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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 前投稿は、新聞ダイジェストから、赤ちゃんの寝かしつけについてご紹介しました。

 今号で、複数の記事から最も強く印象付けられたのは

 『日本はもはや先進国とはいえない』

 という事実です。

 

 9.13 読売

 "GDP 景気を測る大発明"

 という記事の一部、"MEMO"からです。

 

 "GDPの便利なところは、国際比較ができることだ。

 第2次大戦後は米国が圧倒的な経済規模を誇り、世界経済をリードしてきた。国際通貨基金(IMF)によると、2021年の名目GDPは23兆ドル(約3300兆円)に上っており、現在も世界最大の経済大国だ。

 

 (中略)

 

 GDPは、国土が広く、人口が多い国・地域の方が大きくなる傾向がある。ただ、経済規模が大きいだけで豊かだとは言えない。そこで参考になるのが、GDPの金額を国民1人あたりで割った数値だ。

 日本の1人あたりの名目GDPは00年にルクセンブルクに次ぐ2位だったが、21年は28位に落ち込んだ。デフレと低成長が続いたことが要因で、韓国(30位)に追いあげられている。"

 

 

 

 9.29 日経

 "デジタル競争力、最低29位

 22年、63の国・地域 中韓台下回る

 

    スイスのビジネススクールIMDが28日発表した2022年の世界デジタル競争力ランキングで、日本は63の国・地域のうち29位だった。前年から1つ下がり、17年の調査開始以降で最低。人材不足やビジネスのスピード感の欠如が主因だ。"

 

 (後略)

 

 

 9.3 日経

 "給付型奨学金の要件緩和など 

 修学支援、政府が工程表

 大学院生対象「出世払い」24年度から"

 という記事の一部からです。

 

 "日本は諸外国に比べて理系人材が不足する。大学の理工学部への入学者の割合は経済協力開発機構(OECD)諸国の平均である27%と比べて17%と低い。市場の成長が見込めるデジタルやグリーンの分野の人材も足りない。"

 

 

 成長もない、競争力もない、人材も育てられない。

 

 なんなんでしょう。

 

 これで歴史上類を見ない歳出ばかり増やすばかりです。

 

 こんな家族、会社がいたら(あるいはあったら)どうでしょう。

 

 親(又は社長):「おい、家計(資本)は苦しいけど、いっぱいお金借りて来るからどんどん使え!」

 家族(又は社員):「そんなことして、返す当てはあるの?」

 親(又は社長):「お前らが働いて返せばいいだろ。今お金がなかったらここで終わりだけど、生きて働ければ金は返せる。困ってるいまだからこそ、金を使って使って使いまくるんだ!」

 家族(又は社員):「そんなことしてたら、学費(人材育成費)も食費(設備投資費)もなくなっちゃうよ」

 親(又は社長):「だったら、もっと金を借りてくればいい。教育(人材育成)は大事だ。金はかけられるだけ、かけないとな」

 家族(又は社員):「末っ子(社員)の○○にももっと勉強して、働くようにゆってよ。特に病気や悩みみたいな理由も何もないのに、何もしないんだよ」

 親(又は社長):「他人のことをどうこういう前に、働いて稼げるやつがどんどん働けばいいんだよ。お前らが働いて金をかせげば、みんな幸せになれるんだ。稼げるやつはみんなに分け与えるのが当然だ。分配だよ、分配」

 家族(又は社員):「自分達は一向におこずかい(あるいは可処分所得)が増えないし、増えてもすぐ徴収されるのに、親(又は社長)の小遣い(または給料)は一向に変わらないじゃないか。しかも小遣い(又は給料)に差がありすぎるんじゃない?」

 親(又は社長):「皆を統率して、指導してるんだから、これぐらいもらって当然だろ。愚痴ってる暇があったら、さっさと働け!」

 

 後日

 

 親(又は社長):「よし、金は集まったな。ちょっと待て、このうちのいくらかは私が預かる。一家(我が社)を預かる私は、色々必要なものが多いからな」

 家族(又は社員):「え!?そんなに引かれるの?」

 親又は社長):「そりゃそうだよ。物価もあがってるし、あれこれ考えたり調整したりしなきゃいけないから大変なんだよ。食費(材料費)も光熱費もばかにならない。でもしっかり金を使うべきところにはしっかり使うから心配すんな。これまでで最高額の出費になるぞ!」

