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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 皆さんは曜日算なるものをご存知でしょうか。

 

 例えば、

 今日9月19日が月曜日ならば

 今年の11月12日は何曜日ですか。

 といったような問題です。

 

 実は私、これまで『曜日算』なるものを勉強したことがありませんでした。

 同様の問題をテストなどで見たら、応用問題的にその都度、あれこれ考えてあーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら解いていました。

 9月19日を中心に、月曜日から日曜日までの表を書き、全部書くのは大変なので、+7日ずつしながら、月が替わると調整しいてくわけです。

 いうなれば、自家製の簡略カレンダーを即席でつくるような感じです。

 正解する時もあれば、ミスで間違えることもありました。

 

 これだと娘に説明できません。

 なので娘に質問されてから、娘のテキストでちょっと勉強してみました。

 

 ひとつきは最大31日ありますが、31日に満たない月があります。

  2, 4, 6, 9, 11月です。『にしむくさむらい』などと覚えます。

 さむらいというのはさむらいを表す武士の「士」という文字が十一に似ているところから来ていると認識しています。

 

 31日ある月を「大の月」

 31日に満たない月を「小の月」といい、28日(うるう年は29日)の2月を除くと30日となります。

 

 さて、上の例題を実際にといてみると

 9月は30日、10月は31日あるので

 9月19日から11月12日までの日数は

 (30+31+12)-19+1

 となります。1をたすのは9月12日の分を加えるためです。

 上記の書き方だと、先に9月、10月分の日数をフルカウントするように見えますが、ここは

 (30-19)+31+12-1でも同様でしょう。

 

 しかしながら、ルールと違ったことをすると『×(バツ)』にするような先生、塾や学校もあるようなので、これだと間違いになるかもしれません。もしそうだとしたら

 私個人としては

 「くだらない」

 としか思えませんが、ここではおいておきましょう。

 

 さて上記の計算を実際にしてみると

 55日間になります。

 

 この55日間を1週間である7日でわると

 55÷7=7あまり6となります。

 

 ここで上で1をたして9月19日もカウントしているので、1週間は月曜日から日曜日までとなります。

 つまり+1で月曜日、+2は火曜日です。

 +6は土曜日となります。

 

 さて、実際にカレンダーで確認してみると

 

 おお!

 

 土曜日

 

 正解です。

 

 5~10分眺めただけで曜日算マスターです。

 

 優秀!

 

 果たしてそうでしょうか。

 

 ここについて考えるべき点がいくつも浮かんできます。

 

 一つは、今私が解説を読みながらスラスラ理解できたからといって、

 小学生や中学生の頃の自分が同様に理解できたかというと、必ずしもそうではないということです。

 

 亀の甲より年の功ともいいます。

 何十年も生きてきて、私の知識や経験も増えています。

 今スムーズに理解できるからといって、かつての自分がそうだったとは断定できません。

 

 妻が子供たちに勉強を教えている際に

 「なんでこんなこともできないの?」という言葉をよく耳にします。

 「何度言ったらわかるの?」とも。

 

 私からすれば、「じゃあ自分は子どもの頃そんなにできたの!?」と思ってしまいますが、

 そんなことを口にすれば、家中不穏な空気につつまれることでしょう。

 

 なので、勉強がおちついたら子供たちに

 「お父さんも昔は物覚えが悪くてね。今できなくても、最終的にできるようになることが大事だからね。人間は何回も忘れるけど、一回理解して忘れちゃうのと、全くやったことがないのは全然違うからね。大事な事は忘れちゃったら、忘れなくなるまで何度も繰り返すことが大切だよ

 と伝えるようにしています。

 

 ここでも視点をちょっと変えると、子供たちは妻に忘れることを何度も指摘されながら、繰り返すことで記憶を定着させています。

 

 少なくともうちの子供たちは、すぐになんでも覚えられる程、記憶力がよくありません。

 それでも現在のそれぞの年齢において、当時の私よりはるかに物知りです。

 

 当ブログで何度も、私が理科社会をはじめとした暗記科目に苦手意識があることをお話しています。

 

 暗記科目が苦手だと思っていた私は、三角関数の公式も

 加法定理は仕方ないので『さすってこすって、こすってさすって』暗記しましたが、

 半角、2倍角、3倍角の公式は覚えずに、その都度公式を導く方法をとっていました。

 

 今から思えば『急がば回れ』で公式を覚えてしまった方が早かったのですが、当時の私は覚えられる気がしませんでした。

 

 でも、よくよく考えれば大きな矛盾に気付きます。

 

 そう!!

