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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 本日はブログを書くモチベーションが高いようなので、二度目の投稿です。

 

 二度目というより、第三者が見た時に投資に関する記載が多すぎると、『医学』に対する私の気持ちの強さがかき消されて伝わりそうなので、少し分けて記載することにしました。

 

 これまで以上に、医学のウエイトを増やすのは先ほど記載したばかりですが、『投資』に関しては今後もしっかりつ続けたいと考えています。

 

 何の根拠もありませんし、現在は私史上最大の損失を被っていますが、いずれは投資の勝ち組ともよべる個人投資家5%に入る込めるのではないかと考えています。

 

 今までの経験を通じて、重要だと考えるのは

 〇儲けよりも、まず損失を少なくすることを第一に考える

 〇投資を継続する

 〇損失を出したら落ち込むよりも先に、何が問題で、その問題は改善できないかどうかをしっかりと分析する

 〇仕手筋によるものと考えられる不自然な株価暴落や株価急騰が日常的にみられるため、ただ振り回されるのではなく、それらも想定した上で投資戦略を立てる

 

 という点です。

 

 因みに一言で『投資』といっても様々です。

 

 株式や債券、時計や高級車、不動産経営はもちろん、資格取得や受験のための勉強も投資です。

 仕事の効率を上げるためにパソコンを買い替えたり、使い勝手のいい文房具を購入するのも投資といっていいのではないでしょうか。

 

 子供たちの将来のために塾や私立に通わせたり、高い授業料を払ったりするのは立派な投資と考えます。

 

 株式や債券の投資にしても、自分自身で運用するのと、他人にまかせるのとでは大違いです。

 

 自分で運用する際も、本を読んだり、投資を通じてあれこれ自分で考えるのと、なんとなくで適当に運用するのとでも大きく異なります。

 

 また、以前の私もそう考えていましたが、『投資=怖い、うさんくさい』というのは必ずしもそうとは限りません。

 

 今回の私のように、本を読んだり、業績を確認したり、あれこれ準備していても、株価が大暴落することがあります。投資にはやはり「恐ろしい」側面は存在します。

 

 しかしながら、私の場合は自分自身の判断で、自分で運用しているので、誰かに騙されているのではないか、あの人は信用できるのだろうかといった心配は一切存在しません。

 

 「絶対儲かる」、「みんなやってる」という理由で、詐欺行為にだまされてしまうのは本来『投資』そのものとは別のものです。

 

 それは『投資の恐ろしさ』ではなく、『詐欺行為の恐ろしさ』です。

 『十分に確かめもせずに大切なお金を他人に預けてしまうことの恐ろしさ』といってもいいのかもしれません。

 

 バフェット関連の書籍を読んでいると、『株式投資=その会社の経営の一部に携わる』という側面が存在すると認識させられます。

 

 商品の魅力や、会社の成長性を評価して、その会社の経営の一端を担う。そう考えると、適当に株式投資をする前にその企業について考えたり、世の中の情勢についてあれこれ学んでみようかというモチベーションがわいてきます。

 

 自分がもしも経営者だったら、株価が下がったからといって、「やばい。株価が下がった。すぐに会社を売却しないと」とは考えないでしょう。

 

 実際には、自分が得ていない情報で業績が悪くなっている可能性もあるので、売るべき時は売る必要はありますが、『この会社の株価が上がらないはずがない』と思える企業のみに投資するというのが私の投資哲学の一つです。

 

 

 

 ところで、最近、政府が『投資』を推奨する流れがでてきたと感じます。

 『資産所得倍増計画』なる言葉も耳にするようになりました。

 私個人としては、この流れに強い警戒感を持たざるを得ません。

 

 というのも、本来貯金は必ずしも投資とは無縁ではないからです。

 

 個人としてお金を銀行に貯金するとします。銀行はそのお金をただ眠らせておくわけではありません。引き出されるお金の準備は必要なので、それなりの金額は残しておくものの、それ以外のお金は企業に貸しつけたり、金融商品等に投資をしたりで、銀行が運用するわけです。

 

 ところが現状では金利が低く、お金を貸し出しても利息をかせぐことができません。

 また、世界的に経済状況が安定しないため、安心・安全な投資先を見いだすのも困難です。

 

 つまりは、かつては銀行にお金を預けて、銀行の顧客も資産を増やせたし銀行も利益を上げることができた。それが低金利・世界的経済不況の中で、顧客も銀行も利益を出せずにいるというのが事実なのではないでしょうか。

 

 投資関連の書籍を読むと、年平均4%程度のリターンを得られればまずまずとされています。

 

 もし仮に金利が4%程度で、銀行に入れておくだけでそのリターンが期待できるのであれば、わざわざ損失のリスクも伴う株式に投資する理由も減少してくるでしょう。

 

 金利が4%で資産が1億円あれば、銀行に預けておくだけで年間400万円の利息を得られることになります。

 

 

 今は金利そのものの問題だけではありません。

 金利ももちろん影響していますが、インフレへの懸念が強まっています。

 

 物価が上がって、お金の価値が相対的に低くなっていくわけです。

 

 昨日100円で買えていた食品が今日は130円に。

 

 物が高くなったわけですが、同時に同じものに対してお金の価値が低くなったともいえるわけです。

 

 加えて、どんどん進む円安です。

 

 こちらも海外との金利差の影響が強く働いているわけですが、日本の経済力や成長力の低下、国際的な円に対する信用が低下すれば、さらに悪化してしまうかもしれません。

 

 そうなれば、銀行に預けたお金の価値はどんどん下がっていくことになります。

 