 「そうそう。お前ら、貯金なんかすんなよ。これからは貯金じゃなく、投資の時代だぞ、投資。

 え!?何に投資するのかって?そんなの知るわけないだろう。とにかく投資をして儲けて、金をいれればいいんだよ。」

 

 親(又は社長)のいないところで家族:

  「集めた金を何に使ってんだよ。ほんとに食費や学費に使ってんのかな。使ってたとしても、どんだけ中抜きされてるかわかったもんじゃないな。隠れて趣味、ばくち、飲み食いに使ってるんじゃないだろうな。最高額の出費とかゆってたけど、毎年こっちがとられる金額も増えるばかり。生活も楽になんないし、稼いでも特に自分で使えるわけでもなし。コストを削って浪費を控えれば、今ほど馬鹿みたいに働きつづけなくてもいいんじゃないのか。お前らを助ける、助けるってゆっといて、どんどん苦しくなってるだけじゃないのか。いつまでこんな暮らしが続くんだよ。そもそもこんな暮らしでいつまでもやっていけんのかよ」

 

 

 どうでしょう。こんな家族あるいは会社があったとしたら。

 

 生みの親を自分で選ぶことはできませんが、働く場所や自分が所属する組織のリーダーを選ぶ際にそれなりの影響力が自分にあるとしたら、今のリーダーや組織が自然とよくなるのをただただ待つだけでいいのでしょうか。

 

 

 

 

 

 月刊新聞ダイジェスト11月号がようやく読み終わりました。

 暗い話題ばかりでしたが、中にはこんな記事も

 

 9.14 E

 

 "泣く赤ちゃん寝かすには?

 5分抱っこで歩き→8分待つ

 

 理研チーム 実験で解明。

 

    泣いている赤ちゃんを寝かしつけるには抱っこして5分歩き、落ち着いたら8分待つと良い―。

 理化学研究所(理研)などのチームが、国内外の生後7か月以下の赤ちゃんとその母親を対象に行った実験から、こんな結果をまとめ、13日付の米科学誌に発表した。"

 

 (中略)

 

 泣いている赤ちゃんへの対処法

 

 泣いている赤ちゃん

    ↓

 5分抱っこして歩く

    ↓

 5~8分抱っこして待つ(座ってok)

    ↓

 ベッドに置く

 

 とよいみたいです。

 

 本文には、抱っこで寝た状態が平均3分程度では、ベッドに置いた後に起きてしまったことが記載されています。

 

 確かにこれは経験則にも一致します。

 

 うちの子供たちもすっかり赤ちゃんではなくなってしまいましたが、

 赤ちゃんの頃は、抱っこして歩くと比較的おちつくのに、

 抱っこしたまますわるだけで泣き出してしまいました。

 

 楽したいので、「なんで座ったらダメなんだ」と何度も思ってしまいましたが、そういうものだから仕方ありません。

 

 抱っこした状態で泣き止み、眠ってしまったら平均8分程度はそのまま我慢するのがよいようです。

 

 平均3分だと、起きてしまったケースが多かったようです。

 

 急がば回れです。

 

 ここまできてまた泣いてしまったら、抱っこして歩くところからやり直しになるかもしれません。

 

 ベッドに置く際に起きてしまったか眠ったままだったのかについては、置く速度・頭から置くかお尻から置くかといった順番による違いはなかったとされています。

 

 母親だからなのか、普段から一緒に過ごす時間が圧倒的に多いからか、我が家の場合は、娘も息子も、妻の方が圧倒的に泣き止むのが早かったです。

 

 個人差や、母親・父親の差はあるかもしれませんが、こんな記事が出ていました。

 

 絶対効果がある!と保証できるものではありませんが、どうしていいかわからずにお困りの方は是非試してみられてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 もう10月も終わりそうです。

 今年もあとわずかです。

 

 今週は息子と二人で実家(といっても、私の生まれ・育ちは異なり、ただ父母が住んでいるというだけです)を訪れてきました。

 

 実家は遠く、私自身もこれまでまとまった休みをほとんどとれなかったことから、息子と実家を訪れるのは今回が初めてでした。

 

 先週までに終わらせておこうと考えていたことも山ほどありましたが、思惑とは大きく異なり、やろうとしていてたことの半分も終わらせられていない状況です。

 

 悩みに悩みましたが、帰省には勉強道具や本などは一切持っていきませんでした。

 

