凛とした風はシバれて凍てこちることなのですが、それがなんで“カッコいい”ことになるのでしょう? 母方の実家は民話で有名な遠野にほど近い、山麓の谷間の村里でした。冬の夜、かすかな家々の灯を笑うかのようには空いっぱいの星がギラギラと煌めき、それは天上の楽園からの明かりとともに、ものみな凍らせる風をも吹き降ろす無数のはけ口でもあったのです。月が凛と煌めく極寒の夜には美しい雪女が現れ、子どもたちを連れ出すとも。母からそんな話を聞くたびに、幼い私は布団の中で身震いしたことを覚えています。

 


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 遠野三山の一つ早池峰山の山頂近くには、日本でここだけに自生するハヤチネウスユキソウのお花畑があります。アルプスに咲くエーデルワイスの近親種で、日本のエーデルワイスといわれています。深い雪の下で春を待ち、ようやく雪が溶けた盛夏となるとお花畑は白い可憐がいっぱいになります。エーデルワイスは“凛とした女性”のイメージにぴったりです。また、東北の片田舎にあって女性の自立を目指し、刻苦勉励上京して職業婦人となった母の人生とも重なるように思います。

  

 しかし、エーデルワイスは“逆境に耐えたからこそ”美しいのでしょうか? 私はそうは思いません。凛とした女性と早池峰薄雪草に共通するものがあるとすれば、逆境に立ち向かい、それを克服したことです。立ち向かう勇気と目的を果たす力。“おしん”の偉さは忍苦ではありません。堪えてばかりいて美しく咲けるはずもないのです。