 政府もそれを懸念するからこそ、投資を推奨するようになったと思えてなりません。

 

 金利も上げるに上げられない。

 インフレも増悪懸念が止まらない。

 

 だから投資を促す。

 

 新しい資本主義だか何だか知りませんが、財政的にも金融的にも良い手が浮かばないから国民一人一人に運用を委ねる。

 

 ちょうど新型コロナ感染症対策に関して、政府がしっかりと判断・対策をとらないで、各都道府県の首長に委ねたのと全く同様の構図に見えてきてしまいます。

 

 

 

 当ブログでも度々投資について記載していますが、

 投資を通じて、私自身が得たことを記載しているためであって、皆さんに強く『投資をすべき』と訴えるものではありません。

 iDeCoや企業型年金はデメリット以上にメリットが多いので、税金を払っている方であればやらない理由はないと考えますが、それ以外であれば、NISAであろうが、積立NISAであろうが、資産運用に向いていない方にはおススメすべきではないでしょう。

 

 『投資は難しい。だから専門家にまかせる』

 よく耳にする言葉です。

 

 学校でもお金に関する授業が取り入れられるようになってきました。

 

 お金や投資に限らず、医療や勉強についてもそうですが、

 先生や専門家だからといって必ずしも正しいとは限りません。

 

 だからといって、先生や専門家を信じないというのでは世の中渡っていけませんが、

 『本当に大切なことは、ある程度自主性をもって自分で学んでみる』

 という態度が重要不可欠だと考えます。

 

 あれこれ本を読んだり、iDeCoを実際に運用して得た現時点の結論としては、

 投資のセンスや才能に関係なく、『インデックス型の投資信託に、無理なくパッシブに積立投資を行う』

 というのは、それなりに理にかなった投資戦略だということです。

 

 簡単なものでもいいので、投資信託に関する本などを数冊読んでみる。

 

 実際に投資をする・しないの前に、政府の経済対策や日銀の金融政策があてにならない今、

 資産形成に関する勉強は、誰もがしておくべきことだと考えます。

 

 私からすれば、日本の国債発行はあまりに無計画に思えてなりません。

 ついに国民一人当たり、1000万以上の負債を抱えた計算になるとされています。

 

 このままいけば日本経済は破綻するとしか考えられませんが、破綻しないかもしれません。

 しかしながら、その可能性が十分以上に存在する今、出来る範囲でなんらかの対策を考えておくしか手はありません。

 

 個別銘柄への私の投資は大損失に見舞われていますが、それに比べるとiDeCoはかなり順調です。

 久しぶりに成績を掲載してみようと思います。

 

 

 Total            資産残高 749,556 拠出金累計 667,000  損益率 82,556円(12.4%)

  内訳

 SBI全世界         資産残高 626,988 購入額         545,894  損益率 81,094円(14.7%)

 EXE-iグローバル中小  資産残高 122,568 購入額         114,150 損益率    8,418円(7.4%)

 

 個別銘柄は毎日あれこれ考えて売買しているのにもかかわらず大損失を抱えているのに対し、こちらは何もしないで引き落とされるだけです。

 

 職場が変わるので、またあれこれ書類手続きが必要になりますが、それでもここ数年だけでこの金額はバカにはできません。

 

 くれぐれも投資は自己責任でお願い致しますが、是非『資産運用には縁がない』と思っている方であっても(むしろそういう方こそ)iDeCoに関しては調べていただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早いもので、10月ももう後半。

 今年もあとわずかとなってまいりました。

 

 職場より就業禁止命令を出されて2か月。

 心身ともにリフレッシュされてきた反面、働かないことへの不安・罪悪感が日に日に高まってきています。

 

 当初は「お父さん大丈夫?」と心配そうに声をかけてくれていた娘も、最近では

 「お父さん、今日もおうちにいるの?」と、私が仕事に行かない事の方が心配になってきているようです。

 

 まあ、それに関しては、私が心身ともに安定しているのが娘にも伝わっている証拠かなとも思います。

 

 医師になってからというもの、2か月にもわたって仕事を離れ、自分を見直す機会を得ることはありませんでした。

 

 この二か月、これまでとは全く違う日常を送ってきました。

 

 まずは、株式についてはデイトレーダーもどきのことをやってみたり、投資関連の本を読み漁ったり。

 

 投資を始めて3年程ですが、過去一番の暴落を経験し、いまだにその損失から回復できずにいます。

 ロシアによるウクライナ侵攻、中国のロックダウン、円安やインフレ。

 様々な要因によって、日本のみならず世界的に株安の状況ですが、私が大損害を出してしまった最大の要因は、『焦って、短期間で利益を出そうとしたから』に他なりません。

 

 業績から見てかなりの割安の銘柄と判断し、投資額の全部を一つの銘柄に投入してしまいました。

これまでなら決して行わなかったことです。

 しかしながら、

 就業禁止になりこの先どうなるかわからない。 少しでも経済的余裕を増やしたい。

 焦って購入したところ、更に株価が下がり大損失に。

 

 投資関連の書籍はかなり読んだと考えていたので、ここ最近は投資関連の書籍を手にすることはほとんどありませんでした。

 しかしながら、大損害を抱えたので、慌てて投資関連の本を複数冊読み漁りました。

 

 主に、デイトレード、仕手株、バフェットに関するものでした。

 

 デイトレードは、中長期ではなく、1日~数日の短期の株式売買でリターンを目指すもの。

 仕手株というのは、企業の業績等に関係なく、株価を操作する集団(仕手筋と呼ばれます)によって株価がコントロールされるもの。

 バフェットというのは、世界一有名といっても過言ではない、好業績を残している伝説の投資家です。

 

