先だっての夜、神田明神での「能と古事記の夜」コンサートを鑑賞してまいりました。古典を新しい場に引き出して、それまで味わったことのない感覚の深みに気づかされることは昔から行われてきました。シェイクスピアの作品が紙の上の文字だけだったならば、どうでしょう? 演劇となり、オペラとなり、映画となる。媒体を変えることで五官のみならず、総合化された人間の感性で受けとめることができるようになったのではないでしょうか。

 

 

ただし、媒体を新しくすれば何でもいいわけではありません。能あるいは能楽は8世紀ころ中国からもたらされ、民間の笑劇と結びついて平安中期には猿楽という物真似や言葉遊びの寸劇となり、庶民の娯楽として次第に世間に浸透していったとされています。

 

 

猿楽が能楽に飛躍したのは室町期。観世(観阿弥・世阿弥)父子の登場からです。謡の曲調をポップスばりに曲舞(くせまい)といった新しい音楽にチェンジさせ、科白と物語が売りの猿楽を、格調ある優美な歌と舞を中心とした能楽に変革していったのです。安土桃山から江戸、天下静謐となって武家が政権のみならず芸術文化も持するようになると、能楽は必須の「武士の教養」となりました。

 

 

日本の中世から近世と、エリート層及びその次位に位置する中堅層の文化規範的役割を担ってきた能楽に、危機が訪れたのは敗戦とアメリカ文明の席捲でした。よぉーく考えてみれば、鎌倉時代からつい最近の無条件降伏までの750年間、日本の政治を握ってきたのは軍人であり武士であったと言っても過言ではありません。それが階段から転がり墜ちた。ついこの間まで生きてきた(敗戦時の軍国少年だった)父たちも極楽浄土に旅立ってしまいました。武士の教養を身につける熱意を持っている日本人は、蕭条無人(しょうじょうむにん)といっていいでしょう。

 

 

であったら、能楽は古事記を演ずるべきではないのかもしれません。衒わずいえば、二千年の日本の歴史。軍人政権の前は公家貴族政権だったのです。古事記が編纂されたのは712年、武士の文化が打倒した貴族文化を懐かしがってどうするというのでしょう。

 

 

文化は固有であり、文明は普遍と分類されます。アメリカ文化はアメリカの武力と物質力とアメリカン・ジョークが融合することで、世界をアメリカ文明に普遍化しました。いま、アメリカ文明は息切れしようとしています。これを融合化するチャンスは世界の個別文化に与えられたチャンスです。古いものが新しいものを取り込むことで、より新しく力強くなれる時代を手繰り寄せる。それでなくて、どうするというのですか!

 

(*)古事記の選択にはもう一つおもしろい着眼点がありますが、次の機会に譲ります。