 

 加法定理は覚えられているのです。

 

 要は、覚える気がなかっただけだと今では理解できます。

 

 ただ当時は、そんなことにも気づけませんでした。

 

 記憶力のいい、悪いはあります。

 

 でも多くの場合、『記憶できないのは頭が悪いからではなく、本当に覚えなければならないと脳にまでその必要性が伝わっていないから』だと今の私は考えます。あるいはそのための反復が少ないからでしょう。

 

 電話番号や郵便番号も繰り返し、見たり書いたりしているとそのうち自然に記憶されるのをみても明らかです。

 

 

 続いて、私も受験に関してはそれなりの時間を費やしてきたにも関わらず

 『曜日算』なるものをマスターしていなかった点です。

 覚えていたのを忘れていたわけではなく、1度もマスターした覚えがありません。

 

 試験でも曜日算的な問題をみかけた覚えはあります。

 

 正解でも、間違いでも、その問題をそのままにしてしまい、『次に同じような問題をみかけたらすぐに解けるようにしておく』という態度が欠如していたのが明らかです。

 

 私は塾というものに小学校5年生から入りました。

 

 この時点で周囲の生徒と差があったので、私は理科社会までではないものの、算数にも苦手意識がありました。

 

 今、子供たちの教育について、妻を介してママ友達の話も耳にしますし、医師の世界では幼稚園受験、プレスクール、小学校低学年から塾に通うのが当たり前のようです。

 

 私自身、家族は医療従事者でもなんでもなく、父はサラリーマンでしたし、母は短大卒です。

 

 空手や習字、そろばんなど習い事はそれなりに大変だったものの、小学校5年で塾に入るまで、いわゆる受験組と比較すると圧倒的に勉強量が少なかったと認識するようになりました。

 

 同級生の中には小学生の頃から「神童」のように頭がよいとされている人達が何人かいます。

 

 私は「彼らにはどう頑張っても勝てない」と考えてきましたが、

 

 「彼らは勉強において、それだけ頑張っている」という視点が抜けていました。

 

 中には天才も存在するかもしれませんが、「ずば抜けて頭がいい」とされる人の多くはそれだけ人以上に勉強に時間を費やしているのだと考えます。

 

 時間をそれほどかけていないのだとすれば、それは「効率がいい」からではないでしょうか。

 

 

 今、思い返せば、N高からT大に現役合格した小学校からの友人は、中学が終わると、

 「帰って勉強しよ!」とニコニコしながら走って帰っていたのを思い出します。

 

 当時は「うわ、やっぱ天才は普通とは違うわ」と思っていましたが、

 勉強することに楽しみを感じ、それだけ時間を費やしていた彼に、当時の私がおいつけようはずもありません。

 

 幼少期の私の勉強においては、スタートの気持ちの時点ですでに問題だったのだと考えます。

 

 相手や自分が車の運転の才能がある・ないに関わらず、何年も車の運転をしているドライバーと、免許取り立ての新米ドライバーだったら、どちらがより運転が安定しているでしょうか。

 通常はベテランドライバーでしょう。

 

 運転初心者が、中年ドライバーをみて、ああ「自分は彼/彼女達ほど運転の能力がない」と考えることがあるでしょうか。

 

 そんなことが、勉強の世界だと当たり前のように起こっている気がします。

 

 

 

 この年になって受験関連の本を読むようになるまで、私は「勉強法」について学んだり考えたりすることはありませんでした。

 ひたすら机に向かって、時間を費やすばかりでした。

 

 

 母は、私に不自由させまいと「勉強した方がいい」と言い続け

 私も「勉強をしていい大学を出て、いい会社に入った方が生活が楽になりそう」という思いで、勉強にそれなりの時間を費やしてきました。

 

 ただ、母は自分自身が勉強をしてこなかったので、勉強方法や勉強内容に関する具体的なアドバイスは一切ありませんでした。

 

 さらに状況をややこしくしたのが、母親の父(私からすれば祖父)が学校の校長先生やらなんやらで、母自身も保育士免許をもっているので、『教育者』的視点からのあれこれが親族からやたらと多かった点です。祖母は教師でも何でもなかったにも関わらず、とにかくやたらと説教されたのだけ記憶しています。何を注意されたのか、何を言われたのかもよく覚えていませんが、とにかく説教されまくった記憶があります。こう言ってはなんですが、祖母=説教の記憶しかありません。

 

 自分達が実際に正しいかどうかに関わらず、『絶対的正義』として価値観やら説教をおしつけられてきました。

 

 家族には感謝しています。

 

 が

 

 こと教育に関しては、彼らは間違っていたとしか思えません。

 

 私も含め、親や教育者も完璧ではありません。

 

 『完璧ではないから親や教師をやってはいけない』

 とは思いませんが

 『親や教師だからといって完璧とは限らない』という視点を親や教師自身がもつべきだと考えます。

 

 

 娘に教えるのをきっかけに、『曜日算』を一つマスターしました。

 

 「優れているから教える」

 のではなく

 「教えながら自分も学ぶ」

 

 という態度をこれからも忘れずにいようと思います。

 

 

 

 

 まさに人生における大転換点を迎えている気がします。

 

 まずは来週火曜日 

 精神科でもらった診断書を職場に持参します。

 『診断名:適応障害。移動を含め環境への配慮を要する』

 もう何年も同じ結果です。今回は私自身が「もう今の職場で働くのは無理です」と話したので、「移動を含めた」という文言が入っています。

 

 自分自身を振り返ったり、精神科の主治医の先生、弁護士の先生(私的にはこれまで弁護士の先生はたてずに話し合いを続けてきましたが、要求等があれば弁護士をたてろの一本やりで話にならないので仕方ありませんでした)に相談して確信したことがあります。

 

 私の精神的不調は病気でも何でもなく、ただの過度の職場におけるストレスに対する生理的反応だと。実際、休職中の私の精神状態はすこぶる好調です。

 

