1975年、サイゴンが陥落してベトナム戦争がアメリカの敗北で終わると、カンボジアではポルポト派クメールルージュがプノンペンを占領しました。私は小学5年生、日本の高度成長経済はすでに終焉を迎えておりました。

カンボジアで一体なにが起こっていたのでしょう。国民の3分の1、一説では半数が惨殺されたとも言われています。その全容は今もって熱帯雨林の闇の中に沈んだままです。そのころ、1人の日本人報道カメラマンの消息についてのルポルタージュがあったことを覚えています。アンコールワットを夢見ての途次で命果てた青年の名は一ノ瀬泰造。彼の姿は1999年の映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』浅野忠信の演技で蘇りました。


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ロイヤルプノンペンホスピタル 


暴虐の嵐が吹き荒れてから42年。昨今のカンボジアはベトナムを追っての急速な経済成長に忙殺されています。首都プノンペンはインフラストラクチャーの整備と高層ビルの建設ラッシュとなって、日系企業の参入進出も殺到しています。企業駐在員あるいは現地起業の日本人が急増してくると、メディカル・ジャーナリストの一員としては現地の医療事情が気になってくるのです。

 ポルポトの極端な知識階層弾圧によって医師が激減し、近代医療はほぼ崩壊してしまいました。医学教育の再建は遅々として進まず、ようやく5年前に医師国家試験制度が導入された水準です。国家試験の有無で医療のレベルを語ることはできないことは承知しています。それにしても鬼哭啾々、最新医療機器の設置も僅少に過ぎず、重症症例や先端医療希望となるとバンコクかシンガポールあたりに跳ぶしかないのです。薬剤師不在の薬局もここではふつうです。

 

 プノンペンではケン・クリニックサン・インターナショナルクリニックサンライズジャパンホスピタル など、3つの日系クリニック&病院があって専門医の診察を受けられるようになっています。日本語が通じますので安心感が得られます。他にも日本人マネージャーが常駐する在留外国人対応のラッフルズメディカルカンボジア、また、空港の近くには大規模なロイヤルプノンペンホスピタルもあります。これらの殆どは本国で教育研修を受けた経験豊かな外国人医師が担当しています。

 

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 こちら、ふだんはバンコク在住のロイヤルプノンペンホスピタルのソーマーチ院長。かつて東大医学部初の外国人任用教授として教鞭をとられたとのこと。大変な頭脳の持ち主でいらっしゃるに違いない。

 

 熱帯モンスーン気候となると、風邪やインフルエンザなど無縁と思われる方もいるでしょうが、そうでもないのです。ドクターに話を聞くと、空調かけすぎの風邪もインフルエンザもザラにあるみたい。加えてインフルは南半球と北半球の両方から襲来するので、年に二回の流行期があるとか、なんと! もっともスギ花粉症の人は解放されます。

交通事故も頻発しています。スピードを出せないガタガタ舗装なのが幸いともいえますが、頭をぶつけたら命取り。マラリアやデング熱など南国特有の感染症にも注意肝腎です。

 

 私はまだ数週間の滞在なので全容を把握できていませんが、日系のドクターたちも懸命に奮闘しています。なにかホッとするというか、心がジーンとなりました。

 この地で私は一体なにができるのか、何をすればいいのかを考えています。いま専門にしている美容からは遠いことになるかもしれないとも思います。

だけれどもオーセンティックに生きる絶好のチャンスかとも思うのです。人生の来し方いくすえを見つめ直し、ご縁を大事にして生きていきたいものです。