去る6月2日に、慶應義塾大学医学部皮膚科学教室開設100年記念シンポジウムと祝賀会が、京王プラザホテルで盛大に催されました。

 

 

 

<皮膚科医学会を牽引する、慶應義塾大学医学部皮膚科教授であり、日本皮膚科学会理事長でもある天谷雅行先生>

 

わたくしは東京女子医大を卒業した直後に、慶應大学病院の皮膚科学教室に入局しました。慶應での研修医の修行は、今となっては貴重な宝物です。

空気を読むのが苦手だった私は、当時の教授である西川武二先生との面談で、「皮膚科学を志した動機」を尋ねられた際にこう答えました。

 

「それは、抗老化医学や美容に大変興味があり、将来的に皮膚科学的アプローチが大いに役立つと思ったからです」

 

今でこそ、美容皮膚や美容整形外科は人気ですが、40年近く前の昭和の時代では異例の発言でした。

西川先生はニヒルな微笑を浮かべてこうおっしゃいました。

 

「では、君の夢を叶えるためにも、ここでみっちりと皮膚病理を学んでもらおうじゃないか」

 

労働規制もなく、大変な研修医時代でしたが、あの経験が今では大変役立っています。特に病理をしっかり学んだことは、現在の美容医学関連の闇の問題を理解する上で重要でした。このあたりについては、また別の機会にお話ししたいと思います。

 

 

今から100年前というと、大正デモクラシーの最期、世界は第一次世界大戦前という不穏な時期でした。当時の日本はまだ近代化の途上であり、世界情勢も不安定でした。そのような時代に、慶應病院皮膚科学教室は発足しました。当時は「皮膚泌尿器科」として泌尿器科と一緒になっていたのです。会場で上映された100年の歩みの動画は素晴らしく、現在の慶應病院の全容や研究室をドローンで撮影した映像は感動的でした。

 

 

今回のシンポジウムで特筆すべきは、講演が全て英語で行われた点です。海外からの招聘講師も多かったためでしょうが、アカデミックの場で英語をスタンダードにすることの重要性を改めて感じました。隣国では既に高等教育から英語が取り入れられていることを考えると、我々も追随する必要があります。

 

スピーカーの先生方は皆、講演の締めくくりに「100年後の皮膚科学教室」について語りました。

このご時世、1年先でさえ世界が存在する保証さえないのに? 仮に世界が存続していたとしても、これからの10年は有史以来の2000年に匹敵すると考えている私には、100年予測は全く不可能(そもそもこの会場にいる誰もが生きていない)ですが、せっかくなので明るい未来を妄想したいものです。

 

<オーベンの田中勝先生>

 

今回の祝賀会では、大変お世話になった多くの先生方に久しぶりにお会いすることができました。わたくしはただ歳を重ねることだけで、大御所席の近くに座ることになりましたが、それではいけない。慶應の医局出身としての誇りを胸に、これからも研鑽を重ねていかなければと強く感じた次第です。

 

<若き血潮の合唱で大盛況にて閉会>