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先だって出張したパリの街角で、元気が出そうなネタを拾いました。

ペイTV局の一つCanal+(キャナルプリュス)――フランス人はもっぱらメディアを信じませんが、この局は時に見る価値のあるニュースを流してまだマシという――放送局が、世界を席巻する#MeTooにタイアップした、映画とドキュメンタリーの大特集を放映するというのです。

 

キャナルは「私たちはHOLLYWOODの末尾に"E"を付加します」と宣言します。フランス語の名詞は男性形か女性形に分けられますが、女性名詞の掉尾はほぼ“e”で飾られています。だから、「MeTooムーブメントによって盛り上がっている映画の都Hollywoodに“e”をプラスして、今もっとも輝いている《素晴らしい女性達》を讃えるべきなのです」と続けます。

 「キャナルプリュスは、今後数週間にわたって映画11本とドキュメンタリー2本を放映して、2017年にHollywoodeを揺さぶった大事件をアナライズします。幕開けはもちろん、世界的大成功を収めたパティ・ジェンキンス監督の映画WONDER WOMAN。エポック・メイキングなだけでなく、監督と主演のガル・ガドットはあまたの批判を跳ね飛ばして、世界中の称賛と喝采を浴びました。ドキュメンタリでは、2013年のレイプや2004年のフェラシオン事件で訴えられているハーヴェイ・ワインスタインについても取り上げられます。

WONDER WOMAN』における女性監督初の世界的な勝利と、ワインスタインのセクハラ事件。映画業界—Hollywoodeにおける陽と陰の二つの大事件が契機となって、Hollywoodeはこれから加速度的に女性のものとなっていくのです」と。

 

ハリウッドが「映画の都から女の都に」変わっちゃうとしたら愉快ですね。女性を讃え、応援するためにこれからはハリウッドにeをつける。女性名詞とするなんて、フランスのオシャレ心に小さく拍手しておきましょう。映画文化も女性があってこそ、ヒロインだけの話ではなく、底辺を支えていた女性群像なくて何ができたと言っていいのです。

 

 そんな感慨で悦に入っていたら、飛び込んできたニュース

アメリカ・カリフォルニア州のベタルマ高校の卒業式で、卒業生総代ルラブル・サイツさん(17)のスピーチマイクが切られるという事件が勃発しました。彼女は1年ほど前に同級生から性的暴行を受け、学校当局に訴えたのですが黙殺されたのです。そのことを黙らされたまま学校を去ることは、後からの生徒たちにとっても耐え難い結果をもたらすと、彼女は勇気をふりしぼった告発を行ったのです。

6月2日の卒業式、お祝いのセレモニーの場なのに? 場を弁(わきま)えるべき? ではありません。そこしかない、聞いてもらえなかった被害者の訴え。なかったことにすることは、弱者を抹殺する強者の身勝手がまかり通るだけで、まったく正義に反します。結果は事なかれ主義の学校側の妨害で、逆に世界中に拡散して結果オーライとなりました。

17歳のサイツさんの勇気は立派です。私が彼女の立場だったらできただろうか?(総代に選ばれないのは措くとして)やっぱり無理だろうな、と思います。You tube映像を見て確信しました。強さは美しさとなる、ワンダーウーマンの生まれ故郷だけのことはあります。

 

 それから言えば、フランスの女性名詞化スローガンなんて甘すぎますね。Parisに“e”が付いてPariseになったって、「エスプリだわ」なんてこともない。海の向こうから高みの見物をしているだけです。

名詞に女性名詞や男性名詞があること自体、よく考えてみれば不自由です。名詞の性別なんかなくても、面倒をそぎ落として単純化した言語によって、グローバリズムを制覇した国民ですもの。身体張って頑張っている新大陸は違うようです。

私は、サイツさんの勇気を「ウーマンパワーの攻勢」とだけ見てはいけないと思います。弱き者が立ち上がってこその強さは、忍苦の重みがゆえに強靭となります。その気概、そこには男も女もありません。


 それから……。そのフランスにさえはるか及ばず、今年になって火がついた韓国の#MeTooの後塵すら拝めず、ひとりぼっちのニッポン。

「辺境は変革の原動力となる」と聞きますが、さていつの日なのか。猛省しきりです。