この間年が明けたと思ったら、もう6月です。
雪でどうこう思ってたらあっという間にゴールデンウイークがすぎ、6月。
梅雨、台風でどうこうしていたらあっという間に今年も終わりそうです。
アメブロは過去に書いた記事が『○年前の△月に書いた記事があります』と思い起こさせてくれますが、四年前の6月に『酒好き医師が教える最高の飲み方』という本を読んでブログを書いていたようです。
当時は新型コロナ流行前で、外勤先として消化器内科のクリニックで毎週土曜日に診療および内視鏡検査に従事していました。
この頃の経験が、今訪問在宅診療に携わる上でも非常に役立っています。
患者さんへの健康管理上の指導の必要性から生活習慣を意識するようになったり、私自身がジュースを飲むのをやめたのもこの頃です。
思えばこの四年で様々な変化がありました。
〇引っ越し
人生初めてのマイホーム購入(終の棲家)ということもあり、地域貢献もできればと地域の清掃活動に参加→地元の消防団に参加→自治会役員の末席に参加
〇新型コロナの影響もあって外勤終了
収入は減りましたが、その分土曜日が空いたので息子と空手に通う時間ができました。
〇空手再開
はじめはカメのように丸まって動かなくなったり、突然道場から逃げ出そうとする息子につきそう形で再開することになりましたが、息子も少し大きくなったので今年からは息子とは分れて一般の部で稽古を続けています。
〇転職(勤務先および専門家の変更)
これまで外科・乳腺外科の領域に従事していましたが、昨年からは訪問在宅診療に携わるようになりました。
私の人生の中でも、この数年はかなり大きな決断を行った時期といえます。
特にマイホーム購入は私にとって大きな転機となりました。
ご縁のある土地を購入するため、経済的余裕も返済のメドも検討することなく、タイミングと勢いだけで決断してしまいました。
そこから自らのマネーリタラシーの欠如を自覚し、ファイナンシャルプランニングや投資、経済などを勉強するようになりました。
それが読書習慣となり、毎月の新聞ダイジェスト読破、ブログ記載につながりました。
あのタイミングでマイホームを購入していなければ、これまで通り勤務先近くの賃貸住宅暮らしを続けていたことでしょう。
勤務先が変わるたびに引っ越しが必要となり、その都度子供たちは幼稚園や学校を転校するはめになります。
特に娘は数年で複数回の引っ越しを経験しました。妻によると、転校への不安は今でもあるようで、友達と仲良くなっても別れないといけなかった過去の経験から、クラスメートや同じ学年の子の名前を無意識のうちに覚えようとしない側面につながっているようです。
終の棲家と考えることがなければ今のように地域の清掃活動に参加したり、消防団に参加したり、自治会役員に名を連ねることもなかったでしょう。
また、引っ越し後、資産運用の重要性を認識し、株式投資も始めました。
現状ではその成績は惨憺たるありさま(かなりの大損)で、もっとうまいやり方があっただろうにと反省する点は大いにあるものの、投資を始めたこと・続けていることに後悔はありません。
投資は投資先・運営方法・運営戦略・投資金額など、人それぞれです。
私の場合、全て独学で全く他人をあてにせず自分自身の考えのみで投資先や投資戦略を決定しています。
株式投資の場合は、四季報で各銘柄をチェックするようになり、それでも成績がよくならないので、余裕があればチェック銘柄の企業の経営者のインタビューや人となりなどもチェックするようになりました。
そしてそれは次第に、自分の所属する勤務先や集団の首脳陣を評価する態度にもつながるようになりました。
集団のトップがまともだからといって、その集団がうまく機能するとは限りませんが、トップがどうしようもなければその集団は遅かれ早かれ破綻します。
破綻しなかったとすれば、それはただ予想が外れたというだけではなく、『(所属しているメンバーにとって)非常にラッキー』なケースだということです。
そして、今は破綻していないけど、この後破綻するリスクは非常に高いことに変わりはありません。
これまでの人生で私は『義理や人情』を重視してきました。こちらが筋を通していれば、周りもそれを認めてくれる、自分に幾分か帰ってくる。どこかでそう期待していたところがあったのだと思います。
しかしながら、そうとは限らない。むしろ『そんなことは期待できない、すべきではない』と考えるようになりました。