 今の状況では現在の職場で働き続けるのは困難です。

 詳しい説明もないまま就業禁止命令を言い渡され覚悟を決め、そしてすっきりしました。

 この職場じゃやっていけないと。

 

 別に今の職場じゃなくても職はあることでしょう。

 ないかもしれません。それでも今の職場にこだわって完全につぶれてしまうよりましです。

 

 潰れてしまわなければ、この次もきっとあるはずです。

 潰れてしまっても、今の職場も含めて、誰も助けてはくれないでしょう。

 今も、自分であれこれ動き回っていますが、特に第三者の助けを実感することはありません(まだどん底まで苦しんでいないというのもあるかもしれませんが)。

 

 

 

 株式投資も大失敗しました。

 先週、以前より注目していた銘柄が急激に株価を下げました。

 そろそろ反発するだろうと集中投資をした結果、決算の影響もあり、さらに大きく値を下げました。

 これまで投資を始めて3年が経過しましたが、過去最大の損益です。しかも数日の間にです。

 

 やっぱり、大きなリターンを狙う前に、リスクは最小化すべきだと改めて認識しました。

 投資で重要なのは『儲けることより、まずは大きな損失を出さないこと』

 これまでも何度も自分に言い聞かせてきたつもりでしたが、休職になったあせりも手伝い、自分で課したルールに反した投資手法をとってしまいました。

 

 仮にあそこで損失でなく大きなリターンになっていたら、もっと過信していたのかもしれません。

 焦らなければまた損失は回収できるだろうと今は呑気に考えています。

 

 むしろ、今後は『欲を出し過ぎて十分なリスクを認識しながらも、それを無視することがない』よう徹底したいと思います。

 

 今年は年始しょっぱなこそ株価が上がったもののすぐに下落し、ロシアによるウクライナ侵攻、中国のロックダウン、物価上昇、世界的な金融引き締め傾向など、株価が急落するイベントが続いています。

 今回もアメリカの消費者物価指数の影響か、ダウ平均も一日で1000ポイント下落してしまいました。

 

 ピンチはチャンス。株価が下落したということは焦らず下がったところで購入すればその戻りだけで大きなリターンを得られるはずです。

 

 しかもピンチが何度も来るということは、裏を返すと、チャンスも何度も来るということです。

 

 9月16日(今週金曜日)に四季報を購入し、現在銘柄をチェックしながら振り返っていますが、これまでも下落した株価が反発するチャンスが何度もありました。

 今のところそのチャンスを十分活かせずに来てしまいました。その焦りも手伝って今回、無謀な購入にふみきってしまったわけですが、何事も焦りは禁物です。

 

 これまでチャンスを活かしきれてなかったので、自分の投資スタイルに迷いが生じてしまいました。今回大失敗してみてよくわかりました。

 儲けられないのは確かに『上手く』はないかもしれないけど、どんな状況にあっても『大きな損失を出さない』のも立派な投資スタイルだと。

 

 高い授業料を払ったと思って、今一度基本に立ち返りたいと思います。

 

 

 

 さて、職場に診断書を持っていくことよりも、株の大暴落よりも気になっているのが、来週水曜日(職場に出向く次の日)に予約した上下部消化管内視鏡検査(胃カメラ・大腸カメラ)です。

 

 胃カメラは10年程前に行ったことがありますが、大腸は初めてです。しかも、大腸癌は家族歴があります。

 食道がんや膵癌・肺癌だったら運が悪かったと諦めようかとも思いますが、大腸癌は早期だったら内視鏡的に切除することも可能です。

 これまで忙しくて内視鏡の予約をとる暇などなかったので、この機会に予約を入れてみました。

 これが今、一番ドキドキです。

 

 さしあたって体調において私が心配なのは大腸癌(以前から過敏性腸症候群様の下痢傾向および左下腹部違和感があり、家族歴もある)、高尿酸血症(20代の頃、スポーツ(フットサル、空手)の影響もあってよく水がたまった際にも指摘され一時薬を飲んでいたこともあります。就職後も何年も高尿酸血症を指摘され続けてきましたが、数値が変わらないのでずっと放置してきてしまいました)、視力(そろそろ老眼の影響が強くなりそうなのと、屋外のまぶしいところで飛蚊症が以前より気になる印象)です。

 

 私の場合、癌にかかるとすると、一番リスクがあり、かつ早期発見もすべきなのが大腸癌だと考えています。

 

 これで何もない、あるいは早期に治療可能なものだとしたら一安心です。

 

 高尿酸血症については、今後、在宅・訪問診療の分野を視野にいれているため、現在内科の一般的な疾患(Common diseaseなどともよばれます)の勉強を行っています。

 治療等も含め、自分自身の健康管理もあわせて行っていこうと思います。

 

 眼科も内視鏡が終わったら受診を検討してみようと思います。

 

 

 

 内視鏡結果がどうなるかわかりませんが、今回体調を崩さなければ、職場の変更を検討すること、内視鏡検査を受けること、自分自身の人生を改めて振り返る機会はなかったと思われます。

 

 株式投資もピンチをむかえましたが、

 

 何事も

 

 『ピンチはチャンス』

 

 ともいえます。

 

 このまま我慢して今の職場で働き続けるという選択肢もあります(その際は、もう何の要求もできないことでしょう。まさに『嫌ならやめろ』状態です)。

 

