時雨の季節

 

 今年の立冬は11月7日でした。時雨(しぐれ)の季節です。辞書の時雨は「秋の末から冬の初め頃に、降ったりやんだりする雨」ですが、歳時記ではあくまでも冬。春や晩秋に降る時雨らしきものは、春時雨秋時雨といって区別します。

 初時雨は、その冬初めての時雨。冬になったという侘しさがこもる季語です。時雨は盆地の風景に似合います。日本には“雨にまつわる言葉”が200存在するとかしないとか。しぐれ、なんとpoésieなことばではありませんか。
 

 時雨といえば初しぐれ。芭蕉が詠んだ初しぐれの二句です。

   旅人と我名よばれん初しぐれ

   初時雨猿も小蓑をほしげなり

 「旅人…」の句は、貞享4年(1687)『笈の小文』の旅へ発つ前(1011日)、門人宝井其角亭での餞別句会での作。実際の出立は1025日でしたから、初しぐれを詠むには遅すぎますが、句会では旅立ちの思いを述べたのでしょう。芭蕉は44歳。

 「初時雨…」の方は、元禄2年(1689)9月下旬鈴鹿から伊賀越えの山中での作。この春の3月27日、江戸千住宿を出発して『奥の細道』の旅に向かい、奥羽北陸を経て821日ころ大垣に到着して細道の旅を終えました。そのひと月余り後、故郷伊賀上野に立寄る前のことです。冬を告げる初時雨が降ってきました。芭蕉は小蓑を腰に巻きます、頭上にいる猿がもの欲しそうにそれを見ています。このときが46歳。5年後の元禄7(1694)1012日、松尾芭蕉は大坂南御堂花屋仁右衛門宅にて亡くなります。享年51

 


さんさ時雨のこと  


 時雨で思い出しました。『さんさ時雨』という民謡があります。旧仙台藩伊達領であった宮城県及び岩手県一関水沢地方、他藩ながら福島県北部会津や山形県米沢地方で行われている(家普請や婚礼における)祝い唄となっています。


 曲名や歌詞の「さんさ」は時雨の降る音“サッサ”の擬音語と言われます。唄の起源も、伊達政宗が天正17(1589)6月5日の磐梯山麓摺上原(すりあげはら)の戦いで蘆名義弘(あしなよしひろ)を撃破した凱旋の歌と称されています。時雨のオノマトペはともかく、唄の発祥は文化文政の頃に吉原で流行った情歌の一種。それが江戸土産で諸国に伝播していったのではないでしょうか。そうでなければ、仙台に限らず会津や米沢でも歌われている理由が説明できません。それでもこの唄、かつての伊達領内では「君が代」と別称されたように、必ず祝宴の冒頭に参加者全員が正座して手拍子をうち(後述の)三幅一対を斉唱する決まりになっていたそうです。疎かにできない唄でした、それは今も変わらないのでしょうか?(つづく)