 仕事が始まれば、仕事に関する勉強は嫌でもやることになるでしょう。

 

 一方、息子と実家で過ごせる時間は最初で最後になる可能性もゼロではありません。

 

 両親ともに健在ですが、この年になってくると、いつ誰が体調を崩しても不思議ではありません。

 

 今回は仕事や勉強のことは忘れ、実家での家族との時間をたっぷりと使うことを最優先にしました。

 

 息子と二人で何泊も旅行したのも今回が初めてでした。

 

 途中、少しヤダヤダも出ましたが、新幹線の往復の長旅や、慣れない環境での寝泊まりも大きな問題行動なく終えることができました。

 

 また一つ、息子の成長を感じられた気がします。

 

 私と共に過ごした時間が息子にとってプラスとなることを願います。

 

 明日は、初期研修医時代の同期数人と久しぶりに会う予定です。

 

 実家への帰省は、私がタイミング的に予定しましたが、同期と会うことになったのは偶然でした。

 

 私の人生は出世などには縁がありませんが、今回は休職せざるを得なかったからこそ、息子と実家でゆっくり過ごす時間を得ることができました。

 

 第一線でバリバリ働き、多くの給与を稼ぎまくってる同期

 専門性を高め、キャリアにみがきをかけている同期

 本業以外のことに興味を向け始めている同期

 なんかもいるかもしれません。

 

 私のキャリアが不安定な中、みんなの人生はどんな感じなのか楽しみです。

 

 私は人生を通して、

 『人間万事塞翁が馬』

 『隣の芝生は青く見える』

 というのをつくづく実感してきました。

 

 今では他人の人生をうらやましく思ったり、妬ましく思うことが全くなくなりました。

 

 他人の人生をうらやましく思うのであれば、自分の人生をよりよいものにするにはどうすればいいかを考えぬくほうが生産的でしょう。

 

 かつて他人の人生がうらやましく思えていた頃は、その人の結果としての成功の裏にある、努力や大変さに目を向けることがありませんでした。

 

 今月中に職場においてある私物を全て撤去するつもりです。

 

 11月からどんな生活が待っているのか謎だらけですが、一日一日を大切にしながら、ベストを尽くしていこうと思います。

 

 私はそうは思いません。

 人生において、平均よりもはるかに多く『馬鹿、馬鹿』と言われてきたであろう私の考えです。

 そもそも『バカ』とはなんでしょう。

 

 お得意の、コトバンクからの引用いってみましょう。

 

 デジタル大辞泉からの引用です。

 [名・形動≪<梵>mohaの音写。無知の意。「馬鹿」は当て字≫

 1 知能が劣り愚かなこと。また、その人やそのさま。人をののしっているときにも用いる。あほう。「―なやつ」⇔利口

 2. 社会的な常識にひどく欠けていること。また、その人。「役者―」「親―」

 3. つまらないこと。無益なこと。そのさま。「―を言う」「―なまねはよせ」

 4. 度を過ぎること。程度が並みはずれていること。また、そのさま。「―に風が強い」「―騒ぎ」「―正直」

 5. 用をなさないこと。機能が失われること。また、そのさま。「蛇口が―で水が漏れる」→馬鹿になる

[補説] 元来は相手をののしる言葉であるが、相手に対する思いやり、親しみ・愛情の気持ちを込めて用いることもある。「―だな。そんなに思いつめなくてもいいのに」など。また、「―!あきらめるな」のように、否定や批判などの意で、感動詞的にも用いられる。

 

 他人から『馬鹿』といわれる多くの場合は上記の①あるいは②ではないでしょうか。

 少なくとも、私の場合はそうでした。

 

 少し前まで、あまりにも周りから『バカ、バカ』といわれるので、私は『自分がバカなんだ』としか思えませんでした。

 

 少しずつながら自分に自信がもてるようになり、今になって思うのは、

 『人のことをバカ、バカ言う奴に、ろくな人間はいない

 ということです。

 

 私が自分に自信をもてるようになったのは、

 「自分はできる!」だとか「自分はすごい!」と思えるようなったからではありません。

 

 自分をバカ、バカいってくる人間。そしてそういう人間にゴマをする『長い物には巻かれろ』的な人間達に囲まれ続け、すったもんだの末、次第に

 「こいつらどいつも大したやつじゃない」

 「少なくとも、人間的に、こいつらよりは劣っていない」

 と思うようになったからです。

 

