皆さんは曜日算なるものをご存知でしょうか。
例えば、
今日9月19日が月曜日ならば
今年の11月12日は何曜日ですか。
といったような問題です。
実は私、これまで『曜日算』なるものを勉強したことがありませんでした。
同様の問題をテストなどで見たら、応用問題的にその都度、あれこれ考えてあーでもない、こーでもないと試行錯誤しながら解いていました。
9月19日を中心に、月曜日から日曜日までの表を書き、全部書くのは大変なので、+7日ずつしながら、月が替わると調整しいてくわけです。
いうなれば、自家製の簡略カレンダーを即席でつくるような感じです。
正解する時もあれば、ミスで間違えることもありました。
これだと娘に説明できません。
なので娘に質問されてから、娘のテキストでちょっと勉強してみました。
ひとつきは最大31日ありますが、31日に満たない月があります。
2, 4, 6, 9, 11月です。『にしむくさむらい』などと覚えます。
さむらいというのはさむらいを表す武士の「士」という文字が十一に似ているところから来ていると認識しています。
31日ある月を「大の月」
31日に満たない月を「小の月」といい、28日(うるう年は29日)の2月を除くと30日となります。
さて、上の例題を実際にといてみると
9月は30日、10月は31日あるので
9月19日から11月12日までの日数は
(30+31+12)-19+1
となります。1をたすのは9月12日の分を加えるためです。
上記の書き方だと、先に9月、10月分の日数をフルカウントするように見えますが、ここは
(30-19)+31+12-1でも同様でしょう。
しかしながら、ルールと違ったことをすると『×(バツ)』にするような先生、塾や学校もあるようなので、これだと間違いになるかもしれません。もしそうだとしたら
私個人としては
「くだらない」
としか思えませんが、ここではおいておきましょう。
さて上記の計算を実際にしてみると
55日間になります。
この55日間を1週間である7日でわると
55÷7=7あまり6となります。
ここで上で1をたして9月19日もカウントしているので、1週間は月曜日から日曜日までとなります。
つまり+1で月曜日、+2は火曜日です。
+6は土曜日となります。
さて、実際にカレンダーで確認してみると
おお!
土曜日
正解です。
5~10分眺めただけで曜日算マスターです。
優秀!
果たしてそうでしょうか。
ここについて考えるべき点がいくつも浮かんできます。
一つは、今私が解説を読みながらスラスラ理解できたからといって、
小学生や中学生の頃の自分が同様に理解できたかというと、必ずしもそうではないということです。
亀の甲より年の功ともいいます。
何十年も生きてきて、私の知識や経験も増えています。
今スムーズに理解できるからといって、かつての自分がそうだったとは断定できません。
妻が子供たちに勉強を教えている際に
「なんでこんなこともできないの?」という言葉をよく耳にします。
「何度言ったらわかるの?」とも。
私からすれば、「じゃあ自分は子どもの頃そんなにできたの!?」と思ってしまいますが、
そんなことを口にすれば、家中不穏な空気につつまれることでしょう。
なので、勉強がおちついたら子供たちに
「お父さんも昔は物覚えが悪くてね。今できなくても、最終的にできるようになることが大事だからね。人間は何回も忘れるけど、一回理解して忘れちゃうのと、全くやったことがないのは全然違うからね。大事な事は忘れちゃったら、忘れなくなるまで何度も繰り返すことが大切だよ」
と伝えるようにしています。
ここでも視点をちょっと変えると、子供たちは妻に忘れることを何度も指摘されながら、繰り返すことで記憶を定着させています。
少なくともうちの子供たちは、すぐになんでも覚えられる程、記憶力がよくありません。
それでも現在のそれぞの年齢において、当時の私よりはるかに物知りです。
当ブログで何度も、私が理科社会をはじめとした暗記科目に苦手意識があることをお話しています。
暗記科目が苦手だと思っていた私は、三角関数の公式も
加法定理は仕方ないので『さすってこすって、こすってさすって』暗記しましたが、
半角、2倍角、3倍角の公式は覚えずに、その都度公式を導く方法をとっていました。
今から思えば『急がば回れ』で公式を覚えてしまった方が早かったのですが、当時の私は覚えられる気がしませんでした。
でも、よくよく考えれば大きな矛盾に気付きます。
そう!!
