🍭二つの『政策キャンディ』に込められた“存在の耐えられない軽さ”を問う
──現金給付も減税も、「甘やかし」ではなく「根拠と構想」であってほしい
かつてミラン・クンデラの小説に、『存在の耐えられない軽さ』The Unbearable Lightness of Beingという名作があった。歴史のうねりと個人の内面が交差するなかで、「軽さ」というものの恐ろしさを描いた作品だ。
バブル時代に映画化され、かなりヒットしたので、私も映画館に足を運んだ記憶がある。
当時は、その哲学的な意味は正直よくわからなかった。
けれど、このタイトルの放つ強烈さは今でも覚えている。
そして今。
日本の政策をめぐる空気感に、その“耐えられない軽さ”を感じる瞬間がある。
ここ最近、立て続けに浮上した二つの政策提案。
ひとつは、自民党内で再び動き始めた「一律3~5万円の現金給付案」。
もうひとつは、国民民主党が提出した「30歳未満限定の若者減税法案」。
一見すると「別物」のようだが、根っこには共通点がある。
それは──
🔸 国民を“小手先の飴”で黙らせようとしていること
🔸 選挙前の“人気取りキャンディ”として提案されていること
この空気感に、私たちはもう“うんざり”していないだろうか?
🍭 “飴”に託された、説明なき軽さ
「とりあえず配ればいい」
「支持が集まりそうなところだけ、少し優遇すればいい」
……その姿勢の奥には、
国民を“駄々っ子”と見なしているかのような前提が見え隠れする。
「国民に説明しなくてもいい」
「数字も根拠も出さなくてもいい」
「雰囲気で“やった感”を出せば、一定の支持は得られるだろう」
──そんな“軽さ”が、政策の芯(現在病巣、🟥発動中)を空洞化させてはいないか。
🍬第一の飴:再び浮上「1人3~5万円の現金給付」
報道によれば、トランプ氏の関税政策発言での混乱、という“外的変数”に対する「物価高対策」として、自民党内からこの案が持ち上がったという。
しかし──そもそも論として問いたい。
「また現金給付?なぜ“今”、なぜ“その手段”?」
詳細は未定。対象も不明。財源も不明。
🟡「給付対象は日本国民のみ?外国人も含むの?」
🟡「財源は?税金?赤字国債?未来のツケ?」
…このあたりの説明すら“先送り”のまま、「とりあえず配る」モードに突入している。
経済のロジックも、政策の哲学も見当たらない。
物価高の構造は単一ではない:
🔸 円安
🔸 原材料・エネルギー高騰
🔸 人件費・物流コスト
🔸 国際関税(米政策の影響)
にもかかわらず、
「関税上がりそう → とりあえず現金配っとこ」
この“発想の雑さ”に、国民は静かに、しかし深く、失望している。
✋世界ではどうしているのか?
各国の物価対策を見てみよう。
🔹 アメリカ:
コロナ禍に限って一時的な“Stimulus Check(現金給付)”を実施。平時の一律給付は原則なし。
🔹 ヨーロッパ(独・仏・北欧):
• 消費税(VAT)の一時減税
• ガソリン・光熱費補助
• 所得層ターゲット型支援
🔹 韓国:
一部自治体で商品券の支給など。国家規模での現金一律給付は極めて限定的。
🔹 シンガポール:
国家黒字の一部を“国民配当”として還元。ただしこれは「物価対策」ではなく、「財政再分配の哲学」に基づく独自制度。
つまり、日本の「また現金ばら撒き案」は、ガラパゴス的かつ短期的な気休めであり、根本対策にはなっていない。
構造的な課題に向き合わなければ、同じ問題は何度でも繰り返される。
それはまるで、根本治療を避け、意味のない姑息療法(未価値な上に有害な処置)を繰り返すようなもの。
あるいは、長期的な評価もせず、有害リスクのあるワクチンを国家レベルで打ち続けるような行為に、どこか似ている。
• 輸入依存の経済構造
• 国産産業を守るビジョンの欠如
• 教育・医療・子育て制度の設計不在
こうした“下地”を整備しない限り、また同じような物価高が訪れたとき、
「また現金を配ろう」とする――そんな“お手軽ループ”に陥るのは目に見えている。
🍬第二の飴:「若者減税法案」に漂う、“パフォーマンス感”
そして、もう一つの“キャンディ”がこちら。
国民民主党が提出した「若者減税法案」──
就労する30歳未満の所得税・住民税を軽減しようというもの。
一見すると、長期的で前向きな支援に見えるが、実際には以下の課題がある:
🔸 “30歳未満”という線引きに、根拠が見当たらない
🔸 所得水準・家族構成・非正規雇用などの視点が抜け落ちている
🔸 若者支援の“ビジョン”が語られていない
たとえば、
「29歳11ヶ月の人は対象で、30歳1ヶ月の人は対象外?」(氷河期は永遠氷河期のままなんか!?)
その理由が説明できなければ、
これは「減税」ではなく「選挙パフォーマンス」に過ぎない。
🌍 世界の“若者支援”の基本は「育成」
ドイツでは、職業訓練と雇用をセットにした「デュアルシステム」。
北欧では、教育無償化+生活支援。
シンガポールでは、人的資本への国家的長期投資。
要するに──
“減税”はあくまで手段。
本当に必要なのは、「育成という目的」だ。
✍️「支援」という言葉に、ビジョンはあるか?
若者が直面しているのは、
• 社会保険料の不均衡
• 非正規や雇用の不安定さ
• 教育・住居・将来設計の困難さ
これらの課題を“見える化”し、制度的に支えることこそ、支援であるべき。
減税が必要なら、その「先」にある社会像──
どんな社会を目指し、どんな人生を応援するのか、まで語ってほしい。
🐣ぴよこは叫ぶ💢
「納税者をなめんといてや。
ワシら、“黙らすための飴”でごまかされへんのやで?🍭
ほんまにアカン時に備えておいてほしいのに、
今、ちょこっと配って“これでええやろ”って、何やねん!
若者の未来に、今の政治がツケを回してるだけやん。
その飴、あとで“税のムチ”になって返ってくるんちゃうか?!
頼むから、AIでシミュレーションしてから政策つくってくれ!!
「空気」じゃなくて「根拠」で語ってや!!💢」
現金給付も、若者減税も──
それがどれほど耳あたりの良い“支援”のかたちに見えたとしても、
「その先にどんな社会を描いているのか」が語られなければ、
私たちの未来とは結びついていかない。
支援とは、本来“手段”であって、
その目的には、明確な社会ビジョンが必要であるはずだ。
国民は、飴を与えれば黙る“駄々っ子”ではない。
むしろこの国の未来を、自らの手で考え、選び取りたいと願う“主体”なのだ。
今、必要とされているのは、
ばら撒きのような即効性ではなく──
育成と構想を見据えた、哲学あるデザインである。
