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 TV映像は、炎上するノートルダム大聖堂の“いま”を映していた。猛火に焼かれる聖堂、懸命な消火活動、参集して祈る信徒たちの讃美歌。入り混じり錯綜する喧噪と騒音が襲ってきた――リアルでなくとも、たしかにわたくしの耳には聞こえたのだ。「メメントモリ」というコトバとともに。

memento mori――“死を忘るるなかれ”。人は必ず死ぬ、命あるものは必ず死に至る。人がつくったものもいつかは無くなってしまうのだ、と。


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以上の五つのイメージは旧くからの友人であり著名なパリ在住カメラマン、神戸シュンさんから頂戴した、貴重な時系列画像。


 数年前まで、わたくしはノートルダムの左岸わずか3分ほどのカルチェラタンに住まっていた。ノートルダムの鐘の輪唱に歴史の響きを聞いて住まいを決めたのだった。鐘の音は美しく異邦人で異教徒の心にも優しく響いた。15年間の朝な夕な日常性の中に組み込まれて暮らしたせいかもしれない。ノートルダムが焼亡せんと身もだえる光景は信じられなかった。永遠なるものが潰えていく、その悲しみが「死」を思わせたのであろう。

フランスの文化の象徴が崩れていく。重厚な石造りのゴチック建築が壊れていく。たかが850年ほどの建築物といっても、人間の一生に比べれば遥か遼遠である。昨日あったものが、今日もそのままある。その繰り返しによる惰性は、ほぼ永遠という感覚に、人を陥れてしまうということなのか。


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 永遠という感覚――生まれる遥か以前より存在し、自分の死後も続いていくもの。少なくとも自分が生きている間は変わりっこないもの。大地が揺動することのない強固で平坦な地盤、いくたびかの戦争にも生き延び、第三帝国の魔の手からも守られ“永遠の都”だった。そう信じていたものが轟々と燃え、あっという間にあっけなく崩壊した――変哲もない普通の日の夕から夜半にかけて。


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 諸行無常、無常迅速なのである。それが我々東洋人のコモンセンス、西洋人はそうではないのだろうか? ラテン語であるメメントモリの警句は、古代ローマでは「だから生きているうちに存分に楽しめ」という意味に使われた。だが、中世以降のキリスト教信仰の深化は、現世よりも死後の「神の千年王国」を頼むようになって「諸行無常」との大きな差異はなくなっている。実際に物質的喪失への心的ロスはそれほどでもない。朽ち果てる美しさへの感性さえある。だけど、今回はすこし様子がおかしい。

 事故から数日も経たず、世界の有名富裕ブランドが次々に手を挙げて、瞬く間に巨額の資金が集中した。マクロン大統領は得々となって「5年で再建させる」と豪語する――なんたる傲慢であろう。


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 わたくしは欧州の文化、ことにフランスの成熟した文化に長い間接触した結果として、重厚で柔らかな主体とやさしく奥行きのある思いやりに感心した。淘汰された人間文明の歴史に敬意を払うようになった。そうだ、わたくしは「フランス贔屓」なのである。

しかし、今回は今のところ、ちょっとフランス的とは思えない。5年で再建するのは、2024年パリのオリンピックに間に合うためなのだろう。22年には大統領選挙もある。そんなに急いでなんとする? モダンアートのハイブリッド、金属とプラスチックで大聖堂をキンキラキンにするつもりか、“現代芸術と技術の融合”とか唱えて。金と権力で強引に文化を蹂躙し、文明を破壊することを辞さないのだろうか。

ジレジョーヌのムーヴメントはなお終息していない。それどころか野火となってふつふつと燃え広がっている。1968年の五月革命はエリート層における世代間闘争であったといわれる。だが、ジレジョーヌは都市と地方の角逐であり、エリート層に対する中下流層の不満の爆発(=政治経済委任の撤回)と捉えられている。

ノートルダムの復興は国民イッシューである。国民的合意のない、今までのような偏差値エリートと富裕層の好き勝手路線での“再建”は、復活にも創造にも値しないキメラとなってしまうであろう。カルロス・ゴーンの二の舞、盛者必衰の理である。それでフランスはいいのか。


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 材料の木々を世界中の森に探し、見つけ出して伐採し、それを自然乾燥させるだけで何十年もかかる。かかる時間が“豊か”であることが文化なのである。わたくしたちが生きているかどうか、論ずることではない。脳裏に焼き付いている美しさが再現されなくても、同世代が共有できる記憶であり、かつ感情たりうる。喪失感ある美を目にすることも、世代の幸運といっていい。どちらの美の次元を好とするかは主観。完成を見ず、次世代または次々世代へのバトンを託していく。それこそがロマンとなる。


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物や建築物、絵画や音楽の作品が文化なのではない。それらは偉大なる先人の生産物ではあるが、文化の本質はそれらを創ったのが生身の人間であったという事実である。時代の美しさを絶えさせることなく、次に託し、継続していくことが文明となっていく。

 
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 ノートルダムの喪ってしまった美しさが辛いのではない。フランスの文化が揺れ動こうとしている危うさ――フランスならではのエスプリによる文化と哲学が、凡庸な世界一般に変質しようとすることが悲しいのである。
 瓦礫の中に輝く十字架—パンドラの箱の最後に残ったものにまだなお期待したい自分がいる。