 投資も自分の投資スタイルを反省しないで、今の経済や政治状況のせいにして

 『このご時世しかたない。おれのせいじゃない』

 と自分をなぐさめることも可能です。

 

 最悪の時にはいろんなことが重なります。

 

 私のこれまでの人生は順風満帆から程遠いものでした。

 しかしながら、その経験から培ってきたものもあります。

 

 おそらく私が現役あるいは何浪かして大学入学、卒業し、サラリーマン(浮き沈みの少ないどちらかというと順風満帆な人生)になっていたら現在の私はなかったことでしょう。

 

 何年も前に鬱症状で職場に向かえなくなった時、私は何もできませんでした。

 結果、一カ月給与が入らず、目の前が真っ暗になり急いで職場復帰せざるを得ませんでした。

 この時は、かつての上司の先生のお誘いもあり職場を変えることができました。

 

 昨年の就業禁止の時も、何もできず、給与がなくなる不安から、適応障害の診断書とともに一カ月で焦って職場に戻りました。結果、心身ともに疲労が一段と蓄積することとなってしまいました。

 

 今回、就業禁止を言い渡された後、その日はショックでどう帰宅したのか、その日は何を考えていたのか今でもはっきり思い出せません。

 

 ただ今回は、翌日には精神科の受診予約をとり、弁護士の先生のつてをたどり、職場を変えるとしたらどういった選択肢があるのかを探したりと

 ピンチの状況だからこそ

 『今何をすべきか』

 にひたすら心を悩ませました。

 最近は、いつか心身ともに疲れ果て再起不能になるかもしれないという覚悟を常に持っていたことも影響したのだと思います。

 

 以前にも当ブログで何度も書いていますが、

 私は同時にいくつものことを考えることができません。

 

 ショックでただただ落ち込んでいたら、何もする気にもなれませんし、何も行動に移せません。

 

 しかしながら、『今何をすべきか』を考えることに集中すれば(ショックや不安で集中できなくても、流されるんではなく気持ちを自分のプラスになる方向に無理矢理にでも持っていくのがよいと考えます)、何もせずにウジウジしなくてすみます。

 

 

 

 職業柄、これまでもそれなりの方々のお看取りを経験してきました。

 悪性腫瘍のStage Ⅳの告知、余命告知

 中には、うつや不安障害などの既往があり、リストカット跡がみられるような方もいらっしゃいました。

 

 しかしながら、これまで主治医として

 いよいよ死期が迫る中で「死にたい、殺して」と言われたことは一度もありません。

 

 もちろん、告知当初にはそのような言葉を口にされる方はいらっしゃいます。

 

 私自身は、実際同様の経験をしたことはありませんが、これまでの医師のみならず人生を通しての哲学、人生観などから

 

 自分が相手だったらどうだろう

 と思いながら

 

 「 私も含めて、病気がなくても事故で近いうちに亡くなるかもしれません。その可能性はゼロでもありません。でも普段はそんなこと気にしないで生きてます。

 今日の診断がショックで仕方ないのはわかります。でも今日受診せず、検査も受けなかったら、自分は病気かも、死ぬかもしれないと思っていても、それを確信することはなかったはずです。

 心配はあっても、食事は食べられるし、家族や友人とも笑顔で話せる。

 それが今日受診して、私が話をしたことによって食事ととれなくなって、眠ることもできなくなったら本末転倒でなんのために受診したのか分からなくなります。

 

 少なくとも、受診しなければよかったということはないように努めます。

 

 苦痛が全くないというとウソになるかもしれませんが、痛みがあればできる限りなくせるように努力しますし、吐気、咳、息苦しさなどが出てきたら、できる限りのサポートをします。

 

 何もせずにダラダラ過ごして80歳、90歳になった時に、自分の人生ってなんだったんだろうという人生もあるかもしれません。

 でもこの1週間、1か月、1年でこれまでの何年もより充実した時間を過ごせるということもあるでしょう。

 何もせずに最期を迎えられるというのも選択肢だと思います。でもやり残したこと、やりたいことがあって、今それができるなら、それを優先して行えるような時間の使い方をして欲しいと思います。

 そのために主治医として私にサポートできることがあれば最大限の努力をします」

 

 これまでこのようなお話を皆さんにして、信頼関係を築きあげていくなかで

 先ほどお話したように「死にたい、殺してくれ」と言われた記憶は皆無です。

 

 人は「実際にどうしようもない、あらがえない状況」に対して絶望するのではなく

 「無限に続くと思われる不安、恐怖」に絶望するのだと考えます。

 

 『遠くない将来最期を迎える』という状況の中でも、その時間を大切にしようという気持ちになれれば人は前を向いて行けるのだと考えます。

 

 

 

 決して少なくないお見取りの経験の中で

 常に、自分がその立場だったらと考えてきました。

 なので、今回内視鏡検査で何か見つかっても

 ショックを受けることはあっても、「まさか自分が」とは思わないと思います。

 もし思ったら、大きなツッコミを自分に入れたいと思います。

 「今までなんやってーん!。全部ウソかーい!」と。

 でも、おそらくそういうことはないと思います。

 

 過去に一度人生を投げ出そうとしておいて、今更なところもありますが

 もし自分が悪性腫瘍で末期という診断を受けた場合、

 その状況でどういう言動をとるかは、子供たちにも大きな影響を与えると思います。

 

