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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 昭和20年(1945年)8月6日、午前8時15分、広島の上空に原爆が落とされた。

 あの日がなければ、原爆が落とされることがなければ、

 こうしてとりあげられることもなかったかもしれない家族の物語。

 これはかつてヒロシマで起こったこと。

 そして私達自身にも起こり得ること

 

 

 

 

 第二次大戦中。

 戦争中にもかかわらず、ご家族の自然な笑顔におどろかされます。

 しかしある日を境に、状況が一変します。

 その惨劇を示す写真はなく、笑顔あふれる写真と、事実を記した文字とのギャップに

 いたたまれなくなります。

 

 あの日、ヒロシマで起こったことはこのご家族だけに起こったことではありません。

 当時の広島には約35万人がいたと考えられるそうですが、その年の12月までに14万人(誤差±1万人)の方がなくなったと考えられていそうです。

 

 今年5月、先進7カ国首脳会議(G7サミット)が広島市で開催されました。

 核保有国の米英仏を含むG7首脳がそろって広島平和記念資料館を訪れるのは初めてのことで、ウクライナのゼレンスキー大統領もその場に出席されていました。

 

 戦争や原爆は、遠い昔の過去のことではなく、いつ自分たちの身にふりかかるか分かりません。

 他人事ではなく、当事者意識をもつことが大切だと考えます。

 

 LOCAL BOOK STORE kita.ってご存知でしょうか。

 

 私自身、ついこの間まで存じ上げませんでした。

 おそらく本屋だとか、本とかを検索するからだと思われますが、SNSにひっかかってきたので、ページに飛んでみました。

 

 横浜・馬車道・北仲通りにある、"1棚1オーナー型の(書店主)が集う、ブックマンションと呼ばれる本屋さん"です。

 

 それぞれのオーナーが一棚を借りて、その一棚で本を紹介し、販売するわけです。

 

 7月から『思索の蒼穹』も一棚オーナーに仲間入りさせていただくことになりました。

 

 いよいよリアル書店への第一歩を歩みだそうと思います。

 

 今年の目標に『今年こそは本を1冊は売る!』を加えてみようと思います。

 それだけだと『進化する』を謳う『思索の蒼穹』としては弱いので、『一人ぐらいは読書習慣のない人に習慣をもってもらう』というのを上乗せしたいと思います。

 

 因みに本日(6/18) 11:00〜15:00

 「お茶とお菓子と本」というイベントが開催されるようです。

 私も時間があったら顔を出させていただこうかと思っています。

 

 お近くの方で、お時間があり、本やお茶・お菓子がお好きな方は足を運ばれてみてはいかがでしょうか。

 

6月も中旬に差し掛かろうとしています。

本当に時間が経つのは早いものです。

 

今週も慌ただしく過ぎ去っていきました。

本職の仕事は通常通り(AM7時前後に出勤し、帰宅は20時前後。月曜日は午後半休。土日は休み。平日一日オンコールあり)。

プライベートのミーティングが月曜2件、金曜1件、土曜1件。

本日は空手の稽古に息子と一緒に参加し(通常は土曜日が稽古日ですが、今週は日曜日。午後の一般の稽古はスケジュールが合わないため息子のクラスに一緒に参加)、午後は息子と娘のスイミングの送り迎え。

その後、自治会の回覧板にはさむ書類を各組長さんにお届け。はじめましての組長さんにもご挨拶することができました。

 

活動しているかどうか怪しいものも含めれば、肩書も増えてきました。

 

医師

個人投資家

ブロガー

オンラインブックストアオーナー(こちらは3年で売上ゼロ)

消防団員

自治会役員

空手白帯(過去二度、別の流派で初段をいただきました)。

 

昔の私が今の私を他人として見たら、『自分には無理』と思ったことでしょう。

 

基本的な性格に関して、昔の自分と今の自分で大きく変わるところはありません。

ところが、考え方や自己肯定感、人生戦略は大きく変わりました。

 

元々私は『中途半端な完璧主義者』なので、読書などに関しても、最初の1ページ目から一字一句欠かさず読みます。

読み飛ばすと、読んでいないところに大切なことが書いてある気がしておちつかないのです。

これを否が応でも修正せざるを得なかったのがアメリカでの留学生活です。

読むべきページ数が多く、一字一句読んでいたらとてもじゃありませんが、課題は終わりませんし、テスト範囲もカバーできません。

一字一句読んで読み終わらないより、読み飛ばしてでも一通り読み終える方が絶対的に『得策』でした。

ここで『中途半端な完璧主義者』を捨て、『大局観と優先順位』を重視するようになりました。

 