だからといって『義理や人情』を捨てようとまでは思いませんが、これまでのように過剰に義理や恩義を感じ、ひたすら所属している組織に尽くす必要はないと考えるようになりました。
これは他人に対する評価ばかりではありません。親としての自分、自治会役員としての自分、医師としての自分自身に対しても意識しなければならない点です。
また、ここ最近は以前に比較してかなりの頻度で銘柄を売買するようになりました。
ここ数週間、日経平均は上昇傾向をたどっていますが、私の運営成績は右肩下がりです。
しかしながら、株も人生の何事もその時点だけでは評価できません。調子がいいときは実はピークかもしれないし、最悪の時はそこが底でその後は上がるしかないかもしれません。
時間をかけて銘柄をチェックし、あれこれ戦略を変えて個別銘柄を売買しているのに資産がどんどん減っていくのはかなりのストレスです。
ただ気づいてみると下がるのに慣れてきてかなりのストレス耐性がついてきた印象があります。また、その判断が正しいかどうかは別として、以前に比べると決断力が圧倒的についてきた気がします。
これまでの人生でもそれなりの転換期は存在しました。
アメリカ留学
医学部学士編入
などが私の人生の大転換期であったことは間違いありません。
今客観的に振り返ってみると、これらの決断は妥当といえるものではないばかりか、一か八かというよりも、無謀ともいえる決断でした。成功すると思っていたというより、『失うものは何もない』、とりあえず『やらないで後悔したくないからとりあえずやってみよう』的なものでした。
アメリカ留学以前の私は、決断するという点において明らかに『自主性』や『戦略性』を欠いていました。
『やりたいからやる』
『○○を達成するには、どういう戦略をたて、それを着実に実行する』
という視点が欠けていました。
なんとなく目標を設定し、盲目的に努力をする。
目標達成のために自分のやり方が間違っていないか、他にもっと効果的な戦略はないのかと立ち止まって考えることはありませんでした。
『ただ机に向かって勉強時間ばかりをかければ、いつかは志望校に受かれるのではないか』
こんなことで志望校に受かるはずもありません。
まだまだではあるものの、今の私は、過去の自分と比べると『自主性』と『戦略性』において成長した気がします。
『修羅場を超えると、人は成長する』的な言葉は時折目や耳にします。
昔は進化論的に『修羅場を超えた人=修羅場を乗り越えた人』だけが成長するのかと考えていました。
今は『修羅場を超える=追い詰められた状況で判断を迫られる。判断を行い、行動を起こす』。この判断力・決断力の向上が成長につながるのではないかと考えるようになりました。
先述したように、投資へのかかわり方は人それぞれです。
『投資をすれば判断力が養われる』といえるものでもなければ
『判断力・決断力を養うには投資がいい』とも言えません。
投資ファンドやAIまかせでは判断力・決断力を養うことはできないでしょう。
一方で、スポーツや車・バイクの運転を通して判断力・決断力を養える人もいることでしょう。
タイトルを『判断力の鍛え方は筋トレと同じ!?』としました。
筋トレも負荷をかけなければ筋力アップにつながりません。
こなせる範囲で負荷をかければかけるほど、筋力も判断力もアップするのではないかというのが私の持論です。
負荷をかけすぎると筋力アップよりも怪我につながります。
負荷をかけすぎない適度な負荷をかけるのが判断力アップにつながることでしょう。
普段何となく決めているものを、一つ一つ意識してみるのもいいかもしれません。
今日のランチ、あるいはディナーを、外食するのか自炊するのか。
予算はどの程度で、食材を買うにも、外食するにもどこまで出かけるのか。
どの道を通り、どれくらいの時間で戻るのか。
途中にどこにより、それぞれの店でどれくらいの時間をかけて何をするのか。
考えなれないうちは面倒くさいのはもちろん、重苦しい頭痛にもつながったりします。
ある程度考えることに慣れたはずの今でも、外科的処置、日常診療において度々判断時の頭痛は経験します。
職業柄、『めんどくさいから』、『頭が痛いから』といって思考を停止させるわけにもいきません。
こういう逃げ場のない状況というのも、私の判断力向上に一役かっているのは疑う余地もありません(それなりのストレスにはなります、、、) 。