私はそうは思いません。
人生において、平均よりもはるかに多く『馬鹿、馬鹿』と言われてきたであろう私の考えです。
そもそも『バカ』とはなんでしょう。
お得意の、コトバンクからの引用いってみましょう。
デジタル大辞泉からの引用です。
[名・形動≪<梵>mohaの音写。無知の意。「馬鹿」は当て字≫
1 知能が劣り愚かなこと。また、その人やそのさま。人をののしっているときにも用いる。あほう。「―なやつ」⇔利口
2. 社会的な常識にひどく欠けていること。また、その人。「役者―」「親―」
3. つまらないこと。無益なこと。そのさま。「―を言う」「―なまねはよせ」
4. 度を過ぎること。程度が並みはずれていること。また、そのさま。「―に風が強い」「―騒ぎ」「―正直」
5. 用をなさないこと。機能が失われること。また、そのさま。「蛇口が―で水が漏れる」→馬鹿になる
[補説] 元来は相手をののしる言葉であるが、相手に対する思いやり、親しみ・愛情の気持ちを込めて用いることもある。「―だな。そんなに思いつめなくてもいいのに」など。また、「―!あきらめるな」のように、否定や批判などの意で、感動詞的にも用いられる。
他人から『馬鹿』といわれる多くの場合は上記の①あるいは②ではないでしょうか。
少なくとも、私の場合はそうでした。
少し前まで、あまりにも周りから『バカ、バカ』といわれるので、私は『自分がバカなんだ』としか思えませんでした。
少しずつながら自分に自信がもてるようになり、今になって思うのは、
『人のことをバカ、バカ言う奴に、ろくな人間はいない』
ということです。
私が自分に自信をもてるようになったのは、
「自分はできる!」だとか「自分はすごい!」と思えるようなったからではありません。
自分をバカ、バカいってくる人間。そしてそういう人間にゴマをする『長い物には巻かれろ』的な人間達に囲まれ続け、すったもんだの末、次第に
「こいつらどいつも大したやつじゃない」
「少なくとも、人間的に、こいつらよりは劣っていない」
と思うようになったからです。
私は今も、自分の知能や能力などは大したものではないと考えています。
そういう意味では、
「バカは死んでも治らない」というより、「どんなに頑張ってもそんなに利口にはなれない」
といった感じです。
だからといって頑張らなくていいとは思いません。
頑張ったら、頑張っただけ、自分を成長させることが可能だと考えます。
ただ、どんなに頑張ったところで、「他人をバカに出来るほど優れた人間になれるものではない」というのが私の考えです。
それは同時に、
「他人をバカに出来るほど、優れた人間など、この世には一人も存在しない」という考えにもつながっています。
ひょっとしたら、他人をバカにできるぐらい能力が突出した人は存在するかもしれません(これまでの人生で遭遇したことはありませんが)。
ただ、仮にそんな人が存在しても、『人をバカにする』時点で、私はその人を『優れた』人間だとは考えません。
ここは考え方や価値観でしかありませんが、私はそう感じてしまいます。
私が知っている『他人をバカバカいう人間』というのは、
能力や知能がどうこうというよりも、『他人をバカにすることでしか、自分の優位性を示せない人間』だと考えます。今のところ、私の中では例外的な人物には遭遇していません。
本当に優れていたり、能力があるのであれば、
わざわざ他人をおとしめて、ののしる必要はありません。
わざわざ威張らなくても、誰もがそのすごさを認めているからです。
「ほら俺えらいだろ」、「ほら俺すごいだろ」といいたいのが見え見えなのは、私からしたらすごくカッコ悪く思えて仕方ありません。
特に、本人のそういうアピールがなしには客観的にすごいともえらいとも思えない場合には。
また、あくなき向上心が存在すれば、自分の知らない事、これから自分が達成できるであろう事に意識がむいているため、過去の実績や経歴に過剰こだわることもないでしょう。
優れたプロのスポーツ選手が、小学校や中学での成績を大々的に自慢するでしょうか。高校野球のようにその大会自体に歴史や価値があるものは別にして、プロ通算○○点で有名な選手が、学生時代の点数を自慢する必要はないでしょう。
ノーベル賞受賞者のような優れた学者が、学歴や学生時代の成績を自慢する必要などあるでしょうか。
優れた人間であれば、もし仮に部下や同僚の能力が実際に劣っていると感じるのであれば、いかにして成長させられるかに苦心するはずです。