続いて大きいのが、『自己肯定感』です。

かつての私は

『自分なんかにできるわけがない』、『自分なんかがでしゃばるべきじゃない』と考えがちでした。

また、なにかに挑戦して失敗するのを非常に恐れていました。

社会に出て、周囲から

『お前なんか役に立たない』、『お前なんか医者をやめちまえ』と言われすぎ、

却ってふっきれました。

どんなに努力しようが、どんなに失敗を避けようが、どうせ誰も評価などしてくれないのです。

だったらどうするか。

『医者をやめてしまおうか』。それとも『人生を終えてしまおうか』

それも考えました。

しかしながら、私一人ではなく家族もいます。

だったらどうするか。

 

他人の評価に左右されるのをやめました。

どうせ何をやっても評価されないのです。

だったら、今更失敗が一つ増えたところで何も変わりません。

これ以上評価など落ちようもないのです。

嘲笑や罵声は増えるかもしれません。

でも、どうせ無難に過ごしても評価がよくなるものでもありません。

だったら、自分の思うようにやってみよう。

 

そうこうしていると、世界をみる目が変わってきました。

自分をあれこれ批判している人間も、大してできるわけでも知っているわけでもないと。

そうなると周囲の評価など更に気にならなくなりました。

何か新しいことに挑戦するとき、周りはすぐこう言います。

『無理だからやめとけ』

アメリカ留学するとき、医学部学士編入に挑戦するとき、投資を始めたとき

常にこの言葉をかけられました。

 

投資はまだ結果を出せていませんが、アメリカ留学は医学部学士編入挑戦につながり、結果医師にはなれました。

 

他人は自分の人生にはなんの責任も持ってくれません。

私の人生に責任をもってくれないばかりか、その人自身の過去の言動にすら責任をもってくれないことも少なくありません。

 

これは『他人のアドバイスなど役に立たず、他人の言うことは全て無視していればいい』というわけではありません。『妥当なアドバイスや客観的な判断は重要』です。ただ、『他人のアドバイスの多くが、適当で主観的なもの』であることばかりです。その点では、個人的なアドバイスを他人にもとめるより、本などに答えを求める方がよいと私は考えます。

自分と似たような悩みは大概誰かももっていて、それに対する適切なアドバイスや情報が存在することは少なくありません。

 

『無謀かどうかはともかく、挑戦したけりゃやってみる』

これが今の私のモットーです。

 

 一つ一つの活動を別個で扱うのも大切だと考えます。

 今日は仕事があった。消防団の活動もあった。

 一つ一つを一連の流れと考えるとどうしても『疲れ』が頭をよぎります。

 

 子供達もすぐに

 『今日はもう算数やった』、『今日は空手があった』

 と言います。

 

 今日は算数をやったし、国語もやった。その上社会まで、、、

 今日は空手にいった。スイミングにもいった。その上勉強まで、、、

 

 こう考えるのと

 今は空手の稽古。

 終わると空手の稽古のことは頭からはずして、今はスイミング

 今日は空手もやった、スイミングもいったなどと考えず、次は勉強

 

 自ずと集中力もモチベーションも変わるはずです。

 

 実際、私の本業もかなり疲れます。

 『今日も一日仕事を頑張った』

 こう考えてしまうと、後は何もできません。

 でも終えた仕事のことは意識せず、今目の前のタスクに集中していると多少なりとも『+アルファ』を積み上げることができます。

 チリも積もれば山となる。

 

 決して容易ではありませんが、『自分を変えるのは他人を変えるより遥かに容易』です。

 しかも一度変えることができれば、後はかなり柔軟になります。

 

 生まれ持っての性格なのか、私の影響なのか、息子は私の性格にかなり似たところを感じます。決めつけや無理強いをすることなく、私がこれまでの人生を通して得てきたものを息子にもうまく伝えていければと思う今日このごろです。

 

 

 

 この間年が明けたと思ったら、もう6月です。

 雪でどうこう思ってたらあっという間にゴールデンウイークがすぎ、6月。

 梅雨、台風でどうこうしていたらあっという間に今年も終わりそうです。

 

 アメブロは過去に書いた記事が『○年前の△月に書いた記事があります』と思い起こさせてくれますが、四年前の6月に『酒好き医師が教える最高の飲み方』という本を読んでブログを書いていたようです。