 株の大損失および、読書を通じて、個人的にいくつか整理がつきました。

 

 〇個人投資家の95%が投資によって損をするといわれる

 〇株価の操作は日常的に行われており、それらを取り締まるのは非常に困難

 〇投資の世界においては、儲けよりもまず、大きな損失を抱えないことが最重要

 

 今回、大損失を抱えましたが、そこでまず認識したのが、

 『それまでの投資法はそんなに悪くなかった』ということです。

 

 銘柄を一つに絞ったところで大損失を抱えましたが、それまでは、プラスにならずジリジリ下げてはいるものの、大した損失もなく過ごしていました。

 

 プラスにならないので、『いけてない』と判断していましたが、大損失を抱えた今となっては、『この状況で大した損失を出していなかったのは、それなりに評価すべきだった』と考えるようになりました。

 

 では、何故これほど大きな損失を抱えてしまったのか。

 

 それは『焦ってしまったから』です。

 

 株式市場において、株価の操作が日常的に行われているであろうことはこれまでも十分認識していました。

 

 株価は『上がる』、『下がる』、『横這い』の三パターンしかありません。

 

 特に株価が動く情報など何もないのに、ズルズル、あるいはガクンガクンと大きく株価を下げる銘柄は数多く見られます。

 

 逆に、業績も赤字続き、むしろ倒産寸前のような企業なのに、急に株価が20%も上昇することも珍しくはありません。

 

 何故でしょうか。

 

 私にすれば、『誰かが意図的に株価をコントロールしようとしているから』としか思えません。

 

 株で儲ける方法は

 『安く売って高く売る』だけではありません。

 『借りた株を高く売り、安く買い戻して株を返す』ことでも儲けることができます。

 

 そのため、『あり得ない』ぐらい株価が下がることも少なくないと感じます。

 株価を下げることで儲ける人がいるからです。

 

 業績や成長性から考えても『そこまで株価が下がるはずがない』銘柄でも、『株価が下がることによって利益を得る者』が存在すれば、どこまでも株価が下がり得ます。

 

 株価を下げることで儲けている人からすれば、下げられるうちは『下げない理由がない』と言ってもいいかもしれません。

 

 これは投資の世界に限ったことではありません。

 

 指導者に冷遇される才能豊かなスポーツ選手や、有能な人材にも通じるところがあります。

 

 本人がいくら能力や人格において優れていても、上司や同僚のために冷遇され続け、ついにはつぶれてしまう可能性も存在します。

 

 なぜ能力や人格が優れているにも関わらず、成長や出世できないのか?

 それはその人が成長・出世できないことで、恩恵を受けられる人が他に存在するからです。

 目的としては出世やお金といったものだけでなく、妬みやひがみといった全く建設的ではないただの感情だったりもします。

 

 『不公平で間違っている!』と叫びたいところですが、そんなことをしても状況は変わりません。

 むしろ目を付けられたら、却ってつぶされてしまうかもしれません。

 

 株の場合であれば、企業の価値が評価されると、必ず株価は上がるはずです。下がり続ける途中で買ってしまうと大損失ですが、下げ止まってから購入できれば『大儲け』が期待できます。

 

 スポーツや職場においては、『自分の能力が適切に評価されておらず冷遇されている』と感じたら、環境を変えてみることを検討すべきです。

 

 評価や出世のみならず、人間関係等によってその環境から受ける悪影響が大きい場合も同様です。

 

 今の職場において、直接の上司には感謝の念しかありませんが、色々あって退職することを決意しました。というより職務を続けていくことが可能だとは思えなくなってしまいました。

 

 再就職先を探す時間もなければ、今の職場の職務を放棄することも考えられない。

 つい数カ月前まで、職場を変える事、専門を変えることなど選択肢にありませんでした。

 

 この状況になり、職場を変える事、専門を変える事は,、私にとっても職場にとっても延いては社会にとってもベストなのではないかと考えています。

 

 

 

 

 ブログに関しては定期的な更新にこだわらず、更新したくなったらする方針に変えてみました。

 

 当ブログの更新数は減った一方で、別の投稿サイトにて各テーマに関して投稿するコンテストに応募したりもしてみましたが、何の反応も変化もありませんでした。

 

 短期間で効果がでるものではありませんが、それなりに時間をとられるので、ウエイトを減らそうと思います。

 

 書評の依頼や、ブログからの収入を夢見た時期もありましたが、これらは考慮しないことに決めました。ブログをやめるわけではなく、書きたくなったら書くというスタンスはこれからも続けますが、かつてのように、定期的なブログ更新はやめようと思います。

 

 実生活を通じてだけではなく、ブログだからこそ通じるものもあるのかとも考えてきましたがどうやら力不足のようです。

 ブログはブログで細々と続けながら、これからはむしろ実生活におけるメッセージ性の向上を目指してみようと考えています。

 

 

 

 

 さて、現在の職場をやめる決意をしたわけですが、職場を変えるとなると、専門を変えるという選択肢もでてきました。

 

 医師になって10年以上が経過しました。

 

 救急診療が忙しく、三日に一度は当直だった初期研修医。一般外科医だった後期研修医以降。ここ5年程は、乳腺外科を専門にしてきました。

 

 一般外科の時は、悪性腫瘍の診断になるほとんどの方が60歳以上で、40代、50代の方の手術や化学療法はそれほど多くはありませんでした。

 

 ところが、乳腺外科を専門にするようになり、30代、中には20代で悪性腫瘍の診断となる方を経験するようになりました。

 