他人をバカにしたところで、トータルで見れば、誰にとっても決してプラスにはならないからです。
バカにされた人は当然落ち込むでしょうし、バカにした方も相手の恨みを買います。
長いものには巻かれろ的な人間達も、顔は笑っていても、内心はどう思っているか分かったものではありません。
私の場合は、私一人が標的になることで、職場がうまく回っていた印象でしたが、標的にされた側はたまったものではありません。
逆に、成長させることができれば、各個人にとっても集団にとってもプラスになることは間違いありません。
『どいつもこいつも使えない』というセリフを聞いたら、それは『指導者が何ひとつまともな指導を行なえていないことの証明』と考えて間違いないでしょう。
『○○君を見習え』というのは、『○○君が優れているから』であって、その指導者が優れているからではありません。あるいは客観的に特に優れているわけでもない○○君ばかりが評価される場合は、それは単なるエコヒイキと考えて間違いないでしょう。
『他人のことをバカバカ言う人間も、変わろうと思えば変われる』とは思いますが、通常、そういう人は自分を変えようとしないので、他人がそれを期待するのは一層困難です。
というわけで、
私からすれば
『バカは死ななきゃ治らない』
というより
『バカバカ言う奴は、死んでも変わらない』
という方がしっくりきます。
かつての私のように、周囲から『バカバカいわれてお悩みの方』へ。
まず、『まともな人間は他人のことをバカバカ言わない』ということを認識されてください。
「バカバカ言ってくる時点で、そいつらは全員、大した人間ではないのです」。
そして『そんな状況にいて、ニコニコヘラヘラしている人間も、大した人間ではない』という観点も重要です。
だからといって、『ニコニコヘラヘラしている人間』全てを憎んでみても、うらみつらみが募るばかりで自分にとってプラスになりません。
『こんな環境にニコニコヘラヘラして適応している哀れな人間達』ぐらいの認識にとどめておきましょう。
世の中では、『ニコニコヘラヘラしている方々』がほとんどなので、そういう方々からしたら、言い過ぎじゃないか、もっとポジティブに『ニコニコヘラヘラしながら適応しようと頑張っている人達』ぐらいの認識でいいのではないかというご指摘があるかもしれません。
しかしながら、『バカバカ言われている側』からしたら、『バカバカ言っている人』・『それをニコニコヘラヘラして看過している人』が一体になった集団から強いストレスを受けているわけです。
このストレスを相殺するには、若干ネガティブな表現にならざるを得ないというのが正直なところです。
もし仮に、『バカバカ言われる側』であって、『頑張っている人達』と捉えようとする方がいらっしゃれば、あなたは非常に心の優しい方です。どうかその気持ちを忘れないでいる一方で、過剰に精神的に追い込まれることのないようご自愛いただければと思います。
「自分はバカだ」と必要以上にネガティブな気持ちになってしまうと、自信を失って、できるものもできなくなってしまいます。
『負のプレッシャー』といってもいいでしょう。
できないことが少しできるようになった時に、「やった!ちょっと成長した!」と思うよりも
できるようにならないことに「ほら、自分は何をやってもダメなんだ」とさらに自信を失うことになります。
むしろ、上手くいかなかったことに少しほっとする自分がいたりもします。
上手くいくことに慣れていないからです。
「やればできるかも!」と思って何かに取り組むのと、「どうせできるようになるはずがない」と思って物事に取り組むのとでは、モチベーションも異なれば、成功率も確実に変わってきます。
「他人からバカバカ」言われると、自分が何もできない人間のように思えてしまいますが、『今いくつかのことがうまく出来ない=何をやってもダメ』ということではありません。
今できないことも、継続していれば出来るようになるかもしれませんし、
仮に今やっていることが向いていなかったとしても、他に自分に向いていることは必ず存在するはずです。
その上、そんなに出来ていないわけでもないのに、ただのパワハラやいじめのために、バカバカいわれている状況も存在します。理不尽なことこの上ありませんが、それが現実なので仕方ありません。
『自分の能力が優れている、劣っている』以前に『人間という生物の持つ能力は凄い』という大前提に気づくべきです。
人間という生物がもつ能力をうまく活用しさえすれば、少なくとも今よりも成長することは必ずできると考えます。
