塩谷先生との対談。万年少年少女の投影!(
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 おかげさまで、アンチエイジングネットワーク zoom 版塩谷塾2020年度最終回 は、「」のタイトルで11月20日、グランドフィナーレを迎えることができました。

前半を塩谷信幸先生、後半を私Dr.MANAが担当し、締めくくりはご参加の皆さんからの質疑応答という弾丸トーク120分でした。

 私は「人間を分類すれば男と女に分かたれる」といった神話的二元論ではなく、連続した存在として—―生物学や発生学だけでなく精神論も含めて――科学として疑う余地なく受け容れてきました。しかしながら、その連続性がA点を混じりっ気のない男、B点を混じりっ気のない女とした、線分ABといった見方でいいのだろうか? かねがね首を傾げていたのです。どうにも座りが悪い。AからBに行くにつれてジワジワと女っぽくなる、あるいはその逆。Aが共和党の赤でBは民主党の青、中間点は紫になる。アメリカ大統領選挙開票状況とではありません。

 今回の「男と女」についての対談あるいは討論において、最後に取り上げられたのが塩谷先生の「川端康成は女である」という理論だったのですが、今になって頭の中で反芻してみると一つのイメージが浮かんできました。

どうもこうだったのではないか。長年のモヤモヤが消えつつあります。インスパイアした情景をご説明してみたいと思います。



 

男と女は円環構造による連続性をもつ存在である

 

 私は俗にいう男脳タイプですが――(気質的に男と女の脳の違いはないことは承知していますが、ここでは便宜的に説明に使わせてください)、だからといっていつも男っぽいわけではありません。われながら恥ずかしいほど女々しくなることもあります。ふだん中性的というより女オンナ男性だって、時と場合によってはとても男らしくなる時もあり、そんな場面に遭遇すると大変困惑します。――だけどよく考えれば、そんなこと人間だったら当たり前のことです。

 ヒト以外の哺乳類がどうかは(心が読めないので)よくわかりませんが、少なくとも人間である男と女が場面状況によって変態(様変わり)することは、人間ならではエビデンスではないでしょうか

連続性の円環構造である故に君子豹変できるともいえます。あるいはカオス、仏教の法輪また曼荼羅的な深みがあります。宇宙自体がループであり螺旋の構造とも言えますし、女と男の連続性もひょっとしたらメビウスの輪かもしれません。

考えてみませんか、ご自分の中に持つ精神の小宇宙。ちょっと覗いてみましょう。