 現代医療も完璧ではありません。手術や化学療法が進歩したとはいえ、治療不可能の症例も数多く存在します。

 

 化学療法、手術を頑張ったものの、その後再発・転移。若くして命を落とす方々、そしてそのご家族の方々を通じ、命のはかなさ、自分の無力さを痛感する日々でした。

 

 40代後半に突入しましたが、あと10年、20年外科を続けていくのは体力・気力ともに厳しくなってきました。手術後は平日・休日関係なく病棟に行かないと安心できませんし、これではゴールデンウイークも、連休も、週末もほとんど意味をなさなくなります。

 かといって連休前にこちらの都合で手術を控えるわけにもいきません。

 

 特に化学療法が終わったばかりの方は、手術までの期間をこちらの都合で開けすぎてしまうと、せっかく縮小あるいは消失した悪性腫瘍が、勢いをとりもどしてまた大きくなってしまうかもしれません。

 

 検診・外来中心の乳腺外科の求人を探してみましたが、めったになく、あってもすぐに埋まってしまいます。

 

 初めは求人枠がきっかけでしたが、次第に訪問・在宅診療に意識が向くようになりました。

 

 

 

 現在の診療制度では、急性期病院において終末医療等の対応は困難な側面が存在します。

 外来にて対応できる間はそれほど問題になりませんが、中長期の入院が必要になると、急性期病院は経営的な負担から、慢性期病棟、訪問・在宅診療への転院以来をせざるを得ません。各疾患名や病態に応じて保険点数が決まっているので、入院が長期化すればするほど病院経営的には赤字になってしまいます。

 

 これまでも終末期医療には積極的に携わり、極力最期まで患者さんに関わる方針をとってきましたが、急性期病院ではその対応も中途半端にならざるを得ません。

 終末期医療に時間を費やし過ぎると、手術や通常外来といった日常業務に支障を来しかねないからです。一勤務医としては実感に乏しいものの、病院からすれば入院が長期化すればするほど赤字になっていっているわけです。

 

 訪問・在宅診療では、外科手術に頭を悩まされる必要はなくなります。急性期病院における入院日数も気にしなくてよくなります。

 一方、内科疾患はもちろん、様々な病態に対応し、専門性を要する分野は専門医に紹介しつつも、極力訪問・在宅診療内で完結させるというバランス能力が必要となります。

 

 

 今月に入って、医学書を中心に読み進めるようになってきました。

 

 ここ最近、担当患者さんの生活習慣病やめまい、耳鳴りなどは症状をきいた上で、内科や耳鼻科などの専門科の受診を勧めてきました。

 

 一般勤務医には睡眠薬処方のハードルも上がっているため、処方も極力内科あるいは精神科受診をしてもらうようにしてきました。

 

 今後は、紹介するにしても自分の中でそれなりの診断や処方内容を想定した上で。紹介不要と判断した場合には、自分のみで完結できるよう幅広い知識を学んでいこうと考えています。

 

 当ブログでも、『成書』を読む面白さ、大切さについて説いてきました。

 ところが、これまで医学部生時代を含めても、私は内科の成書を一冊も読了したことがありません。

 

 研修医時代、一般外科医の頃を通して、忙しい上に体力的な負担が大きすぎて勉強どころではありませんでした。

 さぼったというより、今振り返ってみても勉強に割く時間は限られていたのではないかと考えます。

 

 乳腺外科に専門を移してからは専門書も読むようになりましたが、それでも乳腺外科領域ばかりでした。

 

 内科学に関しては、洋書ならハリソン、国内版なら医学書院や朝倉書店、中山書店のものなどが一般的です。

 

 私の場合は、以前に購入した第10版 朝倉書店内科学 がきれいな状態のまま眠っています。

 

 この間書店にいくと、第12版が発売されていました。

 

 一度10版を読み終えるか、12版を買い直してそれを読むかは悩みどころですが、こちらも一読しようと考えています。

 

 字が小さいうえに、ページ数も2000ページを越えますが、この数年で医学以外の書籍は何冊も読んできました。

 

 字の大きさなどが違うので、単純比較はできませんが、そのページ数だけを見ると数千ページはゆうに超えると思われます。

 

 完全に頭に入らなくても、成書を一度読んだことがあるのと、ないのとでは大きな違いがあるというのがこれまでの実感です。

 

 内科学のみならず、総合診療を志すのであれば、広く深い医学の知識が必要となります。

 

 医学部生時代はもちろん、医師になってからも、経歴や肩書、業績といったものとは無縁の人生を送ってきました。

 

 これからは肩書や出世に関係なく、自分自身が納得できる『理想の医師像』を目指して、しばらく医学の世界にどっぷりとつかってみようと思います。

 

 図書館や本屋、教育に興味がなくなったわけではありませんが、『理想と現実』なるものが存在します。

 

 努力しても『夢物語』として終わりがちなもの。『容易ではないけど実現性の高いもの』が存在します。

 

 私の場合、幸いにもすでに医師という職業を得ることができています。

 海のものとも山の物とも知れない、『私の教育』を追求する前に、『私の医師としての在り方』を今一度追及してみようと思います。

 

 これまでも医師としての立場をないがしろにしてきたわけではありませんが、あれもこれもやろうとする中で、ウエイトがかなり減っていたのは間違いありません。

 

 今後は医師としてのウエイトを重視しながら、私自身の存在価値を高めていけたらと考えます。

 

 そうしていけばわざわざ学校を作ったり、図書館をたてずとも、診療や社会生活を通じて、私の哲学に魅かれる人がわずかながらでも出てくるかもしれないと思うようになりました。

 