あなたの国語の点数や、偏差値などを気にする前に、普通に母国語でやりとりできていることに目を向けるべきです。本来日本語が習得できて、他の言語が習得できない理由はどこにもないのです。それは環境の違いだけです。正しい刺激が脳にとどけば、頭がよかろうが悪かろうが、外国語も習得できるはずです。
暗記力不足を嘆く前に好きなアニメのキャラクターや自分の電話番号は覚えられること。
集中力の無さをなげく前に、自分の好きなゲームなら何時間も続けられることのすごさに気づくべきです。
『どんなに頑張っても他人から評価されない』
のであれば、他人の評価のためではなく、あなた自身のために努力すればいいだけです。
出世の道が望めないのであれば、起業してしまう道だってあります。
人生100年時代。一つの会社、一つの就職先だけで定年を迎える時代ではなくなりました。他人から評価されずとも、身に付けた知識や経験は、いつどこで役に立つかわかりません。
今無駄と思っていたものが、10年後、20年後に役立つ可能性は十分存在します。
自分自身のために努力する上で大切なことは
まずは自分自身に自信をもつこと(そこまでいかなくても、自分に対する過大なネガティブイメージを少しずつ取り除いていくこと)。
次に、自分が好きなこと、あこがれるもの・こと、目標とするものなど、打ち込めることを探すことです。
そして少しでも成長が感じられた、あるいは前にできなかったことができるようになった場合には、素直にそれを喜び、自分の成功体験とすることです。
私自身は最近は、『バカバカいわれる機会』が一切なくなりました。
自然にそうなったわけではありません。
『バカバカ言われる筋合いはない』と考えるようになったので、『バカバカ言ってくる人間』に、『そんなに自分はバカなのか?』、『お前らはそんなに偉いのか?』と正面から突っ込んでいきました。
結果および結論は、やっぱり『バカバカ言われる筋合いはなかった』といったところです。
今後バカバカ言われる機会に遭遇した場合には、『お前らにバカバカ言われる筋合いはない』と言動ではっきり示したいと思います。
通常はバカバカ言ってくる相手に、『そんなに自分はバカなのか?』、『そんなにお前らは偉いのか?』と面とむかっていえるものではないでしょう。
他人をバカバカいうような人間は相手を選ぶので、歯向かわれたら危険と思うような人間にはバカバカいわないのが通常だからです。
そして、そんなことを言える相手だと認識されている以上は、そんなことをぶつけてみても、『そうだお前はそんなにバカなんだ』、『俺はこんなに偉いんだ』と開き直られるだけかもしれません。
私の場合は、あまりに周りからバカバカ言われるので、『自分がバカに違いない』と思い込むしかありませんでした。そうしなければ、その集団ではやっていけなかったからです。
しかし次第に、そんな集団でやっていくことに意味を見いだせなくなりました。かといって生活もあるので、集団から抜け出す事も出来ませんでした。そんな中で次第に疲弊していきました。
結果、どうでもよくなりました。
だったら、言いたいこと、思っていることを全部、相手にぶつけてやろう。
ぶつけた結果、心身共に少し救われましたが、結局その組織でやっていくのは困難になりました。
バカバカ言われることがなくなった今、『バカバカ言う奴は、死んでも変わらない』かもしれないので、『バカバカ言われている人』が一人でも少なくなるように手助けできたらと思います。
P.S. 自分の努力によって『バカバカ言われなくなった人』で、今度は自分が『バカバカ言う側に回ってしまう人』をたまに見かけます。
気持ちは分からないでもありませんが、これもやっぱりトータルでみると各人のプラスになるとは思えません。
バカバカ言う人が一人いると、嫌な気持ちになる人は一人ではありません。
最悪、そこにいる全員が嫌な気分になってしまうかもしれません。
世の中は不公平なことであふれています。
自分ばかりが不公平な立場で虐げられていると、その立場に憤慨し、同じようなことを違う人間にやりたくなる気持ちもわかります。
しかしながら、そうすることでかつての自分のような被害者をもっと大きな規模で生み出してしまうかもしれません。
被害者だと思っていた自分が、社会からしてみたらこの上ない加害者だったりするかもしれないのです。
こういう方々にも是非、『バカバカ言われてしまう人』を少しでも減らすべく御尽力していただきたいと思う今日この頃です。