進化するブログ『思索の蒼穹』 -8ページ目

進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 私は幼い頃、短気でイライラしやすい性格でした。

 といっても怒って誰かを攻撃したり、ものを壊すでもなし。

 ただ癇癪を起こしてすぐイライラする。

 

 

 

 小学校に上がる頃から空手を始めた自分にとって、力では決して敵わない存在がゴロゴロしていました。イライラばかりしていると反感をかい、必ず対立してしまう。

 そうなれば喧嘩にもなるだろうし、場合によっては自分も相手もひどく傷ついてしまうかもしれない。

 いつの間にか、イライラをひたすらに抑圧し、ニコニコヘラヘラするようになりました。

 それが私の処世術だったわけです。

 

 人見知りをする上に、自己肯定感も低かった自分は、誰かから頼み事をされると多少無理をしてでも安請け合いするようにもなりました。

 そうすることで『自分が人のためになっている』、『自分には価値がある』と思いたかったのでしょう。

 

 

 

 『いつもニコニコヘラヘラし、他人からの頼み事を安請け合いしていると、幸せになれるか?』

 他の方の場合はわかりませんが、少なくとも私の場合はそうではありませんでした。

 

 

 

 良くも悪くも『人間は環境に慣れてしまう生き物』です。

 安請け合いばかりしていると、

 『こいつは頼めばなんでもやってくれる』

 『こいつは断らない』

 といつの間にか雑用ばかり押し付けられるようになったりします。

 元々他人に頼むことに抵抗感のない人、それに加えて頼めることに慣れた人にとっては、

 『こちらが貴重な時間を割いて○○してくれている』とは考えず、

 『〇〇してくれて当然』と考えるようになりがちです。

 

 初めは『〇〇してもらってすみません』と言われていたのが、

 気づけば、こちらがやらないと『え、やってないの?』なんて言われる始末。

 

 

 

 たいていの方々は『そんな馬鹿な』と思われるかもしれませんが、安請け合いをしてしまう方々からすると『あるある』なのではないでしょうか。

 

 

 

 ここ数年、あまりにも様々な場面で理不尽な状況に置かれることが多く、心身ともに限界を迎えてしまいました。

 限界をむかえたため、安請け合いをやめ、理不尽な要求をしてくる人たちに『No』というようになりました。

 

 

 

 私の場合、『Noといえないわけ』ではなく、処世術として『Noといわない』できたつもりです。しかし世の中には『Noといえる、いえない』で相手を判断している人間が存在します。そういう人間は、『相手がNoといえない、歯向かわない』と判断すると、どこまでも理不尽な要求をしてきがちです。 

 そして、そういう人間は得てして歯向かわれることを想定していません。

 そういう人間は、強い相手に文句が言えず、弱い人間を選んで攻撃しているような場合がほとんどなのでしょう。

 こちらは限界まで追い込まれているので、ひどい剣幕で相手にその理不尽さを追求します。

 すると、相手はビクビクオドオドして却ってこちらが弱いものいじめしているような嫌な気持ちになってしまいます。

 

 

 

 理不尽な要求をしてくる人間に、Noといい、歯向かうことで、最近は随分と状況が好転してきました。

 ただ、それによって寧ろ、ここ最近の私は理不尽な態度をとってくる相手に対して過剰に反応しすぎる嫌いがあります。

 

 

 

 声をあらげてくる人間には、それ以上に声をあらげ相手を圧倒する。

 睨みつけてくる人間に対しては、目をそらさず睨み返す。

 

 

 こんな状況では、避けるべき争いすら全て真っ向から立ち向かうことになってしまいます。

 また、こちらとしては向こうがそう来るので仕方がないと思っていても、周囲の人からすればえらい剣幕でどなりちらす人間の方が社会的に問題ありと判断されるかもしれません。

 得てして、そういうサイレントマジョリティが加害者(本人達は無関係を装っていても、ひどいいじめやパワハラを暗黙の了解とし、場合によっては無意識のうちにその加害者になっている場合すらあります)的な側面を担っている場合も少なくありません。

 そうであれば、極限まで追い詰められながら、なんの助けにもならない(むしろ加害者的な側面すらもつ)周囲の人達の評価などどうでもよく、むしろそういう人たちまで責めたくなる気持ちで満たされてしまいそうになります。

 

 

 

 本日も空手の練習がありました。

 

 

 