 娘も勉強になかなか身が入りませんが、それでも

 「医者になる」という言葉は昔から口にしていて、今も変わりません。

 

 私も妻も、娘に医師になることを勧めたことは一度もありません。

 

 「医師になってお父さんを手伝う」。今もそう思ってくれているようです。

 

 いいところばかりではありませんが、娘にも息子にも私はそれなりの影響力を持っているのは間違いありません。

 

 私が医師として更に成長することは、子供たちにも大きな影響を与えることになることでしょう。

 また私自身が勉強する姿が、子供たちに影響を与えないはずがありません。

 

 子供の頃の私にとって、『勉強』とは『無理して頑張って、頭をよくする』イメージでした。

 しかし、この年になって、『自分自身の経験や、他人から吸収した知識を通じて、己をより高められるように努力すること』と考えるようになりました。

 

 己に『強いる』ものではなく、己を『強くする』ものと考えるようになりました。

 

 この先、どのような未来が待っているかわかりませんが、現時点では

 『失敗ばかりの私の人生もまんざらでもない。』

 と思えています。

 

 ある程度医療の分野で自分に納得がいった後に、それでも教育や図書館建設などに関する余力が残っていれば次はそこに向けて邁進していこうと思います。

 

 

 

 

 

 

 インプット強化中のため、ブログの更新が滞っておりますが、やめたわけではございません。

 

 先日、息子の運動会がありました。

 出発前から、行く・行かないで大荒れ。

 

 疲労困憊の妻も、「行きたくないなら、行かなくていい!」とキレ気味。

 

 そんな妻を見て、「行く!。服着させて」と手のかかる息子。

 

 悪循環で妻はさらにイライラし、「もう行かなくていい!」

 

 なんだかんだで行きたいという息子を放っておくこともできず、自転車の後ろにのせて幼稚園へ。

 

 自転車に乗った後はわりと落ち着いており、いつもと変わらない様子。

 

 妻は洗濯などを済ませ、遅れて合流。

 

 二年前は、いざ本番になって、「走りたくない!」と駄々をこねて走らなかったようです。

 

 一年前も、空手の道場につくや否や、逃亡をはかったり、亀になったままじっと動かなくなったことを考えれば、他の子との比較はさておき、息子なりの成長を感じます。

 

 障害物競争直前に、クラスの子ともめて叩かれる一幕もありましたが、相手の子に手をださず、嫌そうな顔はみせたものの、競技もしっかり参加していました。

 

 かつての息子だったら、相手にやり返したり、すねて競技から逃げ出していたことでしょう。順位はよくありませんでしたが、息子の成長を実感できた一日でした。

 

 

 

 

 さて、これからお子さんを某大手進学塾に通わせるというママ友との会話で、妻がこんな情報を聞きつけたようです。

 小学校二年生のお子さんが入塾することになったところ、塾の先生から

 「遊べるのは今年が最後ですよ」

 と言われたそうです。

 

 え!?

 

 小学校三年生からずっと勉強一筋!?

 

 一体、いつ遊ぶのでしょう。

 

 勉強が好きならまだしも、それほど好きでないとしたら、どんな人生が待っているのでしょうか。

 

 とはいっても、私の場合は友達が少なく、父親も消防士の上にほとんど家に帰ってこなかったので、ろくな遊びを経験したわけでもありませんでした。

 

 私の場合、遊び=テレビゲーム的なところがあり、それが今になっていい経験になっているかはなんともいいようがありませんが、それでも空手を習ったり、サッカーを習ったりもしていました。

 

 少なくとも、小学校三年生から、ただひたすら勉強ばかりしていたとしたら、私は勉強でつぶれていた気がしてなりません。

 

 私の場合は、受験に失敗して浪人をしたり、わずかながらでも社会に出たり、海外留学をすることで自らの殻をやぶれましたが、

 

 これらの経験がなく、ストレートで受験戦争を勝ち進んでいたら、むしろ却って無味乾燥で面白みのない人生になっていた気がしてなりません。

 

 大学入学と同時に燃え尽きてしまっていた可能性すら感じてしまいます。

 

 

 幼少期からかなりのスパルタで教育をする家庭の話をよく耳にする一方で、一般的な日本の社会はかつての、『偏差値重視の教育』とは一線を画し始めているようです。

 

 8.15  日本経済新聞

 

 "偏差値時代、終幕の足音

    大学「推薦・総合型」が過半に

    入学後の指導   重み増す

 

    新年を待たずに合格を決める「年内入試」が主流になり、受験生の3分の2が第一志望の大学に進む―。受験地獄といわれた入試環境が18歳人口の減少で激変し、偏差値で大学が序列化される時代が終わろうとしている。人材育成の新たな道筋が見えぬまま漂流する入試と変化を阻む岩盤の実態を追う。"

 

 全てを引用するのは割愛しますが、特に気になった数か所を抜き出してみます。

 

 "リクルート進学総研が今春、約1万1千人を対象にした調査では第一志望の大学に入れた受験生は68.3%で、前回の19年より14.8ポイント増えた。"

 

 "明治維新後や敗戦後の「欧米に追い付き追い越せ」だった時代は、必ずある正解に早く到達できる能力を競わせる一般入試が有効だった。

 だが日本社会が成熟し、欧米のお手本に頼れない時代には、正解があるかどうかも分からない問題に取り組む力が重要になり、思考力や学習への意欲を多面的に評価する入試への転換が求められるようになった。

 総合型の定着で状況は改善されたが、新たな課題も浮上した。有力次第幹部は「総合型の受験生が増えるにつれて丁寧な選考ができなくなり、学力不足の学生が増えた」と明かす。