加法定理は覚えられているのです。
要は、覚える気がなかっただけだと今では理解できます。
ただ当時は、そんなことにも気づけませんでした。
記憶力のいい、悪いはあります。
でも多くの場合、『記憶できないのは頭が悪いからではなく、本当に覚えなければならないと脳にまでその必要性が伝わっていないから』だと今の私は考えます。あるいはそのための反復が少ないからでしょう。
電話番号や郵便番号も繰り返し、見たり書いたりしているとそのうち自然に記憶されるのをみても明らかです。
続いて、私も受験に関してはそれなりの時間を費やしてきたにも関わらず
『曜日算』なるものをマスターしていなかった点です。
覚えていたのを忘れていたわけではなく、1度もマスターした覚えがありません。
試験でも曜日算的な問題をみかけた覚えはあります。
正解でも、間違いでも、その問題をそのままにしてしまい、『次に同じような問題をみかけたらすぐに解けるようにしておく』という態度が欠如していたのが明らかです。
私は塾というものに小学校5年生から入りました。
この時点で周囲の生徒と差があったので、私は理科社会までではないものの、算数にも苦手意識がありました。
今、子供たちの教育について、妻を介してママ友達の話も耳にしますし、医師の世界では幼稚園受験、プレスクール、小学校低学年から塾に通うのが当たり前のようです。
私自身、家族は医療従事者でもなんでもなく、父はサラリーマンでしたし、母は短大卒です。
空手や習字、そろばんなど習い事はそれなりに大変だったものの、小学校5年で塾に入るまで、いわゆる受験組と比較すると圧倒的に勉強量が少なかったと認識するようになりました。
同級生の中には小学生の頃から「神童」のように頭がよいとされている人達が何人かいます。
私は「彼らにはどう頑張っても勝てない」と考えてきましたが、
「彼らは勉強において、それだけ頑張っている」という視点が抜けていました。
中には天才も存在するかもしれませんが、「ずば抜けて頭がいい」とされる人の多くはそれだけ人以上に勉強に時間を費やしているのだと考えます。
時間をそれほどかけていないのだとすれば、それは「効率がいい」からではないでしょうか。
今、思い返せば、N高からT大に現役合格した小学校からの友人は、中学が終わると、
「帰って勉強しよ!」とニコニコしながら走って帰っていたのを思い出します。
当時は「うわ、やっぱ天才は普通とは違うわ」と思っていましたが、
勉強することに楽しみを感じ、それだけ時間を費やしていた彼に、当時の私がおいつけようはずもありません。
幼少期の私の勉強においては、スタートの気持ちの時点ですでに問題だったのだと考えます。
相手や自分が車の運転の才能がある・ないに関わらず、何年も車の運転をしているドライバーと、免許取り立ての新米ドライバーだったら、どちらがより運転が安定しているでしょうか。
通常はベテランドライバーでしょう。
運転初心者が、中年ドライバーをみて、ああ「自分は彼/彼女達ほど運転の能力がない」と考えることがあるでしょうか。
そんなことが、勉強の世界だと当たり前のように起こっている気がします。
この年になって受験関連の本を読むようになるまで、私は「勉強法」について学んだり考えたりすることはありませんでした。
ひたすら机に向かって、時間を費やすばかりでした。
母は、私に不自由させまいと「勉強した方がいい」と言い続け
私も「勉強をしていい大学を出て、いい会社に入った方が生活が楽になりそう」という思いで、勉強にそれなりの時間を費やしてきました。
ただ、母は自分自身が勉強をしてこなかったので、勉強方法や勉強内容に関する具体的なアドバイスは一切ありませんでした。
さらに状況をややこしくしたのが、母親の父(私からすれば祖父)が学校の校長先生やらなんやらで、母自身も保育士免許をもっているので、『教育者』的視点からのあれこれが親族からやたらと多かった点です。祖母は教師でも何でもなかったにも関わらず、とにかくやたらと説教されたのだけ記憶しています。何を注意されたのか、何を言われたのかもよく覚えていませんが、とにかく説教されまくった記憶があります。こう言ってはなんですが、祖母=説教の記憶しかありません。
自分達が実際に正しいかどうかに関わらず、『絶対的正義』として価値観やら説教をおしつけられてきました。
家族には感謝しています。
が
こと教育に関しては、彼らは間違っていたとしか思えません。
私も含め、親や教育者も完璧ではありません。
『完璧ではないから親や教師をやってはいけない』
とは思いませんが
『親や教師だからといって完璧とは限らない』という視点を親や教師自身がもつべきだと考えます。
娘に教えるのをきっかけに、『曜日算』を一つマスターしました。
「優れているから教える」
のではなく
「教えながら自分も学ぶ」
という態度をこれからも忘れずにいようと思います。