 今回、就業禁止を受けた当初は子供たちも

 夜寝る前にも必ず私の部屋にきて

 「お父さん大丈夫?元気出してね。おやすみ」

 といっていたのが

 

 最近では

 「お父さん、いつまでおうちにいるの?」

 と言うようになってきました。

 

 子供たちは見ていないようで、よく見ています。

 

 息子がイライラしたら大声をあげたり、ものに当たろうとするのは私の過去の言動のせいです。

 

 今回、人生最悪ともいえる状況の中で、あれこれ動き回る私をみて、感じ取る部分もあったことでしょう。

 

 

 

 というわけで

 今の私はクヨクヨウジウジではなく

 ワクワクドキドキです。

 

 今のところ、強がりじゃないつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 めまぐるしく変化する税制および法改正

 相続税は10か月以内に申告・納付が必要だし、

 4か月以内に被相続人の所得税の順確定申告も必要。

 知ってるのと知らないのとでは大違い!

 

 

 

 

 成年年齢が20歳から18歳に引き下げられたり、相続税や贈与税の見直しがなされたりと、時代に合わせて税制はめまぐるしく変化しています。

 

 相続税開始後(被相続人が死亡あるいは失踪宣告を受けた時)、10か月以内に申告・納付が必要になりますし、4か月以内に被相続人(個人)の所得税の申告(順確定申告)を行わなくてはなりません。

 

 うちには財産なんてないからと思っていると、実は親の借金が残っていて、相続放棄をしなければそれを肩代わりする羽目になってしまうかもしれません。

 恐ろしいことに、相続の発生から3か月以内に相続放棄の手続を済ませないと単純承認(つまり借金も含めて遺産を引き継ぐ)したものとして扱われてしまうようです。

 

 いざ相続する立場になってからあれこれ考えると大変そうです。事前に予備知識を入れておくのは大切だと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 相続税・贈与税について学んでみると、これまでの自分の認識が大きく誤っていたことにも気づかされました。

 例えば、『遺留分制度』です。

 

 ドラマや映画などで、「自分の財産は全て愛人に」という遺言書によって、事件が起こったりするのをよく見かけます。

 

 遺言書の内容は相続において最重要ですが、民法では遺族の生活を保障するために一定基準を相続財産から遺族に残すように定められているようです。

 これが『遺留分制度』と呼ばれます。

 

 原則として、法定相続分の1/2が遺留分とされているようです。

 ここでも、相続人が直系尊属(父母)のみであると、1/3になったりと条件が変わると数字も変わってくるようです。

 

 例えば、妻と子供2人をもつ人が「財産1億円をすべて愛人に」と遺言した場合、

 妻と子供の遺留分は全体の1/2である5000万円を要求できるようです。

 愛人の取り分は5000万円です。

 

 この遺留分侵害額を請求するためには、相続開始あるいは遺留分の侵害を知った日から1年以内に、受遺者(遺言により財産を受け取った人)に「遺留分侵害額請求」とよばれるものを請求しなくてはなりません。

 

 また、愛人は法定相続人(被相続人の配偶者と血族に限られる)ではないため、相続税も配偶者(妻または夫)より多く課されます。

 

 配偶者の場合、相続税であれば

 「法定相続分までは控除する」

 「1億6000万円までは相続税がかからない」

 という配慮がなされています。

 

 やはり知っているのと、知らないのとでは大違いです。

 

 

 後半の方で、財産の価額評価(土地や有価証券を金額としてどう評価するか)や節税対策などについて説明されていますが、ややこしくて読んでいて疲れました。

 

 p.202に"上場株式および気配相場のある株式は全部で約2000銘柄しかなく"と明らかに誤った記載もみられました(日本取引所の2022年9月2日のデータでは上場会社数は3825社となっています)。

 

 ところどころ理解できない箇所が存在しましたが、私の理解不足が原因なのか、記載に誤りがあるからなのかはよく分かりません。

 

 他書を読んでないので比較はできませんが、いずれにしても相続・贈与に関してまとまった知識を得るには本書で十分と考えます。

 

 本書に限らず、相続と贈与に関する書籍を1冊でも読んでおくと、いざという時に役立ちそうです。

 

 

 

 

 休職して一カ月程度。

 休職するまでは、AM2時に寝ようが、週末に目覚ましをかけずにAM3時頃にねようが、自然とAM6時頃には目が覚めていました。

 

 しかしこの一カ月、次第に夜更かしをしたり、夜更かしが響いて朝方寝たりしていたら、すっかり生活リズムが狂ってしまいました。

 

 悪循環というものは恐ろしいもので、

 夜寝るのが遅くなる→朝方に眠る→目が覚める。それでも頭がすっきりしない。だから昼寝する→夜眠れなくなる→夜寝るのが遅くなる

 といった感じで、これまで数年かけて形成されたリズムもあっという間に消滅してしまいました。

 

 そろそろ今日ぐらいから元に戻すようにしていこうと思います。

 

 ポイントは、昼間に起きておくことだと思います。

 

 眠いのに眠れないのも大変ですが、眠くもないのに眠ようとするのも大変です。

 

 しかも眠くもないのにだらだらと寝続けると、頭がぼっとして冴えないばかりか、頭痛のような重苦しさに悩まされることもあります。

 