 肩に力が入り、攻撃する気が満々だと、体が固くなり反応も動きもおそくなります。

 また、攻撃に気持ちが集中しすぎているので、相手の攻撃を受け流すことができません。

 自然体でかまえ、攻撃にも守備にも気持ちを傾けすぎない。

 調子が良いときほど、頭で考えるよりも先に、自然に相手の攻撃を受け流したり、攻撃にあわせてカウンターをいれることが可能となります。

 

 

 

 Noと言わず安請け合いしすぎてきたこれまでの人生。

 理不尽な相手に過剰なまでに反応し、『攻撃的である』という印象すら与えかねない最近の私

 

 

 

 双方を統合し、自然体でかまえ、NoというべきときはNoといい、理不尽な要求には過剰に反応することなく対応する。

 力に力で対抗するような態度ではなく、しなやかに受け流すように接する。

 

 

 

 かつての私の処世術は明らかにうまいものではありませんでした。

 容易ではありませんが、自然体であらゆる物事にニュートラルで対処できるようになれば、間違いなくこれまでよりもはるかに優れた処世術を身につけることになるでしょう。

 

 

 年明けだと思っていたのがついこの間のようですが、気づけばもう4月です。

 「今日は大雪の恐れ!」なんてゆってたのもついこの間のような気がしますが、日が出ると随分暖かくなってきました。ただし日がおちたり、雨が降ると気温が急に下がるため、油断はできません。

 

 この間も少し触れましたが、2022年度の途中で休職・退職・転職・専門科の転向を経験した私にとって4月はそれほど大きな意味などないと思っていました。

 

 職場では、オンコールで往診が必要な時に診察をお願いできる非常勤の先生の採用を除くと、常勤のスタッフは現状では変更なさそうです。

 

 ただし入職時に、診療圏の拡大に伴い『院長職』の肩書がつく可能性について示唆されました。仮についたとしても、診療内容や権限、給与には大きな変化はないと思われますが、『雇われ院長』であったとしてもクリニックの看板を背負うとなると多少の変化はもたらされるのかもしれません。

 具体的な日程等、詳細は何も聞かされていませんが、いつ動きがあっても驚くことがないよう粛々と研鑽を続けたいと思います。

 

 

 また5月より自治会役員に名を連ねることになりました。

 

 元々地元の人との交流をと思い、地域の月一の清掃活動になるべく参加するようにしていました。引っ越しをしてきたのがコロナ前だったので、気づけば清掃活動も数年参加してきたことになります。

 自治会も高齢化が進んでおり、なかなか若い人の参加もないようで清掃活動の御縁からお声掛けいただきました。

 思えば消防団入団のきっかけになったのも、清掃活動日を確認するために地域の掲示板に目を通すようになったからでした。

 現状、自治会の役割や意義について今ひとつ理解していませんが、内側からどういったものかを理解するとともに、今まで以上に地域貢献できたらと思います。

 

 仮に自治会の存在・活動において、地域にとってデメリットになるような側面があるとすれば、そちらについてもオープンに意見できればと思っています。

 

 

 2月以降、空手のクラスを息子と同じ初級者キッズクラスから、一般クラスへと変更しました。初級者キッズのクラスでは、練習する型の内容は自分の級に大きく左右されます。白帯の段階では「タイキョク初段」。せいぜい「平安初段」まででした。

 ところが一般のクラスだと白帯であっても「タイキョク初段」、「平安初段〜五段」、「鉄騎初段」ぐらいは練習する機会がありますし、「ジオン」、「バッサイダイ」、「五十四歩小」といった上級者が練習するような型もみんなで練習する機会があります。

 

 今の所、私の昇級審査は、息子の昇級にあわせて受けようと思っているので、昇級審査を受けるのがいつになるか(息子は一度目の昇級審査で残念な結果となり、その後練習回数も少なく成長も乏しいので今の所一度の審査のみです)不明です。

 成長が乏しくたとえ受かる可能性が低くても、練習時間が多く、本人が受審を希望すればそうさせるつもりですが、練習時間も内容も乏しいようであれば当分次の審査は受けさせるつもりはありません。

 

 完成度はともかく、タイキョク初段、平安初段〜五段、鉄騎初段、ジオンあたりまではなんとなく型の流れを覚えたので、完成度を高めつつ、さらに難易度の高い型の習得を目指したいと思います。目指すは最強の白帯といったところでしょうか。

 

 

 

