今日は、少し前に亡くなられた先輩のご主人の弔問に伺った。
生前、私がテレビにでるのをとても楽しみにしてくださっていたというご主人。
余りにも急で、お元気だった姿がつい昨日のことのようだ。
ご自宅へ向かう車中、晴れた東京の空を眺めながら思った。
人生って永遠にずっと続くように思っているけど、
案外自分が思っているよりずっと短いのかもしれない。
今、世間では、「エンディングノート」や「終活」が流行っているが
十二年前、盛岡の大好きな祖母が亡くなったとき
「エンディングノート」があった。
ノートには、葬儀屋や連絡する人、遺産の分け方に至るまで、
必要なことすべてが書いてあり、
そこに書いてあるとおり箪笥の最下段を開けると
和裁が得意だった祖母が手ずから縫った死装束がきちんと畳んで入っていた。
白い経帷子、手甲や脚絆、三角巾。
これを祖母は一人で、どのくらいの時間をかけてどんな気持ちで縫っただろう。
天国で祖父に逢うことを楽しみにしていたのだろうか。
納棺のとき、それをきた祖母は、美しく、どこか誇らしく
自ら「女の死に方」を教えてくれた気がした。
私も祖母のようにできるだろうか。
その日がいつ訪れても良いように毎日を大切に過ごしたい。
明日は聖夜。
キリスト教ではないけれど、
天国に召されたお世話になった人や大好きだった人たちに祈りを捧げたい。