 私は今も、自分の知能や能力などは大したものではないと考えています。

 そういう意味では、

 「バカは死んでも治らない」というより、「どんなに頑張ってもそんなに利口にはなれない

 といった感じです。

 

 だからといって頑張らなくていいとは思いません

 

 頑張ったら、頑張っただけ、自分を成長させることが可能だと考えます。

 

 ただ、どんなに頑張ったところで、「他人をバカに出来るほど優れた人間になれるものではない」というのが私の考えです。

 

 それは同時に、

 「他人をバカに出来るほど、優れた人間など、この世には一人も存在しない」という考えにもつながっています。

 

 ひょっとしたら、他人をバカにできるぐらい能力が突出した人は存在するかもしれません(これまでの人生で遭遇したことはありませんが)。

 

 ただ、仮にそんな人が存在しても、『人をバカにする』時点で、私はその人を『優れた』人間だとは考えません。

 

 ここは考え方や価値観でしかありませんが、私はそう感じてしまいます。

 

 私が知っている『他人をバカバカいう人間』というのは、

 能力や知能がどうこうというよりも、『他人をバカにすることでしか、自分の優位性を示せない人間』だと考えます。今のところ、私の中では例外的な人物には遭遇していません。

 

 本当に優れていたり、能力があるのであれば、

 わざわざ他人をおとしめて、ののしる必要はありません。

 わざわざ威張らなくても、誰もがそのすごさを認めているからです。

 「ほら俺えらいだろ」、「ほら俺すごいだろ」といいたいのが見え見えなのは、私からしたらすごくカッコ悪く思えて仕方ありません。

 特に、本人のそういうアピールがなしには客観的にすごいともえらいとも思えない場合には。

 

 また、あくなき向上心が存在すれば、自分の知らない事、これから自分が達成できるであろう事に意識がむいているため、過去の実績や経歴に過剰こだわることもないでしょう。

 

 優れたプロのスポーツ選手が、小学校や中学での成績を大々的に自慢するでしょうか。高校野球のようにその大会自体に歴史や価値があるものは別にして、プロ通算○○点で有名な選手が、学生時代の点数を自慢する必要はないでしょう。

 

 ノーベル賞受賞者のような優れた学者が、学歴や学生時代の成績を自慢する必要などあるでしょうか。

 

 優れた人間であれば、もし仮に部下や同僚の能力が実際に劣っていると感じるのであれば、いかにして成長させられるかに苦心するはずです。

 

 他人をバカにしたところで、トータルで見れば、誰にとっても決してプラスにはならないからです。

 

 バカにされた人は当然落ち込むでしょうし、バカにした方も相手の恨みを買います。

 長いものには巻かれろ的な人間達も、顔は笑っていても、内心はどう思っているか分かったものではありません。

 私の場合は、私一人が標的になることで、職場がうまく回っていた印象でしたが、標的にされた側はたまったものではありません。

 

 逆に、成長させることができれば、各個人にとっても集団にとってもプラスになることは間違いありません。

 

 『どいつもこいつも使えない』というセリフを聞いたら、それは『指導者が何ひとつまともな指導を行なえていないことの証明』と考えて間違いないでしょう。

 『○○君を見習え』というのは、『○○君が優れているから』であって、その指導者が優れているからではありません。あるいは客観的に特に優れているわけでもない○○君ばかりが評価される場合は、それは単なるエコヒイキと考えて間違いないでしょう。

 

 『他人のことをバカバカ言う人間も、変わろうと思えば変われる』とは思いますが、通常、そういう人は自分を変えようとしないので、他人がそれを期待するのは一層困難です。

 

 というわけで、

 

 私からすれば

 

 『バカは死ななきゃ治らない』

 

 というより

 

 『バカバカ言う奴は、死んでも変わらない』

 

 という方がしっくりきます。

 

 

 

 かつての私のように、周囲から『バカバカいわれてお悩みの方』へ。

 

 まず、『まともな人間は他人のことをバカバカ言わない』ということを認識されてください。

 「バカバカ言ってくる時点で、そいつらは全員、大した人間ではないのです」。

 