 2022年は間違いなく私の人生の中で最大の転換期の一つでした。

 一時期は心身ともに最悪の状況にありましたが、それを乗り越えた今、かつてない程自分自身が成長した感があります。

 

 誰からも評価されず人間以下の扱いを受けた状況については、それを裏付ける根拠は何もなくただの誹謗中傷だったことが明らかとなりましたし、診断書等の必要性から数年かけて通った精神科・心療内科の受診も私にとっては何の意味もメリットもありませんでした。

 

 ともすると私よりもコミュニケーション能力に劣るかもしれないドクターに、私の精神状態や性格についてあれこれ評価を受ける。

 

 精神的に安定している今からすると、「ただの屈辱」でしかなかった印象もなきにしもあらずですが、過去はそう思わなかった・思えなかったというのも興味深いところです。

 

 こういった経験も『周りの意見や評価に流されず、自分自身の価値判断で言動を決定する

』というプラスの態度につながっていると感じます。

 

 一方で、『自分は間違えることなんかない。意見が異なる場合は自分が正しく、周りが間違っている』とおごるようなことなく、常に冷静さ・客観性を重視する態度は失うことなく行動していきたいと思います。

 

 私のこれまでの人生を通して『私は取るに足らないつまらない存在』という自己評価は変わらないものの、かつてと違って『ほとんどの偉そうにしている人間は見かけばかりで、その存在価値はむしろ平均以下であることも多い』と考えるようになりました。

 

 同じ自己評価であっても、かつては『自分に存在価値などない、生きている意味などない』と考えがちでした。今は『存在価値や生きている意味など生まれた時から決まっているものではない。大切なのは今・そしてこれから、どういう言動を行い、どう生きていくか。価値や意味を与えるのは周りではなく己自身だ』と考えるようになりました。

 

 すでに過ぎ去ってしまった過去を変えることはできません。しかしながら、過ぎ去った過去から今後に活かせる教訓をいかに得るかは己の態度次第で大きく変わると考えます。

 

 人一人の存在などちっぽけで、行えることなどたかが知れています。大きな力の前ではあっけなく飲み込まれ、流されてしまっておしまいでしょう。

 

 先程、『私は取るに足らないつまらない存在』と申し上げました。そして『価値や意味を与えるのは周りではなく己自身だ』と。周囲の意見に左右されることなく、己の信念を貫くにはこの考えが大切だと考えます。

 

 しかしながら人間は社会生活を営むため、存在価値や意味については他人からの評価を免れることはできません。

 

 自分へのマイナスの評価は地獄の業火に焼かれるような苦痛となり得るものですが、状況によっては『取るに足らないちっぽけな存在である己自身』が他人の中で『大きな存在・価値』としてうねりとなり大きな力を生み出すかもしれません。

 

 

 『卑屈にならず、それでいておごることなく、更なる高みを目指したい』と思います。

もう3月も終わりそうです。

4月になったら新学期です。

年の途中に職場が代わり、特にスタッフも変わらない私にとっては『新年度』という雰囲気は皆無ですが、子供たちにとっては大きな変化であろうことは間違いありません。

 

さて、最近話題にのぼることが多い『リスキリング』

 

私はこの言葉に強い違和感を覚えます。

 

留学生活を終えたのが20代後半。

そこから医学部学士編入にいたり、医師になったのが30代前半。

研修医、一般外科医、乳腺外科医を経て、現在は訪問在宅診療に従事しています。

 

数年前に住宅ローンをきっかけに自分自身のマネーリテラシーの欠如を自覚し、それが経済や政治への興味につながり読書習慣を形成するに至りました。当ブログのスタートも読書後のアウトプットの場として選んだことがきっかけでした。

 

株式投資もはじめ、最近は少し遅れがちではありますが新聞ダイジェストも毎月欠かさず読むようになりました。

 

空手も今年2月からは息子と一緒に通っていた子供初級コースから、一般クラスに変更しました。白帯を締めるのは人生三度目となりますが、新たな気持ちで空手を学び直しています。

幼少期は型も下手なダンスと変わりありませんでしたが、この歳になって重心の移動、腰や膝の高さ、力の抜き差しを意識するようになりました。

 

40代後半に突入しましたが、新人消防団員という肩書も持ち合わせています。

 

そんな私からしてみると、常に学び続けている感じで、『リ』スキリングどころか一度たりとも学び終えたと感じたことがありません。

 

