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 今回は連載中のオンライン記事用に書いたフランス映画、
ELLEの評論のつづきです。世の中には作法というものがあり、ことにメディアどうしには色々な作法が厳存しています。そのひとつに「映画評論の作法」があり、私も「真犯人はバラさない」程度は気を配っていたのです。けれど、もっと細やかな気遣いが必要であったのです。ここでは私の空間としてお話ししますので、その違いをおもしろく感じていただければ嬉しいです。なお、ELLEとは英語のSHE、日本語の彼女です。

 先にこちらをご覧ください。→

 

冒頭のレイプシーンの打撃音や破壊音の連続はビクッとしますが、これは監督が狙った「つかみ」。それ以上の心臓に悪い場面はほぼありません。ヒロインの父が連続殺人犯の終身服役囚であることとラスト近くの事件以外は、ほぼ平凡な市民生活の枠内で終始して、面倒な哲学もなくフランス映画にしてはわかりやすいストーリーと思えました。

 

 エロティック・サスペンスという惹句に、当然の湧き起こる期待は少しくガッカリされると思います。64歳の体型とは思えないイザベルは奮闘しますが、絡みはあっさりした食後感で、“プレイだよな”と思わせて、そこがまたフランス映画の曖昧表現かとも考えさせられます。

 私は、“濡れ場”という表現そのままの、湿潤たる情感が滴る日本映画の方が、じっとりと奥が深いように思います。

――そんなものがきれいサッパリないドライな空間がフランスなのです。彼らが恋愛感情を抱き、性的な関係をもつに際して、(日本人が考えるような)世の中の常識やモラルがはいり込む隙間はありません。映画はそんなパリマダたちの、無慈悲残酷な弱肉強食世界を、赤裸々にたんたんと描きます。

 

 性的嗜好についてもファンタズムの饗宴です。ヒロインや取り巻く登場人物たちは、皆少しずつ壊れ屈折している“変態さん”たち。しかし、本当にそうなのでしょうか? 閉じた世界での大人どうしの合意、法令規範に反しなければ何でもアリと言っていいのです。“普通ではない”なんてとんでもないことです。これこそがパリマダ世界の“オーディナリィ”なのです。

自立した女性。奔放な性生活。幾つになっても性愛現役。友人隣人のパートナーを誘惑するレベルの、節操ない恋愛観。元彼、元夫、セフレ、関係者各位が入り乱れ、一同に会するパーティ。とことん口喧嘩で罵り怒鳴り合う家族に恋人たち――けれど、いつの間にかケロッと仲よしに戻っている。ところどころ、哲学的知識が有るか無いかよくわからないアイロニー、そしてブラック・ユーモアたっぷりのコミュニケーション――クスッっとなるシーンが随所に散りばめております。そこかしこが日仏文化比較のいいお手本なのです。

 

特にミッシェルの息子の夫婦喧嘩はご注目ください。

“キレ易いアバズレ系ヨメさん”に、どう見ても“ボンボン育ちで道を少し外した情けない息子”の組み合わせカップル。日本だったらあれだけの口喧嘩となると、ほぼ修復不可能です。でなければ、延々と後引く不和状態。それなのに、ラストシーンでのラブラブ具合は首をかしげます。

しかし、私には――映画だけでなく――現実に何度も見ている光景です。フランスのカップルにとっては“どちらかが我慢して合わせる”よりも、本音でぶつかって違いを主張し解決策を見出すことがユージュアルなのです。

パーティのテーブル下で、ミッシェルが行う隣人への誘惑も、さもありなんです。フランスの婚外恋愛で意外に多いのは“ご近所さん”とも言われております。何気ない日常に、どれだけ“誘惑の罠”が仕掛けられていることか!

ミイラ取りがミイラになる。誘惑マダムがいつ寝盗られマダムになるか、明日のことは誰もわかりません。これはなかなか大変な生活ですね。

 

 繰り返しになりますが、ヒロインのドラマティックな生い立ちとラストの事件さえなければ、映画の光景はフランスの日常茶飯事。共感することのない乾いた笑いとともに、暴力シーンから受ける生々しい痛みは疎外感の共有かもしれません。

ヒロインに感情移入することもないかわり、頑張って自立する姿には背を押してやりたい気もします。少しノワールでエレガント。サスペンスではあってもスリラーではない、センシュアルなフレンチフィルムでしたね。

 

 ミッシェルの、毅然としたパリマダっぷりは気風も存在感もダントツ。ブラボーです。だけど私は、「ひとときでもお相手してくれてありがとう」の別れのセリフで去ったレベッカが気になります。

ミステリアスな微笑みを残して。

敬虔なカソリックである彼女は映画の中ではただ一人の「聖」。彼女は自分と、他のすべてである「俗」とは、截然と線を引いて独立しています。そうすることによって、elleは自分を保ったのです。

解放されたELLEは変身します。きっとミッシェルを凌駕する、邪悪で魅惑的な“パリマダ”に成長していくことでしょう。

あるいはelleがすべてを計算して仕組んだのではないかとも思いました。あまりにも“物分かり良すぎる”対応が不自然なのです。…….考えてみればELLEは3人称。そもそも“彼女”のことだったのかもしれません。

 

続編の主役に違いないと思う――想像力の翼が刺激されるのはいい気持ちです。