パリで美容&恋愛セミナーを開いていたころ、なにが違うのだろうと思ったことがありました。




————女性の美しさ、日本では桜にたとえることが多いのに、フランスはどうしても薔薇です。同じバラ科の花なのに、桜と薔薇では花の性格がまるで違うのです。




薔薇は香水を連想するように、色よりも香りが周囲を圧倒します。さらに一本でも咲き誇る、独立不羈(ふき)の堂々としたところがあり、だからこそ棘という武器を持っています。その性格を描くとすると、絢爛たる美貌を誇りつつ容易に男性に靡(なび)かない、それでいて情熱的な女性を彷彿とさせます。ツンデレのデレは彼にしか見せない、艶やかな原色の彩りのイメージです。


 これに対して桜。桜も香水になっていますが、周りを威圧するものではなく、ふんわりとやさしく包みこむような繊細さがあります。一輪の花も可憐ですが、桜は春の青空いっぱいに咲き誇ってこそ美しいものです。冬は生物にとって死の季節、それを過ぎての春は光あふれ、草木萌え出だす歓喜の季節です。




 咲き誇り、そして散る。散るは花吹雪ではなく、ハラハラと。散る花びらに自らが同化すれば、半透膜を通して内と外の境界が曖昧になって、美しさを頒け合い感じ合って溶けこんでいくのです。観る人も見られる花も、観られる人も見る花も、同じ地平の美しさに渾然一体となっていく。桜に陶然となるって、そういうことですよね。




 「桜の樹の下には屍体が埋まっている」という人口に膾炙したフレーズ。梶井基次郎の小説『桜の樹の下には』の言葉です。満開の桜の美しさに遭遇すれば、誰だって「樹の下に何かが埋まってなければ、これだけの爛漫、これだけの豪奢(ごうしゃ)な景色を見ることができるはずはない」と思うに決まっています。日本人の神観念といわれるアニミズム(animism:精霊信仰)がもたらしたものかもしれません。



 

清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢う人 みなうつくしき

 

 まさしく、その通りではありませんか。

桜の花芽は夏にできて休眠し、冬の鋭い寒さで目を覚まして、春の温もりとともに花開きます。そして花芯が朱く染まると同時に散っていく…。林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と詠いました。だけど、これからの女性たちは元気よく美しさを謳歌していくことができます。薔薇であろうと、桜であろうと、ご自分の選択によって。がんばりましょう!