私の人生を変えた阪神淡路大震災から、25年が経ちました。
私に限らず、神戸の方は皆、あの震災で、多かれ少なかれ、人生が変わったのではないでしょうか?
私の場合は、あの震災があったからこそ、研究者の道を歩むことになりました。
どういうことかと言いますと……
もともと私は、洋楽が好きで、高校生くらいからラジオ局に出入りしていた、ロック少女でした。
当時の私の夢は、「ジョン・ボン・ジョヴィやマイケル・モンロー等の海外アーティスト(ロックミュージシャン)にインタビューすること」。
このため、日本の大学に通っていたのですが、
「インタビューアになるためには、もっと英語がうまくならないと」
と、大学を休学して、1994年4月から一年間、ミシガン州立大学(Michigan State University; MSU)に留学することにしたのです。
最初の3か月間は、MSUの持つ語学学校に通っていたのですが、試験が受かったので、9月からMSUの大学生になれました。
ただ、
「ミュージシャンとのインタビューで盛り上がれるくらい、英語が上手になる」
というのが目標だった私は、勉強よりも、アメリカ人の友達をつくることに専念していました。
そんなことなので、もちろん成績も悪く……
しかし、そんなことを気にすることなく、初めての一人暮らしでもホームシックになることもなく、楽しく過ごしていました。
帰国まであと数か月に迫った、1995年1月17日。
阪神淡路大震災が起き、多くの悲しい知らせが届きました。
そして、私が日本で通っていた大学の校舎も、半分、崩壊したと知らされました。
授業が再開できる状態になるのに、半年以上かかるため、帰国しても休学していなければならないことを知った私は、アメリカに残り、MSUを卒業することを決めました。
今までお金のこと等、考えたこともない、ノー天気な学生でしたが、父の会社も地震でダメージを受け、授業料のことを初めて意識するようになりました。
留学生の授業料は、ミシガン州の学生の3倍と非常に高額だったので、
留学生センターや大学内のカフェテリアでアルバイトをしながら、
最短で卒業できるように、少しでも多くの単位を効率よくとれるように授業を選択し、良い成績が得られるように猛勉強する生活になりました。
本気で勉強したら、とても楽しくて…… 学ぶことの楽しさを生まれて初めて知り、半年後からは、常に成績優秀者として学内の壁に名前が張り出されるようになりました。
そんなある日、「コミュニケーション学の大学院に進学しないか」という、お誘いの手紙がMSUから届きました。
自費で、大学院に通うことは選択肢にありませんでしたが、MSUの大学院生はTeaching Assistant (TA)になれたら、学費や医療費が免除され、学内の駐車場も確保され、しかもお給料ももらえます。
そこで、TAのポジションを必死で狙い、無事、ゲット。
その後は、安心して、MSUの大学院生活を送ることができ、そのおかげで「研究者になろう」という新たな夢もできました。
(当時の私。友人と、なぜか中国で。若いですね~。いや、顔が丸すぎますね)
いつ、どこで、何が起こるか、わからない。
いつまで、生きれるかも、わからない。
だからこそ、常に、目の前のことに精一杯、取り組む。
そうすると、道が開けてくる。
そう、改めて、思います。
25年前の夢だった、海外アーティストへのインタビューは叶っていません。
でも、「研究者になる」という大学院進学後にできた新たな夢は叶えることができ、博士にもなれました。
その後、健康社会学者としての、また新しい夢もでき、それに向かっている今、私は幸せです。
この幸せは、25年前の阪神淡路大震災から生き方を変えたからこそ、得られたものだと思っています。
25年前から、1月17日は、
「生きていられることに感謝し、いま、できることに精一杯取り組もう」
という気持ちになります。
そして奇しくも、「生き抜く力」や「困難を乗り越える力」を専門とし、4冊の著書と監修DVDを出すことができたことも、運命のように感じています。
困難があっても、きっと乗り越えられる。
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