 21年のベネッセ教育総合研究所の調べでは40%の学生は入学後に高校段階の補習を受けていた。

 問われるのは入学後の教育だ。大学を標準年数で卒業する比率は17年で米国38%、フランス41%、英国72%、ドイツ80%、日本は93%で「卒業が簡単」と皮肉られてきた。これまでは「代わりに入試は厳しい」と反論できたが、入るのも出るのも易しい状況が広がる。

 米国の大学でも教えた柳沢幸雄・東京大名誉教授は「一点刻みの選抜が権威を持つ時代の終わりは歓迎すべきだ」とする一方で危機感を示す。「社会や企業は求める人材像を明確にし、大学は厳しい出口管理で学生を鍛えなければ日本の成長はない」"

 

 

 

 これを読んでどのように思われるでしょうか。

 

そうか、偏差値時代は終わったのか。これからは推薦・総合型の時代か。

 

 割愛しましたが、本文を読むと、この背景には、『少子化が進むなかで、生徒の確保が急務の有力大が、付属・系列校や指定校からの推薦などで入学者を年内に囲い込もうとする動きが存在』することがわかります。

 

 ちなみに、これは私のお決まりのルーティーン、『新聞ダイジェスト』からの抜き出しですが、続いて、8.17の日本経済新聞の記事

 

 "学校、問われる存在意義

     公立高に塾が「出前」"

 

 が紹介されています。

 

 "生徒の意欲や高校での学習・活動の成果を丁寧に見極める大学入試の総合選抜(旧AO)や学校推薦型選抜で、本来無縁なはずの「対策」が広がっている。"

 

 推薦型や総合型での大学入学が増えていますが、公立私立を問わず、各高校は、複雑化した大学入試の情報に長けた塾や予備校との連携を強めているようです。

 

 この記事の中にも面白いデータが紹介されています。

 

 "入試の変化に巧みに適応する塾。多くの子どもが学校と並行して塾に通う「ダブルスクール社会」はポスト偏差値の時代も変わらない。2018年度の文部科学省「子供の学習費調査」によると、学習塾代の支出ががある家庭の割合は公立校の中3がいる家庭で80%、高3で42%に上る"

 

 

 こんな状況で、『偏差値時代』に終幕など訪れるでしょうか。

 私からすれば、この先に待っているのは、『著しい偏差値格差』としか思えません。

 

 小・中・高に通うのは『希望の大学に入るため』

 

 学校だけでは不十分なので、塾や予備校に通う必要があり、場合によっては学校より塾・予備校の比重・重要性は高い。

 

 大学は卒業が比較的容易であり、4年間の間に、希望の就職先を見つける。

 

 

 『学ぶべきもの』とはなんなのでしょうか。

 

 子供の頃は、それなりの所にいけば、『学ぶべきこと、もの』をおしえてくれるのだろうと考えていました。

 

 しかしながら、自分の過去を振り返りながら、『自分の教えられるもの、教えたいもの』がわかっている人はいても、 『学ぶべきもの、教えるべきもの』が分かっている人はおそらく一人もいないのではないかと考えるようになりました。

 

 自分自身で見つけられればよいのですが、少なくとも私は40年以上かけてようやく少しずつ見えてきたような気がします。子供達一人一人に、小さなうちから、自分で見つけろと放り出してしまうのは乱暴な気がします。

 

 私の考える『学ぶべきもの、教えるべきもの』が必ずしも正しいとは限りませんが、子供達には、押し付けるのではなく、自分の背中で示しながら、導いていけたらと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界で最も成功した投資家ウォーレン・バフェット氏が投資対象を選ぶ際に、重要視するのは『永続的競争優位性を持つ企業であるか否か』

  当たり前のことだが、『経費は少なく、利益は大きく』が一番だ。それを何年にもわたり永続的に行える企業には、成長が続いてお金もたまる。 

 財務諸表を読むポイントは、『稼げる企業を探す』ためはもちろん、『稼げる企業を目指す』ためにも役に立つ!

 

 

 

  これまた図書館で借りて来た本です。

 

  本書に関する各書評を見渡してみると『目新しい事、大した事が書いていない』という意見も多い印象です。確かに真新しさは感じにくいところがありますが、バフェット氏以前にはこれらの内容は当たり前のことではなく、他の著者たちの研究を通してそれだけ世の中にバフェット氏の考え方が浸透しているということでしょう。

 

 本書によって、私の中でよく理解できたのが

 『減価償却費』と『のれん』です。

 

 事業に必要な機械や建物などは、すたれて債購入が必要になるまで長い時間を要します。しかしながら、代金を支払うのは最初の購入時のみです。

 何故初年度に一括して営業経費としないで、何年にもわたって分割して計上されるのでしょうか。

 

 例えば、ある会社が、仕事で必要な機械を100万円で購入したとします。

 機械の寿命は10年で、10年たつと再購入が必要になります。

 この場合、購入年度に100万円をまとめて経費として計上はできず、1年に10万円ずつ計上されていきます。(これは定額法とよばれるもので、定率法では初年度に額を多くして次第に減額していきます)。

 

 私は以前に、『節税対策』の本を多く読んでいたので、節税的な観点で頭が凝り固まっていました。

 『減価償却の観点から、節税対策で最も効果的なのは、べ〇ツを中古で買え』

 みたいなあれです。

 

 一年にまとめて計上しないのは、何年にもわたって経費をひっぱることで、節税を目指すからという先入観に陥っていたようです。

 

 そうではなくて、企業を継続させる観点から見ると、10年の寿命のある資材は、10年後に再購入が必要となります。

 つまり、10年の間に、次の購入を見据えた計画が必要となるわけです。

 

 この考えに至ってから、減価償却の存在が理解しやすくなりました。

 

 減価償却の話の流れで、EBITDAについての言及がでてきます。

 

 EBITDAというのは、利払・税引・減価償却、その他償却前利益を指します

 

 企業の決算の時に、『EBITDAは○○』みたいなのを見かけることがあります。

 

 これまで『なんだかよくわからないけど、すごいっていうことだろうな』と思っていました。

 何故かって!?