学歴がそれなりに重視される日本の社会においては、『受験』を終えると勉強が一段落とされるのかもしれません。

 

実際、『大学受験の時が一番勉強した』

だとか

『医師国家試験の時が一番勉強した』という言葉を私自身もよく耳にしました。

 

教師を志望する人の数が減少傾向にあるとの報道を目にする機会が増えましたし、妻経由のママ友情報や、子供たちの周辺でも学級崩壊や学校崩壊の噂を耳にします。

 

うつなどの精神症状に悩む教職員の方の率も年々増加傾向にあるとの記事も目にします。

 

『リスキリング』とか言う前に、『教育』そのものを見直すべきだと感じますし、『リスキリング』とか言ってる時点でちょっと講習を受けたり、勉強会に参加してお茶を濁しただけで『学び終わった』と捉えられそうな気がしてなりません。

 

 『SDGs』にしろ、『学び』にしろ、当たり前のものとして継続的に重要視されるべきものだと考えますが、タピオカ、唐揚げ、鬼滅、高級食パン専門店のように『ブーム』で終わってしまう気がしてならないのは私だけでしょうか。

 

 ヤフーニュースを見ていると、子供の中学受験失敗を契機に燃え尽き症候群に陥る親御さんの記事が取り上げられていました。

 

 中学受験なんかで人生は決まらないと思いますし、成功しようが、失敗しようが、その経験をどう活かして次につなげるかの方が遥かに重要なことだと考えます。

 

 親御さんがお子さんの受験失敗で燃え尽きること、それ自体がお子さんにとって大きなマイナスでしかないと思えてなりません。

 

 それぞれのご家庭で状況や価値観が異なるのはもちろん承知の上ですが、子供の受験失敗で燃え尽きるような状況は、子供への無理な勉強の押しつけや、学歴至上主義につながりそうな気がしてなりません。

 

 私は高校三年時は文系選択で○大文Ⅰが志望校でした。

 

 文Ⅰを志望した理由は、当時は特に希望する職業もなく、お金を扱うことを直接的な職業に選びたくなかった(親元を離れ経済的に自立した今、この考え方は皆無です。なんだかんだいいながらいかに親に頼っていたかを反省すると同時に、親には感謝してもしきれません)私にとっては資格をとって法律関係の職につくのが最も発展性ややり甲斐があるように感じたからでした。

 

 はじめは○大が志望だったわけではなく、法学部志望を明言後、数年をかけて担任の先生から勧められたのがきっかけでした。

 

 それまで親を含めた身内にもあまり褒められたり評価されたことがなかった私にとって、○大受験を勧めてくれる恩師の存在そのものがとても嬉しく感じられました。

 

 初めは『自分なんか』という気持ちでしたが、次第に『そんなに勧めてもらえるなら自分でもやれるかも』という気持ちが芽生えました。

 

 結果として○大入学はかないませんでしたが、恩師への感謝の気持ちは今でも変わりません。

 

 人生失敗続きですが、もし仮にストレートあるいはわずかな浪人生活で志望校に受かっていたとしたら、今は営業職かなんかで、不況のゴタゴタでリストラにあい途方に暮れていたことでしょう。

 

 『人間万事塞翁が馬』

 これが私の座右の銘です。

 

 周りの顔色をうかがうばかりで、自分自身というものがなかった当時の自分のようには子供たちにはなってほしくありません。

 

 これまで子供たちは受験とは無縁の環境で育ってきました。しかしながら今のところ医師を志望している子供たちにとって、高校、大学受験に関しては無関係とはいかないでしょう。

 医師志望に関しては私も妻も強制したことはありません。

 私自身は学歴にはこだわりませんが、生きていく上で『自分はすでに知らなくても人類にとって既知である先人の知恵を読書や勉強を通じて学び、それをいかに実生活に活かすことができるか』という勉強法の習得は必要不可欠だと考えます。

 

 そしてそれを身につけることができてさえいれば、学歴はともかくそれなりの資格や肩書は自ずとついてくるのではないかというのが現在の考え方です。

 

 逆に言えば、それがなければたとえ学歴や肩書があっても人生においてはそれほど役に立たたないのではないかとすら思ってしまいます。

 

 すぐに腰や膝を痛める私をみて、子供たちには

 「おじーちゃんじゃん」と言われることばかりですが、

 40代後半になってまだまだの私の背をみて、子供たちが何かプラスになるものを感じ取ってもらえたら何よりです。

 

