時代の先読みというか、先走りが好きなのがDr.MANAの身上かもしれないと思うのですが、最近“フェムテック”という商品やサービス、あるいはそうしたコトバが世の中に出回っています。検索サイトでググってみるとFem TechFemale Technologyの略称。これは女性のための技術というよりも、女性のライフステージにおける、生理・月経、妊活・妊孕(にんよう)性、妊娠・産後、プレ更年期・更年期など、intimacyな状態におけるclose on skin商品市場を指すらしく、2025年までには前途洋々の5兆円規模になるとか。



 

でも、私がFem Techを耳にしたのは二十歳(はたち)のころ。もう40年ほども昔のことになります。お酒を飲み始めると、カクテルやワインからお酒。飲んでおしゃべりする楽しさが嬉しくなり、つい“酒飲み”になってしまいます。誘われて学生日本酒研究会というサークルに入っていた時期がありました。東大早慶上智に津田フェリスなど、酒飲みらしくユニークでおもしろいメンバーは、笑いありジョークありで楽しいものでした。活動のバックにはメーカーの全国団体がいて、利き酒コンテストや酒蔵見学もでき、知らないない世界を覗く好奇心も満たせるのです。バブルがやって来る前のいい時代でした。その全国組織の事務局を担当していたのが、飯田橋にあった「フェムテック」という会社でした。

 東大やお茶大卒の30歳頃合い、チャキチャキのリケジョたちが集まってつくった、できたてホヤホヤの会社です。リケジョというコトバもなく、理工科系の研究も製造も男性だけのフィールドだった時代。女性の存在は稀もまれ、女工哀史ではありませんが末端の単純作業や現場の手伝い、それに飯場には飯炊き女(?)。そんなものだったと思われます。気が遠くなるような遠い歳月を経た話の気がします。



 

  彼女たちはその現実に挑んでいたのです。若い女性たちの気宇は大きかったのです。

 

Fem Tech ――「女性が構想して創りあげる科学技術」の先駆けとして! それでこそ、当時の世界中を探してもなかった会社名を名乗る、自負であり誇りだったと思われます。風通しのいいオフィスでした。現役の学生がたくさん出入りし、夜となっては近くの居酒屋で談論風発。東大運動会(他校の体育会)の連中や慶應広告研の輩が、彼女たちに日本酒研究会事務局の設置も頼んだようです。

 しかしながら、時代の風は順風満帆ではありませんでした。創業されて40年。企業を大きく育て発展させることは必ずしも容易ではなかったようです。一般に理知的な女性は意外とモテます。一緒に始めた仲間たちが35歳ともなると、ほっとけない男性たちから求婚されて辞めていった例も多かったとか。飯田橋Fem Techも少し時期が早すぎたのでしょうか。いや、それは世界第120位の女性進出後進国たるニッポンのオトコたち、そしてオンナたちの責任なのです。





 ”Fem Tech”を、生理の布ナプキン・吸水パンツ・膣トレあるいは市民権を得たオトナのオモチャに矮小化していいものでしょうか? フェムケアまで拡大解釈していいとしても、女性の根源的な問題にきちんとアプローチしているとは思えません。

 女性のための技術が要らないとは言っていません。だが、本当に必要なものは「女性による“すべての人のための技術”」と、「株式会社フェムテック創業者 」である神保紀子さんは言っています。