 

 当時は新型コロナ流行前で、外勤先として消化器内科のクリニックで毎週土曜日に診療および内視鏡検査に従事していました。

 

 この頃の経験が、今訪問在宅診療に携わる上でも非常に役立っています。

 

 患者さんへの健康管理上の指導の必要性から生活習慣を意識するようになったり、私自身がジュースを飲むのをやめたのもこの頃です。

 

 思えばこの四年で様々な変化がありました。

 

 〇引っ越し

  人生初めてのマイホーム購入(終の棲家)ということもあり、地域貢献もできればと地域の清掃活動に参加→地元の消防団に参加→自治会役員の末席に参加

 

 〇新型コロナの影響もあって外勤終了

 収入は減りましたが、その分土曜日が空いたので息子と空手に通う時間ができました。

 

 〇空手再開

 はじめはカメのように丸まって動かなくなったり、突然道場から逃げ出そうとする息子につきそう形で再開することになりましたが、息子も少し大きくなったので今年からは息子とは分れて一般の部で稽古を続けています。

 

 〇転職(勤務先および専門家の変更)

 これまで外科・乳腺外科の領域に従事していましたが、昨年からは訪問在宅診療に携わるようになりました。

 

 私の人生の中でも、この数年はかなり大きな決断を行った時期といえます。

 

 特にマイホーム購入は私にとって大きな転機となりました。

 

 ご縁のある土地を購入するため、経済的余裕も返済のメドも検討することなく、タイミングと勢いだけで決断してしまいました。

 そこから自らのマネーリタラシーの欠如を自覚し、ファイナンシャルプランニングや投資、経済などを勉強するようになりました。

 それが読書習慣となり、毎月の新聞ダイジェスト読破、ブログ記載につながりました。

 

 あのタイミングでマイホームを購入していなければ、これまで通り勤務先近くの賃貸住宅暮らしを続けていたことでしょう。

 勤務先が変わるたびに引っ越しが必要となり、その都度子供たちは幼稚園や学校を転校するはめになります。

 

 特に娘は数年で複数回の引っ越しを経験しました。妻によると、転校への不安は今でもあるようで、友達と仲良くなっても別れないといけなかった過去の経験から、クラスメートや同じ学年の子の名前を無意識のうちに覚えようとしない側面につながっているようです。

 

 終の棲家と考えることがなければ今のように地域の清掃活動に参加したり、消防団に参加したり、自治会役員に名を連ねることもなかったでしょう。

 

 また、引っ越し後、資産運用の重要性を認識し、株式投資も始めました。

 現状ではその成績は惨憺たるありさま(かなりの大損)で、もっとうまいやり方があっただろうにと反省する点は大いにあるものの、投資を始めたこと・続けていることに後悔はありません。

 

 投資は投資先・運営方法・運営戦略・投資金額など、人それぞれです。

 

 私の場合、全て独学で全く他人をあてにせず自分自身の考えのみで投資先や投資戦略を決定しています。

 株式投資の場合は、四季報で各銘柄をチェックするようになり、それでも成績がよくならないので、余裕があればチェック銘柄の企業の経営者のインタビューや人となりなどもチェックするようになりました。

 そしてそれは次第に、自分の所属する勤務先や集団の首脳陣を評価する態度にもつながるようになりました。

 集団のトップがまともだからといって、その集団がうまく機能するとは限りませんが、トップがどうしようもなければその集団は遅かれ早かれ破綻します。

 破綻しなかったとすれば、それはただ予想が外れたというだけではなく、『(所属しているメンバーにとって)非常にラッキー』なケースだということです。

 そして、今は破綻していないけど、この後破綻するリスクは非常に高いことに変わりはありません。

 

 これまでの人生で私は『義理や人情』を重視してきました。こちらが筋を通していれば、周りもそれを認めてくれる、自分に幾分か帰ってくる。どこかでそう期待していたところがあったのだと思います。

 しかしながら、そうとは限らない。むしろ『そんなことは期待できない、すべきではない』と考えるようになりました。

 だからといって『義理や人情』を捨てようとまでは思いませんが、これまでのように過剰に義理や恩義を感じ、ひたすら所属している組織に尽くす必要はないと考えるようになりました。

 

 これは他人に対する評価ばかりではありません。親としての自分、自治会役員としての自分、医師としての自分自身に対しても意識しなければならない点です。

 

 また、ここ最近は以前に比較してかなりの頻度で銘柄を売買するようになりました。

 