 だって、『EBITDA』ですもの。

 よくわからないけど、営業利益ではなく、わざわざEBITDAがでてきたんですから。

 それはすごくないわけないでしょう!?

 

 先ほど述べたように、減価償却費はすでに購入時に支払われています。つまり、初年度を過ぎると、減価償却費は計上されるものの、実際のお金は企業から減ってはいないわけです。

 利払・税引・減価償却・その他償却前利益というのは、わざわざEBITDAを出すことで、見かけ上お金の金額を増やすことが可能となります。

 

 逆からいえば

 どうしてわざわざEBITDAなんだ!?

 という疑問がわいてきます。

 

 これに関して次のような記載があります。

 

 p.65

 "EBITDAを導入した企業は、見かけ上増加したキャッシュフローを担保に、さらなる借入を行い、レバレッジド・バイアウト(LBO)といった企業買収に手を染めて、楽しい金儲けにうつつを抜かしたのである。

 ウォーレンが指摘するとおり、EBITDAを操るウォール街の専門家たちは、ひとつの事実を無視している。印刷機の減価償却が終わったとき、新しい印刷機を買うために、実際に100万ドルの現金が必要になるという点だ。EBITDAで他企業の買収にふけり、借金で身動きがとれなくなった企業には、もう100万ドルを調達する能力はのこっていないかもしれない。

 ウォーレンは「減価償却費はきわめて現実的なコストであり、利益を計算するときには除外すべきでない」と言う。減価償却費を除外した場合、企業の買収は短期的に水増しされるため、優良ビジネスであるという錯覚が起こりやすいからだ。しかし、錯覚から大富豪が生まれることはもちろんない”

 

 いかがでしょうか。

 企業は、EBITDAを重視する投資家やアナリストに向けてメッセージを発しているかもしれません。

 しかし、同時に、『ただ数字を水増しして、優良ビジネスという錯覚を起こさせたいだけ』かもしれないわけです。EBITDAを見かけたら即アウトというわけではありませんが、以前の私のように『EBITDAを見かけたら、まずすごい』という頭のよろしくなさそうな反応はよした方がよさそうです。

 

 『EBITDAは要注意』です!

 

 

 

 続いて『のれん』です。

 

 四季報などを読んでいて、『のれんの負担が重い』みたいな言及をみかけることがあります。

 『のれんに腕押し』

 店先にかかっている布です。

 

 ブランド力みたいなものをイメージしますが、今一つピンときていませんでした。

 

 p.114ページで次のような説明があります。

 "たとえば、<エクソン>が"XYZ石油"という会社を買収したとき、"XYZ石油"の帳簿価格(純資産価値)よりも高い代金を支払ったとすると、この超過分は、<エクソン>の貸借対照表上で"のれん代"の項目に計上される。多数の企業を簿価以上で買収した場合、買収元の企業の貸借対照表には、多額ののれん代が記載されることとなる。"

 

 p.115

 "長期にわたってのれん代が増加している場合、その企業が他企業の買収に血道をあげている、という状況が考えられる。永続的競争優位性を持つ企業を買っているなら、この状況は望ましいことと言っていいだろう。

 もしものれん代の数字が何年間も同じままなら、簿価以下での企業買収を行っているか、企業買収自体をまったく行っていないかのどちらかである。"

 

 私はこれまで"のれん代"という数字しか見ていませんでした。

 ぼーっと眺めていても、何も理解できずにいました。

 

 重要なのは、のれん代が増えているのか、変わらないのか。それとあわせて、その企業が他の企業を買収しているのか否かという点をセットで考えてないといけないという点です。

 

 既に理解されている方からすれば、『何を言っているんだ、当たり前のことだろう』と言われてしまうのでしょうが、私からすると、これまでなかなかイメージや理解しきれずにいたのが、本書を読んですっきりしました。

 

 

 これらの知識は、『投資家が儲かる企業を探すため』だけに役立つものではありません。

 経営者からすれば、『自分の企業はもっと適正な運営はできないか』

 社会人からすれば『自分の企業の経済状況はどうなっているのだろうか』、あるいは『職場としてどの企業を選ぶのが未来が明るそうなのか』を判断するためにも役立ちます。

 

 

 本書のサブタイトルとして

 "大不況でも投資で勝ち抜く58のルール"と記載されています。

 

 そのNo.41(p.137)が"永続的競争優位性を持つ企業は、ほどんどの場合、長期借入金が少額もしくはゼロである"です。

 

 p.138 "永続的競争優位性をもつビジネスは、多くの場合、貸借対照表上の長期借入金が少額もしくはゼロである、という事実をウォーレンは学んできた。優良企業は膨大な利益をあげているため、事業拡大や企業買収を自己資金でまかなうことができる。だから、巨額な借入を行う必要性などまったくないのだ。

 

 そして、No.50(p.165)が"巨大なレバレッジを使って利益をつくり出している企業は、いつか化けの皮がはがれる"です。

 

 "レバレッジとは、負債を用いて企業の利益を増大させる手法である。企業が金利7パーセントで1億ドルを借金し、年率12パーセントで運用すれば、資本コストを上回る5パーセント分が利益となる。結果として、企業の純利益は500万ドル分増加し、株主資本利益率を押し上げることとなる。