 そして『そんな状況にいて、ニコニコヘラヘラしている人間も、大した人間ではない』という観点も重要です。

 だからといって、『ニコニコヘラヘラしている人間』全てを憎んでみても、うらみつらみが募るばかりで自分にとってプラスになりません。

 『こんな環境にニコニコヘラヘラして適応している哀れな人間達』ぐらいの認識にとどめておきましょう。

 世の中では、『ニコニコヘラヘラしている方々』がほとんどなので、そういう方々からしたら、言い過ぎじゃないか、もっとポジティブに『ニコニコヘラヘラしながら適応しようと頑張っている人達』ぐらいの認識でいいのではないかというご指摘があるかもしれません。

 

 しかしながら、『バカバカ言われている側』からしたら、『バカバカ言っている人』・『それをニコニコヘラヘラして看過している人』が一体になった集団から強いストレスを受けているわけです。

 

 このストレスを相殺するには、若干ネガティブな表現にならざるを得ないというのが正直なところです。

 もし仮に、『バカバカ言われる側』であって、『頑張っている人達』と捉えようとする方がいらっしゃれば、あなたは非常に心の優しい方です。どうかその気持ちを忘れないでいる一方で、過剰に精神的に追い込まれることのないようご自愛いただければと思います。

 

 

 

 「自分はバカだ」と必要以上にネガティブな気持ちになってしまうと、自信を失って、できるものもできなくなってしまいます。

 

 『負のプレッシャー』といってもいいでしょう。

 

 できないことが少しできるようになった時に、「やった!ちょっと成長した!」と思うよりも

 できるようにならないことに「ほら、自分は何をやってもダメなんだ」とさらに自信を失うことになります。

 

 むしろ、上手くいかなかったことに少しほっとする自分がいたりもします。

 上手くいくことに慣れていないからです。

 

 「やればできるかも!」と思って何かに取り組むのと、「どうせできるようになるはずがない」と思って物事に取り組むのとでは、モチベーションも異なれば、成功率も確実に変わってきます。

 

 「他人からバカバカ」言われると、自分が何もできない人間のように思えてしまいますが、『今いくつかのことがうまく出来ない=何をやってもダメ』ということではありません。

 

 今できないことも、継続していれば出来るようになるかもしれませんし、

 仮に今やっていることが向いていなかったとしても、他に自分に向いていることは必ず存在するはずです。

 

 その上、そんなに出来ていないわけでもないのに、ただのパワハラやいじめのために、バカバカいわれている状況も存在します。理不尽なことこの上ありませんが、それが現実なので仕方ありません。

 

 『自分の能力が優れている、劣っている』以前に『人間という生物の持つ能力は凄い』という大前提に気づくべきです。

 

 人間という生物がもつ能力をうまく活用しさえすれば、少なくとも今よりも成長することは必ずできると考えます。

 

 あなたの国語の点数や、偏差値などを気にする前に、普通に母国語でやりとりできていることに目を向けるべきです。本来日本語が習得できて、他の言語が習得できない理由はどこにもないのです。それは環境の違いだけです。正しい刺激が脳にとどけば、頭がよかろうが悪かろうが、外国語も習得できるはずです。

 

 暗記力不足を嘆く前に好きなアニメのキャラクターや自分の電話番号は覚えられること。

 集中力の無さをなげく前に、自分の好きなゲームなら何時間も続けられることのすごさに気づくべきです。

 

 『どんなに頑張っても他人から評価されない』

 のであれば、他人の評価のためではなく、あなた自身のために努力すればいいだけです。

 出世の道が望めないのであれば、起業してしまう道だってあります。

 人生100年時代。一つの会社、一つの就職先だけで定年を迎える時代ではなくなりました。他人から評価されずとも、身に付けた知識や経験は、いつどこで役に立つかわかりません。

 今無駄と思っていたものが、10年後、20年後に役立つ可能性は十分存在します。

 

 自分自身のために努力する上で大切なことは

 

 まずは自分自身に自信をもつこと(そこまでいかなくても、自分に対する過大なネガティブイメージを少しずつ取り除いていくこと)。

 

 次に、自分が好きなこと、あこがれるもの・こと、目標とするものなど、打ち込めることを探すことです。

 

 そして少しでも成長が感じられた、あるいは前にできなかったことができるようになった場合には、素直にそれを喜び、自分の成功体験とすることです。

 

 私自身は最近は、『バカバカいわれる機会』が一切なくなりました。

 自然にそうなったわけではありません。

 『バカバカ言われる筋合いはない』と考えるようになったので、『バカバカ言ってくる人間』に、『そんなに自分はバカなのか?』、『お前らはそんなに偉いのか?』と正面から突っ込んでいきました。

