1

前半はこちらです。(→

ステップファミリーの女性

 ステップファミリーは(法的婚姻は別として役割的呼称として)夫と妻及びと子によって構成されています。子どもの思春期以降にはいろんなことがあるとしても、一般的に被害者とされる場合はあっても問題の当事者ではありません。旧弊な家族観がなくなったのですから、夫妻の実家や親戚も無関係と言っていいでしょう。

 それでも女性への抑圧はまだ残っています。一方的な差別というより、アンコンシャス・バイアスとして世間や男性に迎合する女性自身、それを当然視している執拗な旧社会の残滓として。結果はステップファミリーにおける妻(同棲する女性側)に、葛藤と矛盾が集約されることとなります。

 SNSあるいはWEBなどを眺めると、様々なストレスが訴えられています。----相手の連れ子への愛情が湧かない。/継子の実母や親族との関係性。/子どもの躾について意見が合わない。/それぞれの家族の習慣の相違への戸惑い。/世間や周囲に対する正直に説明できないもどかしさ。/家族のまとまりが希薄である。/親や親戚への対応がわからない。/結婚しただけで子は相手の子にならないので養子縁組問題。/家族が多くなって増えた家事育児の負担。/パートナーの無理解、など。

 フランスの家庭人となった友人に訊くと、夫妻のどちらであれ実子と継子への愛情の差はないと断言します。よもや「血の繋がった子の方が可愛いのは当たり前でしょ?」などと公言したおりには、「人間失格」レベルの冷ややかな視線を周囲から浴びせられることでしょう。血縁によって愛情に差をつける儒教倫理と、神の前の平等を説くキリスト教道徳の違いなのでしょうか。

 欧米社会におけるタテマエとホンネの甚だしさは身に沁みています。例えば「レイシスト」、このレッテルを貼られたら、誰もが自分の人生が終わることを知っています。Racistとは人種差別主義者のことです。では、なぜ人種差別はなくならないの?――ニューヨークに長年暮している友人は「ここは人種ではなく人種差別の坩堝なのさ」と苦々しく吐き捨てました。一筋も二筋もいかないのが欧米社会なのでしょう。

 

女性の覚悟

 問題はどこにあるのでしょう? 「血の繋がった子が可愛いのは当然」、「シングルマザーも女として性愛を求める権利がある」、「就業に不利益のある子持ち女性が生計の安定を求めたらいけないのか」。――私はすべてを肯定します。しかし、その前に考えることがあるはずです。

 人生相談みたいなWEBとかで、新しい男性と結婚するに際して「あなたとの子は産めない、なぜなら元夫との子が不憫になるから。それでもいいなら結婚する」と条件をつけろと勧めていました。こうなると、新しい夫はセフレのミツグ君(言葉のシーラカンス!)でしかありません。いくら子どもがかわいいか知れませんが、開いた口が塞がりません。

 もちろん、ステップファミリーのほとんどは、連れ子の虐待死やセクハラに無縁です。ごくごく一部における事件があまりに惨いことで、すべてが色眼鏡で見られることは途上国的に過ぎるとは思います。

 日本のシングルマザー状況はたしかに酷い、なにより社会の成熟が必要です。それまでの間は児相のような公権力の積極的介入も止むを得ないと思います。児相はまだ自らの目的と任務への自覚足りません、期待はしませんが奮起を望みます。

 

 公の機関への叱咤激励みたいな迂遠なことより、手っ取り早く簡便に、すべてを解決できる鍵があります。それがなによりも大切なことです。しかも当事者は気づいていないようなのです。

 日本のステップファミリー問題の解決には、社会の成熟を待たなければならないと述べました。根本的には人々の意識の変革が必要です。欧米先進国がこの問題をクリアに解決しているとは思っていません。それでも「ホンネをこもごも漏らす社会」と「モラルがホンネの表現をさせない社会」とでは、どちらが人間の差別に真摯に向き合っていると思われますか? だから、せめて先進国なみの成熟が欲しいのです。

 

 冒頭に述べた、もっとも悲惨な状況を回避する鍵は実はシンプルです。当事者であるステップファミリーの妻が――さらに具体的にはステップファミリーを選択しようとするシングルマザーが、“覚悟”すればいいだけです。ステップファミリーの矛盾もストレスも、すべての問題が究極として、もっとも弱い環である当事者の女性に集中しています。だからこそ女性が覚悟すれば弱い環は強い環となり、強靭な連結器に転化します。ラグビーのスクラムで組み合うことをバインディングと言いますが、相互を結びつける力が強いほど全体は堅固な一塊(ひとかたまり)なって強さを発揮します。

 覚悟とは「今からステップファミリーを構築すること」であり、子どもが可愛いのは当然なのだから「血が繋がろうと否とを問わず幼い命を守り抜くこと」であり、女として性愛を求める権利があり、また家族の生計安定に努力する義務もあるのだから「安逸に流れず勤労に励むこと」なのです。さらに、家族となる男性に対して覚悟を要求することも忘れてはなりません。ともに家族を作り上げ、ともに幼い命を守り、ともに豊かな家庭を築いていく、その覚悟。「覚悟しなかったら、あんた覚悟しなさいよ」なのです。

 いくつかの事件では、手が差し伸べられていたのに偶然の幸運を願って最悪の事態となった例もありました。命の火が尽きるまでに、いくらでも逃げることができ、救いを求めることはできたはずなのです。覚悟さえあれば、意思決定をした当事者である自らとパートナーはどうなっても、innocent(無垢)な命とその未来だけは毀損しないものなのです。

 

 社会が変わるには時間が必要でしょう。しかし血が繋がっていなくとも、縁あって親となり子となってくれたのです。人の子の親であり、人の親の子ではありませんか。人として愛し、人として慈しむのも覚悟です。

 人間とはそういうものとして生まれ、大きくなってきたことを忘れてはいけないことなのでしょうね。