 ここ数週間、日経平均は上昇傾向をたどっていますが、私の運営成績は右肩下がりです。

 

 しかしながら、株も人生の何事もその時点だけでは評価できません。調子がいいときは実はピークかもしれないし、最悪の時はそこが底でその後は上がるしかないかもしれません。

 

 時間をかけて銘柄をチェックし、あれこれ戦略を変えて個別銘柄を売買しているのに資産がどんどん減っていくのはかなりのストレスです。

 

 ただ気づいてみると下がるのに慣れてきてかなりのストレス耐性がついてきた印象があります。また、その判断が正しいかどうかは別として、以前に比べると決断力が圧倒的についてきた気がします。

 

 これまでの人生でもそれなりの転換期は存在しました。

 

 アメリカ留学

 医学部学士編入

 

 などが私の人生の大転換期であったことは間違いありません。

 

 今客観的に振り返ってみると、これらの決断は妥当といえるものではないばかりか、一か八かというよりも、無謀ともいえる決断でした。成功すると思っていたというより、『失うものは何もない』、とりあえず『やらないで後悔したくないからとりあえずやってみよう』的なものでした。

 

 アメリカ留学以前の私は、決断するという点において明らかに『自主性』や『戦略性』を欠いていました。

 

 『やりたいからやる』

 『○○を達成するには、どういう戦略をたて、それを着実に実行する』

 という視点が欠けていました。

 

 なんとなく目標を設定し、盲目的に努力をする。

 

 目標達成のために自分のやり方が間違っていないか、他にもっと効果的な戦略はないのかと立ち止まって考えることはありませんでした。

 『ただ机に向かって勉強時間ばかりをかければ、いつかは志望校に受かれるのではないか』

 

 こんなことで志望校に受かるはずもありません。

 

 まだまだではあるものの、今の私は、過去の自分と比べると『自主性』と『戦略性』において成長した気がします。

 

 『修羅場を超えると、人は成長する』的な言葉は時折目や耳にします。

 

 昔は進化論的に『修羅場を超えた人=修羅場を乗り越えた人』だけが成長するのかと考えていました。

 

 今は『修羅場を超える=追い詰められた状況で判断を迫られる。判断を行い、行動を起こす』。この判断力・決断力の向上が成長につながるのではないかと考えるようになりました。

 

 先述したように、投資へのかかわり方は人それぞれです。

 

 『投資をすれば判断力が養われる』といえるものでもなければ

 『判断力・決断力を養うには投資がいい』とも言えません。

 

 投資ファンドやAIまかせでは判断力・決断力を養うことはできないでしょう。

 一方で、スポーツや車・バイクの運転を通して判断力・決断力を養える人もいることでしょう。

 

 タイトルを『判断力の鍛え方は筋トレと同じ!?』としました。

 筋トレも負荷をかけなければ筋力アップにつながりません。

 こなせる範囲で負荷をかければかけるほど、筋力も判断力もアップするのではないかというのが私の持論です。

 

 負荷をかけすぎると筋力アップよりも怪我につながります。

 負荷をかけすぎない適度な負荷をかけるのが判断力アップにつながることでしょう。

 

 普段何となく決めているものを、一つ一つ意識してみるのもいいかもしれません。

 今日のランチ、あるいはディナーを、外食するのか自炊するのか。

 予算はどの程度で、食材を買うにも、外食するにもどこまで出かけるのか。

 どの道を通り、どれくらいの時間で戻るのか。

 途中にどこにより、それぞれの店でどれくらいの時間をかけて何をするのか。

 

 考えなれないうちは面倒くさいのはもちろん、重苦しい頭痛にもつながったりします。

 ある程度考えることに慣れたはずの今でも、外科的処置、日常診療において度々判断時の頭痛は経験します。

 職業柄、『めんどくさいから』、『頭が痛いから』といって思考を停止させるわけにもいきません。

 こういう逃げ場のない状況というのも、私の判断力向上に一役かっているのは疑う余地もありません(それなりのストレスにはなります、、、) 。

 

 

 

目の前にそびえる大きな壁

 

正面からぶちあたって

 

乗り越えられたり

 

砕け散ったり

 

後者の場合が圧倒的に多いんだけど

 

よくみりゃ絶好の抜け道があったりする

 

卑怯な手段を使わずに

 

正面を見据えて抜け道を見つけられるのは

 

ただ逃げるのとはわけが違う

 

今の私はそう思う。