん、それらにも副作用や限界はある。
しかし、多くの医師や患者が日常診療の中で
「効く」という実感を共有している。

 

一方で、
統計でしか評価できない医療もある。
これは決して特殊な医療ではない。
降圧薬も、脂質異常症治療薬(スタチン)も、糖尿病治療も、多くのがん検診もそうである。
ある患者さんには大きな利益がある。一方で、別の患者さんにはほとんど利益がないこともある。だから、一人の患者さんだけを診ても、その効果は分かりにくい。
集団として解析して初めて、その有効性や安全性が見えてくる*。

 

効果は数%であることもある。
ある集団では利益が認められる。
一方で、別の集団では利益が小さいこともある。

相対リスクは下がる。
しかし絶対リスクは小さいこともある。
論文によって結論も少しずつ違う。だから次々に新しい論文が現れ、専門家同士の議論が終わらない。それは、その医療が悪いという意味ではない。
現代医療の多くが、そのような統計医学の上に成り立っているからである。

 

こうした医療では、最後に重要になるのは、「誰が正しいか」ではなく、自分がそのリスクと利益をどう考えるか。もちろん、その判断は、できるだけ信頼できる科学的根拠に基づくべきである。
年齢。持病。生活環境。感染リスク。価値観。人によって答えは変わる。だからこそ、国が一律に決めるものではなく、十分な情報を公開し、国民一人ひとりが考えられる環境を整えること。
私は、それが行政の役割だと思っている。

 

最近では、感染症だけではない。他の医療介入、経済、戦争、エネルギー、AI。どの分野でも専門家同士が激しく議論している。

科学とは本来、「私が正しい」を証明するものではない。
仮説を立て、それを検証し、必要なら修正する。
どこまで分かっていて、どこから先はまだ分からないのか。
それを少しずつ明らかにしていくことではないのか。

 

AI時代になった今、専門家を盲信する時代は終わりつつある。
だからといって、専門家を否定する時代でもない。一次資料を読み、異なる意見にも耳を傾け、最後は自分の頭で考える。
その姿勢こそが、これからの時代に最も求められる「科学リテラシー」であり、「統計リテラシー」なのだと、私は思う。

 

<脚注>
サロゲートエンドポイント(代替評価項目):医療では、血圧やLDLコレステロール、抗体価などの「途中の指標」で効果を評価することがある。しかし、患者さんにとって本当に重要なのは、その数字ではなく、「健康に長く生きられたか」「重い病気を防げたか」という最終的な結果(ハードエンドポイント)である。だからこそ、統計を読むときには、「何を指標として評価している研究なのか」を確認することも重要である。