🪴エトミデートとCBN

—「指定薬物」という言葉の違和感

 

以前このブログで、「ゾンビたばこ」とカンナビノイドについての文明論を書いた。今回はその続編である。懸念していたことが、少しずつ現実になり始めているからだ。

 

最近、「ゾンビたばこ」と呼ばれる薬物の摘発が若者の間で相次いでいる。電子タバコで吸引されることが多い薬物で、成分はエトミデート。本来は医療で麻酔導入に使われる鎮静薬だが、現在は指定薬物として規制されている。

吸引すると多幸感やふらつきが起こり、手足のけいれんや意識障害を引き起こすこともあるという。電子タバコの装置で簡単に吸引できるため、若者の間で広がりつつあり、捜査当局も警戒している。

 

昨年秋、沖縄を訪れた際、私はすでにこのエトミデートの話を耳にしていた。

「あの裏の公園で、そんな現場を見た。」

「ふらふら歩いている学生がいる。」

そんな情報が、現地の関係者の間でささやかれていた。

 

正直に言えば、その時点で私はこう思った。残念だが、これは時間の問題だろう、と。麻薬犬のような検知手段も効きにくい。電子タバコのカートリッジに入れてしまえば、外見ではほとんど判別できない。薬物の拡散は、いつの時代も似たような経路をたどる。まず特定の地域で広がり、やがて都市部へ流入する。

 

社会が問題に気づいたころには、すでにかなり広がっている。これは薬物政策に携わる者にとって、非常に厄介な現象である。もちろん、こうした物質を社会が規制すること自体に、私は異論はない。

 

エトミデートのように強い中枢作用を持ち、乱用されれば健康被害や事故につながる可能性がある物質。これを社会が規制することは、公共の安全の観点から当然の対応だろう。

しかし、このニュースを読みながら、私は別の言葉に引っかかった。

 

「指定薬物」という言葉である。

 

現在、カンナビノイドの一つであるCBNについても、指定薬物として扱うべきかどうかが議論されている。いや、答えはすでにほぼ決まっている。

先日、CBD関連の議員連盟の会合でもその話題が出た。しかし正直に言えば、議論を聞いていても、どこか腑に落ちない感覚が残った。

 

エトミデートのような危険ドラッグと、植物由来のカンナビノイドが、同じ「指定薬物」という箱の中で語られてしまう。これは本当に適切な整理なのだろうか。

 

私は医師として、国内外で長年カンナビノイド研究や臨床の現場に触れてきた。その経験から言えば、CBNを危険ドラッグと同じ文脈で扱う議論には強い違和感がある。カンナビノイドは植物由来の成分であり、医療や健康の分野で研究が続けられている。それも世界中でである。もちろん万能薬ではない。誇張された宣伝も存在する。だからこそ重要なのは、EBM、感情ではなく科学で評価することだ。

ところが日本では、薬物政策がしばしば「危険なものを止める制度」として作られてきた。

 

それ自体は間違いではない。社会を守るためのストッパーは必要だ。しかし現実は、人体のように、もう少し複雑である。

 

植物由来の成分。

医療としての利用。

嗜好としての文化。

そして、危険ドラッグ。

 

本来これらは、まったく異なる文脈で考えられるべきものだろう。制度としては一括管理が楽かもしれない。しかし科学や文化の視点から見れば、それは必ずしも整理された思想とは言えない。

 

この問題には、実は歴史的背景もある。日本の大麻政策は、1948年の大麻取締法から始まっている。当時の日本では、麻は繊維や神事にも使われる、比較的身近な植物だった。麻畑も日本のあちこちにみられた。しかし戦後、占領政策の中でアメリカ型の薬物規制が導入され、大麻草は「危険な薬物」というカテゴリーに入れられた。その結果、日本社会では長い間

 

「大麻=危険なもの」

 

というイメージが固定化されていくことになる。ところが現在、そのアメリカ自身が、カンナビノイドについてより冷静な評価へと舵を切り始めている。

世界では、CBDをはじめとするカンナビノイドについて、睡眠、疼痛、炎症、神経疾患などの領域で研究が進められている。

 

重要なのは、エビデンスを積み上げながら評価する姿勢である。

 

EBMに基づき、

効くものは評価し、

効かないものは排除する。

 

そうした科学的な態度が、少しずつ広がっている。

 

薬物政策とは、実はその社会の文明の成熟度を映す鏡でもある。恐怖で判断する社会もあるだろうし、利益で判断する社会もある。しかし本当に成熟した社会とは、恐怖でも利益でもなく、事実と理性で判断できる社会、なのではないだろうか。

 

エトミデートのニュースに心を痛めながら、私はそんなことを考えていた。危険な薬物は、きちんと取り締まる。しかし科学の議論は、科学として冷静に行う。その二つを混同しないこと。

それが、これからの薬物政策に必要な姿勢だと私は思う。

 

日本がその段階にたどり着く日は、いつ来るのだろうか。

静かに待つつもりはない。理性的な議論だけは、続けていきたい。