 こんな時、気分がさえずにまたゴロゴロしてしまいがちですが、むしろ外出して、陽の光にあたるのが大切だと思います。

 

 日の光に当たらず、部屋の中にこもってばかりいると、体内時計が狂ってしまいがちです。

 陽の光をあびることで、体内時計がリセットされる効果も期待できます。

 

 部屋にこもって、読書をしたりテレビをみていると、眠気が誘発されるとそのままウトウトしてしまいます。これがまた悪循環にもつながります。

 外出していると、横になって眠るというのもよっぽどの猛者でもない限りできません。意識を失いそうなほど眠い場合は、そこまでの無理はすべきではないでしょう。

 

 身体を動かすと、次第に脳も目を覚まし、頭の働きもすっきりしてきます。

 

 私が高校生や予備校生だった頃、ただひたすらに机に向かっていました。

 当時は自分のことを『ど』が付くほどの真面目だと思っていましたが、

 効率や効果を省みる事なく、ただひたすらに目の前の作業にとりかかっているのは『真面目』かどうかとは別だと考えるようになりました。

 

 もちろん、不真面目だということにはなりませんが、

 『真面目さ』だけでなく、目の前の作業に固執することで不安から目を背けたかった部分があったのだと思います。

 

 これは、戦略的な観点からいえば、最悪です。

 これは『真面目』というより、ただ『盲目的』に自分の言動に固執しているだけといっても過言ではありません。

 

 戦略を最適化する上では、目的達成のために練り出した作戦や計画を着実に果たそうとする『真面目さ』は大切です。

 しかし、一方で、自分が今とっている行動は、目的達成のために適切なものなのか。無駄はないのか、あるいは状況の変化に応じて、行動あるいは作戦・計画そのものを変更する必要がないかを絶えず意識していなければなりません。

 自分が立てた計画が適切なものであるならば、自分はその計画のどのあたりにいて、ゴール達成までの時間制限の中で現実的に達成可能な位置にいるかといった判断もしなければなりません。

 

 たとえ計画や作戦が完璧であっても、その達成に三年はかかるものを、1年間の時間制限の中で行おうとしても無理なものがあります。

 

 

 

 

 私にこのことに気づかせてくれたのが、アメリカ留学でした。

 

 私の大学、特に生物のクラスでは、2~3日の間に、教科書でいえば50~60ページは読まなければなりませんでした。大抵、1学期間には4クラス程度をとっていて、しかも書かれているのは全て英語です。そうなると200~250ページの英文を読まなければなりません。読むだけでなく、場合によってはエッセーを書いたり、問題を解いていかなくてはなりません。

 

 受験生・浪人生だった頃の私の方法をそのまま当てはめたのでは、課題を終えられないのは目に見えていました。

 

 私は性格上、教科書の1ページ目から読まなければ気持ち悪くなります。その本を読んでいなくてもそれほど気にならないのに、読むとするとページをとばしとばし読むのが気持ち悪いのです。

 

 でも、そんなことをいってられる場合ではありません。1ページ目から全部読んでいって、4クラス全ての課題を終わらせる程、私の能力は優れていません。

 

 結果、まずは課題を確認し、それをこなすのに必要な情報を探す方針をとりました。

 教科書を読むのであれば、章の初め、終わりをよみ、サマリーのページがあればそこを始めに全部おさえる。

 それだけでこなせる課題に関しては、それで終わらせる。

 

 あとは、重要そうな箇所を選んで読み飛ばし、余裕があれば戻って読み進める。

 

 

 

 当時は、キャンパスが24時間空いていて、教室なども全ての授業が終わると、生徒が早いもの順で自由に使えました。図書館もAM9時からAM0時まではオープンしていました。図書館は授業がないので、自分のクラスが終わると、まずは図書館に移動し、夕方や夜になると教室に移動していました。

 

 当時はまだ20代だったこともあり、睡眠時間は2~3時間程度でも無理がききました。もちろん、それだけだと足りない場合もあります。油断すると睡魔に襲われたり寝坊するかもしれません。

 

 なので、明け方にシャワーを浴びに寮に戻り、そこからはその日の一限目のクラスで勉強するわけです。これだと睡魔に襲われても遅刻する心配がありません。

 私の大学では、出席率も成績の一部分を担うので、一回授業を休むだけで大きな痛手でした。授業はもちろん、試験の日も遅刻や欠席しないことが重要なのはいうまでもありません。

 

 私が待ち遠しかったのは、金曜の午後です。

 基本的に土日はクラスがないので、金曜の午後からは徹夜も可能です。

 疲労が蓄積していれば、朝から晩まで寝続ける事も可能です。

 金曜の夕食から、土曜の朝・昼・夕食がとても楽しみでした。

 歩いて30分程かかるモールまで行き、ビュッフェを食べたりしました。普段は時間的にも、精神的にもそんな余裕は一切ありませんでした。

 

 金曜日、土曜日は可能な限り勉強に費やしました。

 

 そして日曜日の朝がくるとブルーになりました。ああ、また月曜日がやってくると。

 

 私がここまで勉強に没頭できたのも、高卒で社会に出た経験があったからでした。

 営業だと、こちらがどれほど努力をしても、報われるとは限りません。

 初めから契約するつもりもないのに、からかい目的で話を聞いてくる人もいます。

 

 それに比べ、勉強は努力をすると、点数がついてくることがほとんどです。

 仮に試験の点数が悪くても、それは自分のミスで終わります。

 営業のように、上司から罵声をあびせられたり、殴られたりすることもありません(昭和の日本では、殴ったり蹴ったりというのが日常的にみられる職場が少なくありませんでした...)