 

 

 

 

 あっという間に今月も終わってしまいそうです。

 今月は『バーガーピザ』についてしか記載していませんでした。

 そんな『バーガーピザ』ももう取扱いが終わってしまったようです。

 個人的にはビック〇ックは大ヒットだったんですが、、、

 復活を期待したいところです。

 

 さて、金曜日(3/17)に四季報 2023年2週が発売になりました。

 今回はここ数年で初めて、全銘柄チェックができないまま新号を迎えることになってしまいました。

 職を変えた負担はかなり大きかったので、今回はまあ、仕方なかったとしましょう。

 言い訳が許されるのは今回限りです。

 

 先週から今週にかけて、少しでも終わらせようと無駄なあがきをしましたが、結局は半分程度しかチェックできませんでした。

 

 ただ、そんなあがきも決して無駄ではなかったと思っています。

 

 というのは、今回は『答え合わせ』ができたからです。

 

 いつも私は、四季報をみながら銘柄を一つ一つチェックしていきます。

 まず初めに行うのは、売上高営業利益の比率です。

 15%以上を一つの目安としています。

 

 次が数年間の利益の推移です。年々増加傾向にあるのか。それとも途中で大きく下げたりしているのか。

 

 ここまでは四季報からの情報だけです。

 

 その後に口座のある証券会社のサイトや、ヤフーファイナンスでチャート、PER、EPS、ROE、配当利回り等をチェックします。

 

 今回はほぼ三カ月前のデータにしたがって、上がりそうな銘柄をチェックした後に、ネットで実際の株価の推移をチェックすることになりました。

 

 もし数カ月前に実際に購入していれば、かなりの確率でリターンが得られていた感じでした。

 ただ、実際に自分が所有している口座の成績はいまひとつです。

 

 今までなら自分の選ぶ銘柄に自信がもてず、ただ値が上がらないという理由だけで保有している銘柄を売ったりしていました。

 

 しかしながら今回のチェックで、銘柄の選定において目の付け所は悪くないと感じたので、『これは来る!』と思った銘柄はこれまで以上の自信をもって保有し続けられそうです。

 

 これまでも上がらなかったから今後も上がらない

 という可能性はもちろんあります。

 

 ただ私の場合は、売上高営業利益比率や、増益傾向等についてもチェックをしています。

 そうであれば、値段が上がらないというのは、割安のまま放置されていることになります。

 

 遅かれ早かれ、その価値に気づかれたら株価はあがる可能性が高いと考えてよいだろうと思えるようになりました。

 

 もちろん、悪いニュースや業績の変化があるのに、固執しすぎて売ることができないという事態は避けたいと思います。

 

 また同じ銘柄でもタイミングによって割高な時、割安な時が大きく変化します。チェックしている銘柄自体はそれほど悪くなさそうなので、これまで以上に『売買のタイミング』にも注意を払いたいと思います。

 

 焦って高値で買ってしまっている。

 欲を書きすぎてほどよい価格で売ることができず、気付けば値が大きく下がってしまった。

 

 注意すべきは『焦り』と『欲』です。

 

 実際に保有している銘柄も、ここ1か月程度をみれば悪くないのですが、昨年9月にあまりにも大きな損失を出しすぎてしまいました。今考えても、なんであんな投資法(自分が目を付けていて、値が大きく下がった銘柄にいちかばちかで集中投資を行う)をしたのか悔やまれるばかりですが、過去のことをどうこういっても仕方ありません。

 

 結果として短期間で4割程度の損失につながるとい大失態を起こしてしまいました。もし値が反対に動いていれば、ひょっとしたら2倍になっていたかもしれません。実際、私は短期間で2倍も狙えるかもとおおきな欲をかいたのが大失敗でした。

 

 やはりポイントは『焦りと欲』です。

 今後に活かすしかありません。

 

 職場を変更する前は心身ともにボロボロだったので、もしあそこで成功していたら、本職をやめて、投資一本でやっていくというような無謀な選択をしていたかもしれません。

 

 そうなれば、本職を失うだけでなく、今後に同様の投資法を行い、遅かれ早かれ大損失を経験していたことでしょう。

 

 こんな状態では本職を続けるのは無理かもしれない。

 少しでも早く資産を形成し、本職から離れたい

 

 そんな気持ちが『焦りと欲』につながったのは明らかです。

 

