わたくしにとって、ここ数年さまざまな出来事に遭遇して、年々歳々新しく生まれ変わったような錯覚に陥っています。去年の変化も激動と呼んでもいいほどでした。この歳となって、小娘が思春期を迎えたような新鮮な驚きを体験するなんて、本当にありがたいことと感謝しています。

 年末から年始、列島はこの冬一番の寒波に襲われました。北国や日本海側の暴風雪の難儀は格別だったと思われます。そうなると関東地方は空っ風の青天続き。でも空を見上げれば、ビュウビウと音を立てて風が通り過ぎていきます。

句集をめくると、この句が目に飛びこんできました。

 

元日や はげしき風も いさぎよき

 

 いまのわたくしの気持ちに、寄り添ってくれるような俳句です。

「元日なのに、いや元日だからこそ、空を奔る激風が、私には潔いと見えるのです」といった感じでしょうか。



 

 現代の日本人にとって、昔の人の感性がわかるのは鎌倉時代以降ではないかと、一般に言われています。それまでは天皇・豪族・貴族といったごく一部の人間たちの記述はあっても、世の中にいる圧倒的多数の庶民たちが、どんな感情で生きていたのか皆目わからなかったのです。光源氏がなぜ、あれもこれもと女性と性をともにするのか、生活実感としてよくわからない。そうではありませんか?

 人々の美意識が見えてくるのは「命惜しむな、名こそ惜しめ」の鎌倉時代からです。美意識の裏には欲や願望への執着があります。カッコいいばかりではありません。しかし庶民だって御恩と奉公だけでなく、思いやりも慈悲もありました。それが、感情の激しさに、そして潔さに結果することを、私たちは理解できます。



 

 句の作者は日野草城(19011956)。若いころは女性のエロスを主題とした句や無季俳句をよく作り、病を得て静謐な詩情となったとあります。肺結核で54歳死去しましたが、33歳のとき、新婚初夜をモチーフとしたフィクションの『ミヤコホテル連句』は、俳壇に大騒動を巻き起こしました。すごく興味をもちましたので、これから勉強してみます。その連句から2首。

 

 夜半(よは)の春 なほ処女(をとめ)なる 妻()と居りぬ

 

 薔薇匂ふ はじめての夜の しらみつつ