 

 勉強できるのは当たり前のことではない。

 勉強は誰のためでもなく、自分自身のためにするもの

 学校で勉強をするためにお金がかかり、それを親だったり誰かしらが払ってくれている

 

 社会人の経験はこのような意識を私に与えてくれました。

 

 

 

 さすがにアメリカ時代のような生活は今はできません。

 やっても、次の日に疲れが残り、却って効率がおちるだけです。

 

 生活のリズムをしっかりと保ち、必要な睡眠はしっかりとる。

 

 睡眠を削って効率がおちると、通常なら1~2時間で終わるところが、4~5時間経っても終わらない場合もあります。

 

 また、精神的にも疲れているので、ちょっとしたことでイライラしたりもします。

 

 気合や根性で乗り切れるのならそれもありですが、「これは効率がおちているな」と感じたら昼寝をとったり、生活リズムを変えることを考えるべきでしょう。

 

 

 また勉強関連の本にもよく掲載されていますが、眠くなってきたら、座らずに少し立って歩いたりしながら本を読んだり、問題を解いてみるのも効果的です。

 

 

 かつての私のように

 『頑張っているのに、なかなか結果が伴わない』

 『頑張っているのに、なかなか効果が現れない』

 とお悩みの方は一度是非自分自身に問いかけてみてください。

 

 『自分のとっている戦略は、目的達成のために正しいものなのか』

 『目的を達成するために、もっと効果的な方法はないか。あるいは自分の方法でもっと無駄を省けるところはないか』

 

 結果が出るまでに時間がかかるものもあります。

 戦略が正しくても、結果がでるまでもうしばらく時間がかかる場合、その戦略を粘り強く続ける必要があります。

 しかしながら、間違った方法では、いつまで経っても成功には結びつかないかもしれません。

 

 

 私自身、現役時代だけでなく、何年か浪人生活を続けても結局志望校合格を果たすことができませんでした。

 

 

 よく、『〇浪以上したら、もう合格しない』といわれることがあります。

 これまでの私自身の経験等を踏まえ、これに関して思うところがあります。

 

 何事も絶対は存在しません。

 〇浪以上しようが、受かる時は受かります。

 

 ただ、「通常はほとんどの人が現役あるいは1浪で受かるのに、どうして自分は何年も浪人しても合格しないのか?」という分析が必要不可欠です。

 

 「自分は平均の人より習得に時間がかかるので、この方法で今年は合格できる!」と自信を持っていえるのであれば、今の方法を続けるべきです。

 

 しかしながら、自信をもっていえない、あるいは上記の答えに明確な答えが出せない場合、今の方法に固執する前に、その答えを見つけるべきだと考えます。

 

 

 

 

 と、えらそうなことを書き記しながら

 私の乱れきった生活リズムを改善したいと思います。

 

 あ!? もうAM3時だ!

 

 

 

 

 休職が続いています。

 そろそろ一カ月です。

 過去5年程の間にも、心身的な不調を抱え、休職したことがありました。

 これまでは休職しても、経済的なこと、仕事のことが心配になり、急いで復職してきました。

 

 一度復職すると、業務はそれなりにハードなのですが、職を失うこと・経済的に困窮することへの不安、上司の先生や患者さんへの申し訳なさからだましだまし頑張ってきました。

 とはいえ、これ以上同じことを繰り返すのは得策ではないと判断しました。

 

 今回は休職によってかなりリフレッシュできましたが、同じことを繰り返していれば、何もやる気がおきないような精神状態に陥り再起不能になってもおかしくありません。

 

 働き方改革などが打ち出され、職場環境への配慮がなされるようになってきました。

 パワハラの報道が増えているように、これまでは指導や教育とされてきた行き過ぎた言動が、社会的に処罰されるようにもなってきました。

 

 以前よりは明らかに労働環境への意識が高まってきたのは明らかですが、それでも組織や地域によってそのレベルは様々です。

 

 いまだ、旧態依然として、昭和さながらの現場や報道を見聞きすることがあります。

 

 『昔は許されたが、今だと許されない』

 

 まあ、言ってしまえばそうなんですが、

 私は、この態度がそもそも間違っていると思えてなりません。

 

 『かつてはお咎めがなかったので許されたけど、今の時代だとパワハラに相当する言動は慎まなければならない』

 

 こんな意識だと、パワハラ的な言動は多少は少なくなったとしても、決してなくなることはないでしょう。

 

 『怒られるのが嫌だからやらない』という子供と同じです。

 

 怒られなければ、またやるでしょう。

 

 『ばれなきゃいいんだろ』

 となるのが目に見えています。

 ひどい場合になると、『お前、チクっただろ』という反応すら見られそうです。

 

