SNSの炎上とフランスの哲学教育、共通点は “マイナス点” だった!?

ー炎上は “偶然” じゃない? 思考の訓練がないと、踏むべくして地雷を踏む!

 

 

グアムでの献体ピース騒動は記憶に新しい。「なぜそんなことを?」と首をかしげる人、「軽率すぎる!」と憤る人、「アメリカなら問題なかったのでは?」と擁護する人。しかし、実際にはアメリカの方がこの手の問題には厳しい法律があるという話もある。

さらに、事態を収束させるどころか、総括院長の軽率な発言が火に油を注ぎ、献体拒否運動にまで発展してしまった。

 

つまり、今回の炎上の本質は 「何がリスクになるかを考えなかったこと」こそが、最大のリスク だったのではないか?

この構図、どこかで見たことがある気がしないだろうか。

 

フランスの「テストでマイナス点を取る」哲学教育

 

パリで暮らしていた頃、こんな話を聞いたことがある。

「お友達の息子、この前、哲学のテストで マイナス点 取ったらしいわよ」

「え? 白紙じゃなく、何か書いたほうがマイナスになるの?😳」

「そうなのよ。日本では考えられないでしょ?」

「深い…! もしかして、字がめちゃくちゃ汚かったとか?」

 

いや、そうではないらしい。

 

フランスの試験では、

🔸 白紙=0点(何もしなければ、何も起こらない)

🔸 中途半端な答え=マイナス点(日本では「何か書けば部分点がもらえる」と思いがちだが、考えが浅いと逆に評価が下がる!?)

 

つまり、 「何も書かない方がまだマシ」なこともある。

これ、まさに SNS時代の炎上リスク そのものではないだろうか。

 

「バカロレア(大学入試)の哲学試験」が示すもの

 

フランスの大学入試資格試験「バカロレア」の哲学科目では、こんな問題が出る。

🔸「政治は道徳に従うべきか?」

🔸「平和を望むことは正義を望むことと同じか?」

 

これに答えるには、倫理・歴史・哲学・政治… さまざまな角度から思考を巡らせなければならない。

そして、その「考え抜く姿勢」こそが SNS時代の発信にも求められる ものではないか。

 

「思いついたことをそのまま発信する」のではなく、

🔸 反論されたらどうする?

🔸 倫理的に問題はない?

🔸 文脈や立場を踏まえた発言か?

 

一度立ち止まって考えれば、「余計なマイナス点」を避けることができる。

 

日本の“黙る文化” vs. フランスの“考えて発言する文化”

 

日本では「炎上を避けるために黙る」のが無難とされがちだ。

一方、フランスでは 「喋るなら、ちゃんと考えろ」 が基本ルール。

適当に喋れば即マイナス点(=炎上)だが、考え抜いた発言ならば、多少の批判があっても次につながる。

 

今回の献体ピース事件は、まさに 「リスクとは何か?」を問う哲学の教材 のようなものだった。

SNSは一瞬で世界に発信できるが、それと同じスピードで火だるまにもなる。

この時代だからこそ、 フランスの哲学教育に学ぶ「考え抜く力」 が必要なのではないだろうか。

 

「黙る」のではなく、「発言するなら考え抜く」

 

要は、「炎上を恐れて黙る」のではなく、 発言するならプラス点を狙え! ということだ。

しっかり考えた上での発信ならば、社会にとって価値ある 突破口 になり得る。

 

そして、もし間違えたなら?

大切なのは、その時こそ 「考え抜いて」 訂正し、修正すること。

日本は「失言は即アウト」という風潮が強いが、本来、発言は「思考のプロセス」でもある。

だからこそ、「発言するなら考え抜く」ことが求められるのだ。

 

炎上を避けるために沈黙するのではなく、しっかりと 「考え抜いた発信で、社会に新たな視点をもたらす」。

それこそが、フランスの哲学教育が教えてくれる、本当の「発信のリスク管理」 なのではないだろうか。