 心身ともに落ち着いた今、かなり追い詰められていた当時の自分を客観的かつ冷静に見つめ直すことができるようになりました。

 

 

 

 

 先日、全国の進学校をとりあげる某テレビ番組を見ていました。

 その日にとりあげられていた方(生徒)のお父さんは、『自分が受験勉強で苦労したので、子供にはそんな苦労はさせたくない』と推薦での進学をお子さんに勧められてこられたようでした。

 

 私自身、これまで数多くの失敗を経験してきましたし、今も常に失敗しています。

 かつては失敗を活かすことができずただ失敗を続け後悔するばかりでした。

 

 以前よりは今の私の方が何倍も、要領も生産性も自己肯定感も向上していると感じます。

 

 その違いは、『いかに致命的になりえる失敗を回避し、失敗した際はそれを次に活かすか』によるところが大きいと考えます。

 

 失敗しないに越したことはありません。そのために十分対策をたてて準備をする。

 しかしながら必ずしも人生はいつもうまくいくとは限りません。

 上手く行かないことの方が多いといってもいいのかもしれません。

 

 そんな世の中で、私は子どもたちに『失敗して欲しくない。失敗させたくない』とは考えません。

 

 『一発で命を落としたり、破産するような致命的な失敗は避ける。失敗したら、そこから最大限の教訓を得ようと考える。』

 

 成功するためにはどうすればいいのか。

 それと同時に、失敗の仕方についても身に付けてもらいたいところです。

 

 人から聞いたり、読書で知識として得られる『失敗の教訓』というものは存在します。

 ただ、それを見聞きして知っているだけの状態と、実際に自分で経験するのは大きな違いです。

 

 散々言い聞かされてきたはずなのに、気付けば、まさにその失敗を自分自身が経験してしまった。

 

 なんてことはこれまでの私の人生にも何度もありました。

 

 失敗を避けようとするだけでは、その状況でどうしたらいいかわからなくなり絶望してしまうかもしれません。

 

 一歩進んで、『失敗を避けようとはするけど、実際に失敗してしまったら次はどうするか』まで考えられればより力強く人生を進んでいけるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 早いもので今年ももう3月。

 当ブログにとっては、3月最初の更新となります。

 

 今日は政治の話も、教育の話も、医療の話もしません。

 

 本日は『バーガーピザ』についてです。

 

 私がアメリカで寂しい留学生活を送っていた頃、ささやかな楽しみの一つが、地元ローカルのピザ屋で時折店頭に並ぶ『BMC』なるピザでした。

 

 明らかに某バーガーショップをパクった(失礼)にインスパイアされたであろうそのピザを見つけると、ピースはもちろん、ホールであってもためらうことなく購入していました。

 

 ポイントはなんといってもソース。ビック○ックソースをかなりの精度で再現されたそのソースに私は病みつきになってしまいました。あのソースとチェダーチーズがあれば野菜が多少しにゃしにゃであろうが、肉がしょぼかろうが、魔法のような仕上がりになります。

 

 

 

 今回、某ピザ店が『バーガーピザ』なるものを売出し、ビッグ○ックなる商品まで含まれています。

 

 自宅で購入を考えましたが、私以外の家族全員に却下をくらったので、お昼にトライしてみました。

 

 

 結果、私的には大当たりでした。他の方々はどう評価されるかよくわかりませんが、すくなくとも私の中ではこれまでアメリカで食べたBMC(こちらはもう食べられないこともあって必要以上に高評価になっている可能性は否定できませんに次ぐ、ナンバー2といえるヒットでした。

 

 トライされて

 

 「だまされた」

 

 「まずい」

 

 とご立腹されても何の責任もとれませんが、

 

 ビック○ック、特にあのソースが大好きという方は是非トライしてみてください。

 

 

 私は失敗したときのことを考えてバーガーピザ・クワトロにしてみましたが、ビック○ック1択でよかったなという結論に達しました。

 

 ちなみにクワトロではビック○ックに加え、ドミノスバーガー、チェダーベーコンバーガー、D's○品チーズバーガーなるものが楽しめます。

 

 ネット上だと、ピクルスに対する批評がそれなりに出回っていますが、私的には不満はありませんでした。

 

 一人用サイズの小さいものも頼めるので、気になった方は是非トライしてみてください。

 

 絶対損はさせません!!!

 

 という保証まではできかねますが...