 そうではなく、

 『同じ組織に所属する仲間同士、誰もが過ごしやすく、協力して組織の発展を目指す』

 同じ組織のメンバーとして、上下関係に関わらず全ての人を尊重し、助け合う気持ちがあってしかるべきなのではないでしょうか。

 部下の成長は組織の生産性を高め利益を増やす。

 上司の指導によって自分の成長が自覚できれば、組織に対する忠誠心や貢献度を高めようと思えるものでしょう。

 

 トップ、上司と、トップダウンで広くその意識を浸透させられれば、組織の雰囲気や連帯感は著しく変わってくるはずです。

 

 「誰が給料はらってやってるんだ」

 「お前は仕事がほんとできねえな、この給料泥棒」

 

 こんな態度では、パワハラ的な言動がなくなるはずもありません。

 自分の指導力や教育力の低さを棚にあげ、部下のせいにすることも可能です。

 

 これは職場に限ったことではなく、家庭にもあてはまります。

 

 「誰が金を稼いでやってるんだ」

 「ほんと何やってもダメだな。このごく潰しが」

 

 家族のメンバーが仕事をしてくれていて、そのおかげで生活がなりたっていることを理解・意識することはとても重要です。

 

 だからといって、それを恩着せがましく、「だから子供は親の言うことをきけ」というのは乱暴です。

 

 子供に比べて、知識や経験が比較的多い親が、子供たちに教育やアドバイスするのは必要です。

 場合によっては『子供の気の迷い』だったり、『若気の至り』だったりすることもあるので、子供の希望よりも、親のアドバイスや教育を優先させるべきケースも存在するかもしれません。

 

 そうであったとしても、初めから『子供は親のいうことを聞くものだ』という考えを前提としてもってしまえば、子供たちの希望や夢がないがしろにされてしまいがちでしょう。

 

 私自身は、親にほとんどほめられることなく育ってきました。

 

 揺らぎに揺らぎましたが、幸いにもこれまで、『頑張ればなんとか状況は好転する』という根っこが完全に折れることはありませんでした。

 

 誰もが自分を認めてくれなくても、誰もが自分を見捨てても、自分さえ自分を信じていれば、人は前を進んでいけます。

 

 しかしながら、人はそこまで強くありません。

 

 これまでの私も、本当にくじけそうになった時に、なんとなく光のようなものが差し込んできたように感じられたので、紙一重でつなげてこれた感じです。もう少し、事態が好転するのが遅ければ、自分への自信や、努力の継続をする気力など全て消え去ってしまっていたかもしれません。

 そして実際にそうなりかけたのも一度や二度ではありません。

 

 子供達が自分を見失いそうになった時、親は最も、寄り添える存在の一つなのではないでしょうか。

 

 親が子供を自由に変えることができないように、子供も親を自由に変えることはできません。

 

 親や指導者として、子供あるいは教え子にとってなにが最もベストと思われるかを柔軟に考えられる存在でいようと努めることは可能です。親や指導者である私達自身は、子供や教え子にとってベストな存在を目指せるのです。

 

 「勉強しなさい」

 「スポーツをしなさい」

 「習い事をしなさい」

 

 親のエゴで有無をいわさず無理矢理やらせるか

 勉強や、スポーツ、習い事のメリットは何で、それが人生にとってどういう意味をもつから勧めるのか。

 同じ指導やアドバイスだったとしても、そういったことも含めて伝えているか、子供たちの気持ちや希望への配慮がなされているか否かで、結果は大きく変わることでしょう。

 

 

 

 復職にあたって、職業は変えませんが、専門は変えるつもりです。

 またゼロに近いところからの学びなおしが必要です。

 

 人生には浮き沈みがあります。

 人によっては、過去に人生のピークともよべる大きな栄光があり、その後下降をたどっていると感じられる方もいらっしゃるかもしれません。

 

 そんな場合であっても私は、『人生において現在が最も進化した時点』だと考えるようになりました。

 

 過去に大きな栄光があり、その後下降線をたどっているとしても、成功とともに、その後の厳しい時間を経験してきているわけです。

 

 病気の後遺症や進行、加齢によって、かつてはできたことができなくなることもあるでしょう。

 

 かつてできたことが出来ないことは、ある側面からみればマイナスです。

 しかしながら、出来ていたことができなくなったという困難な状況を経験し、その時間を過ごしていると考えれば、その経験はプラスのはずです。

 

 その状況を克服し、かつての栄光以上の成功をまた収められるかもしれません。

 

 治療で病気が治ったり、科学技術の助けを借りて、状況を改善あるいは克服できることもあるでしょう。

 

 仮に事態が好転しなくとも、その困難に立ち向かい克服しようとしていれば、その態度が誰かに感動や尊敬の念を抱かせるかもしれません。

 

 

 私はこれまで、あまり周囲に評価されることがなかったので、どこか『人生は個人戦』だと思うようなところがありました。

 

 人の気持ちは分かりません。しかし、自分は気づいていないだけで、自分を評価し、あるいは尊敬してくれている人もいるかもしれません。

 

 子供達、特に息子は私のいいところも悪いところもすぐにマネします。

 

 決して結果がでなくても、前を向いてあがき続ける。

 

 そうすることにも意味があると、かつてないほど思える今日この頃です。

 

 一か月後、一年後の私は、今よりもっと面白い存在になっているはずです。

 

 そしてそうなることは、5年後、10年後に、子供たちがはるかに面白い存在になることにつながると考えています。