みなとみらい駅からパシフィコ横浜に行く途中に、ドイツ18世紀文学運動“疾風怒涛 Sturum und Dyang”を代表する文豪シラーの言葉に接するチャンスがあります。彼はゲーテとともにこの運動―——自然と個性の尊重を謳って束縛する因習を排し、自然美の嘆賞と民謡への素朴な愛、人間感情の本然の発露を提唱しました。私事ながら現在出版準備中の書籍がありまして、その中で表現した「植物を育てる美学」と相通ずるところがあり、わが意を得たりの喜びを感じました。

 

 お馴染み、学会会場のパシフィコ横浜。

 

 かつて学会といえば、いろいろな先生方にお会いしてバタバタしていたものでした。今回はそんなご挨拶の場がずいぶん少なくなったように感じました。コロナ明けすぐだったことや、台風2号からの大雨のせいもあったとは思いますが、理由はそんなことではなく、世代交替の節目となってきたからなのでしょう。お世話になった先生方の多くが、すでにレジェンドになってしまわれたのです。

 私が母校である東京女子医科大学を飛び出して、慶應義塾大学医学部の皮膚科に入局させていただいたのが1989年のことです。それから臨床の基礎を、私なりにみっちり学ばせていただきました。いま思えば、大学病院と市中病院の双方で鍛えられたのは、わが身のために本当にありがたい経験でした。時代はバブルの爛熟期、ヤンチャで遊び盛りの歳ごろでした笑い泣き。先輩の先生方には眉を顰めてびっくりされた場面もあったかと思います。その当時は雲水の修行三昧のように厳しく辛く感じましたが、もう今となっては感謝でしかありません。

 

・美容をやりたいのなら、だからこその病理、基礎の皮膚科をみっちりやれ。

・悪性病変、兆候を見逃すな。

・そのためにも専門医はとったほうがいい。

・患者の前では、自分の機嫌の良し悪しを出すな。

・皮膚科だからこそ、見えるものだけではなく見えない病変を探れ。

 

 コロナ禍になっての帰国して3年。ベタで臨床に復帰することになったのですが、流石に知識のアップデートは必要でしたが、皮膚科医に限らず広く医師としての心根みたいなものを打ち込まれていましたので、いろんな誘惑(?)にも乗らず、道を間違えないで済んだかなと思っています———心からの感謝を込めて。

 

 慶應義塾大学研修医時代にお世話になった皮膚科教授の西川武二先生。「先生、お顔が半分しか...」。真ん中は久留米大学名誉教授の橋本隆先生。

 

 東京女子医科大学名誉教授の川島眞先生。互いに「あれー??なんか前よりお若くなってませんか?」「そりゃーもう、色々してますもん」。

 

 研修医時代のオーベン。相変わらずガジェット&マシーン系大好き、東京女子医科大学東医療センター教授の田中勝先生です。

 

 元気?偉くなっちゃって!~詐欺写真で撮るよー。このレベルで会話できる同窓生は宝です。聖母病院の小林里実先生。

 

<おまけ>