 レバレッジが問題なのは、莫大な借金をつかって利益をあげているだけの企業が、何らかの競争優位性を持っているように見えてしまう点だ。"

 

 

 

 何十年にもわたってろくな経済成長率も達成できていないのに、国債をすりまくって先進国だと胸をはる某国。

 

 成果に言及することなく、"前例のない"、"思い切った"、"類を見ない"といった自画自賛的であいまいな決意表明ばかり。

 

 いつか化けの皮がはがれないことを祈るばかりです。

 

 どかーんと、ガツーンとした経済対策をさーっとやってもらって、歴史上類をみない空前絶後の繁栄がぱーっと開けてくることを願います。

 

 

 相手を斬る・相手に勝つといった対立・対抗を目的とする武術と違い、

 武道は相手を受け入れることで、共存や自己観察をも可能にする。

 相手を受け入れ、衝突を避ける『往なし』の極意は、ビジネスや日常生活にも活きる!

 

 

 

 

 就活だったり、あれこれ勉強したりと、ブログをアップしない日々が続いていますが、私自身の知識や経験値はアップデートされてる感があります。

 

 今お休み中の空手ですが、お手本の動画がユーチューブにアップされているため、フェイ〇ブックにも各種の武道の動画が自然にアップされるようになりました。

 

 日野先生は、何人もに羽交い絞めにされながら、その人達を次々にふっとばしたり、棒をくるくる回すだけで触れたものを魔法のようにふっとばす武道の達人です。

 

 図書館でみかけたので、借りてきました。

 

 本書は武道に関する細かい技の説明はほとんどなく、日本の文化でもある『武道』、『往なし』の重要性について解説されています。

 

 日野先生は、武道と武術は別物と解説されています。

 

 武術は、相手に勝つ・相手を斬るといった、対立・対抗を目的としている一方、武道は相手を受け入れ、衝突を避ける事で、共存のみならず自己観察までもが可能となるとされています。

 

 武道や禅の世界で、「無の境地」という言葉を耳にしますが、本書を読んで、「無の境地」とは何も考えていないからっぽの状態ではなく、他事への雑念をなくし、その状況に対して自然体で最善の対応ができる状態を指すのではないかと考えるようになりました。

 

 この極意は、武道のみならず、ビジネスや実生活にも活かせることができます。

 

 例えば、ひどい暴力行為、あるいはパワハラ行為を受けたとします。

 不公平だと思い、自分も相手に同じことをしてしまうと、自分も社会的に許されなくなります。

 結果として、自分にとってもプラスになりません。

 ここは冷静になって、何がベストかを考えるのが重要です。

 しかるべきところに相談しながら、『仕返し』よりも、自分にとって最終的にもっともベストと考えられる選択肢を選ぶべきでしょう。

 

 私が最近大失敗した投資に関しても、活かせます。

 

 焦って利益を出したいがために、割安だと判断した銘柄の一つに資金を集中させてしまいました。

 結果は、さらに株価が下がり、大損失を被ってしまいました。

 

 私がどんなに儲けたかろうと、株式市場はそんなことは知ったこっちゃありません。

 むしろ、高値でお金を投入してくれれば、儲けを得られる人がでてきます。

 

 儲けたいという気持ちが強すぎると、まだ買うタイミングではないところで、焦って購入してしまいます。

 結果として株価が下がると大損失につながります。

 

 

 武道も同じです。

 自分が相手に勝ちたい、相手に攻撃を入れたいと焦ってしまうと、誤ったタイミングで敵につっこんでしまいます。

 相手が先に攻撃していたり、自分の攻撃にカウンターを合わせていたりすれば、正に命とりです。

 

 勝ちたい、攻撃したいという気持ちが強いと、本来はその場にとどまっているべき、あるいは一歩下がって距離を取るべき時に中途半端に相手に近づいてしまいます。

 

 つまり、「勝ちたい・攻撃したい」という意思によって、距離をとる、攻撃を往なすという対応がとれなくなるわけです。

 

 本書では「無心になる」という言葉はでてきませんが、「無心になる」というのも、相手がいる状況で、何も考えずポカーンとつったっている状況ではないでしょう。

 

 そうではなく、まずはその状況に集中して他のことは考えず、また「攻撃しよう」・「避けよう」・「カウンターを狙おう」と決め切ってしまわず、その状況に応じて最も自然な身体反応で対応するということでしょう。

 

 身近な例でいくと、車や自転車の運転、パソコンのブラインドタッチなどでしょう。

 

 なれるまで、エンジンをかけたり、ハンドル操作をしたり、キーボードの配置を覚えるのもままなりません。

 

 それが、慣れてくるとエンジンスタート、ハンドル操作、ブレーキやキーボードの位置を意識しなくても自然に運転やタイプができるようになります。

 

 子供の飛び出しが多かったり、急カーブや崖が続く危険なコースでは、ぼーっとせずに集中して瞬時の判断が必要です。

 

 ビジネスや学校の課題でも、何も考えずにタイピングをしていても仕事や課題ははかどらず、課題内容に集中してその内容を充実させる必要があります。

 

 日野先生は実際に武道だけでなく、企業の社員研修や講演も積極的に開催されています。

 

 本書の最期でも、日野先生のセミナーを通じて、ビジネスや対人関係で得るところがあった生徒の方々の声が紹介されています。

 

 極意というものは、あらゆる面に通じるところがあります。

 

 機会があれば、是非一度手にとられると、新たな気付きがあるかもしれません。