 

 結果および結論は、やっぱり『バカバカ言われる筋合いはなかった』といったところです。

 

 今後バカバカ言われる機会に遭遇した場合には、『お前らにバカバカ言われる筋合いはない』と言動ではっきり示したいと思います。

 

 通常はバカバカ言ってくる相手に、『そんなに自分はバカなのか?』、『そんなにお前らは偉いのか?』と面とむかっていえるものではないでしょう。

 他人をバカバカいうような人間は相手を選ぶので、歯向かわれたら危険と思うような人間にはバカバカいわないのが通常だからです。

 

 そして、そんなことを言える相手だと認識されている以上は、そんなことをぶつけてみても、『そうだお前はそんなにバカなんだ』、『俺はこんなに偉いんだ』と開き直られるだけかもしれません。

 

 私の場合は、あまりに周りからバカバカ言われるので、『自分がバカに違いない』と思い込むしかありませんでした。そうしなければ、その集団ではやっていけなかったからです。

 

 しかし次第に、そんな集団でやっていくことに意味を見いだせなくなりました。かといって生活もあるので、集団から抜け出す事も出来ませんでした。そんな中で次第に疲弊していきました。

 結果、どうでもよくなりました。

 だったら、言いたいこと、思っていることを全部、相手にぶつけてやろう。

 

 ぶつけた結果、心身共に少し救われましたが、結局その組織でやっていくのは困難になりました。

 

 バカバカ言われることがなくなった今、『バカバカ言う奴は、死んでも変わらない』かもしれないので、『バカバカ言われている人』が一人でも少なくなるように手助けできたらと思います。

 

 

 

 

P.S. 自分の努力によって『バカバカ言われなくなった人』で、今度は自分が『バカバカ言う側に回ってしまう人』をたまに見かけます。

 

 気持ちは分からないでもありませんが、これもやっぱりトータルでみると各人のプラスになるとは思えません。

 

 バカバカ言う人が一人いると、嫌な気持ちになる人は一人ではありません。

 最悪、そこにいる全員が嫌な気分になってしまうかもしれません。

 

 世の中は不公平なことであふれています。

 

 自分ばかりが不公平な立場で虐げられていると、その立場に憤慨し、同じようなことを違う人間にやりたくなる気持ちもわかります。

 しかしながら、そうすることでかつての自分のような被害者をもっと大きな規模で生み出してしまうかもしれません。

 被害者だと思っていた自分が、社会からしてみたらこの上ない加害者だったりするかもしれないのです。

 

 こういう方々にも是非、『バカバカ言われてしまう人』を少しでも減らすべく御尽力していただきたいと思う今日この頃です。

 

 

  いつも言いたいことを言っているようで、自分なりに内容に気を使っていたりします。

  ブログの人気もないことですし、本日はいつも以上に言いたいことを言ってしまおうかと思います。

 

  ここ一年半ほど、株がうまくいきません

  もちろん、世界的に経済状況が厳しく、私の投資の才能がないだけかもしれません。

 

  とはいっても、私からすれば、あまりにもうまくいかなすぎな印象なのです。

 

  けっこう個別銘柄は頻繁に売買していますが、その時その時にメインに据えている銘柄というのがあります。それらは通常少なくとも数週間程は保有しています。長いものでは数か月です。

 

  それらメインの銘柄のうち、今週木曜日にいくつかを売りに出しました。

  テクノクオーツ

  ディスコ

  スポーツF

 

  翌日金曜日、日経平均は-116でしたが、

  テクノクオーツ +480(+10.62%) 

  ディスコ +2450(+7.90%) 

  スポーツF +400(+21.62%)

 

  全体的に株価が低迷する中、売りに出した翌日に揃いもそろって上がるのはどうしても不自然です。

  ちなみに買い替えた銘柄はほとんど変わらないか、少し下がりました。

 

  これは今回だけでなく、ここ1年半程通してずーっとこんな感じです。

 

  買った途端に値下がりを始める、あるいは値上がりしなくなる。

  そして打った瞬間に株価が急騰するのです。

 

  中には何か月も保持していたのに一向に上がる気配を見せず、売った途端に急騰したものもありました。

 

  株価が不自然に上がったり、下がったりするのは、経済状況以上に、大口の投資機関などによる操作が入るので理解しています。

 

  私が下手だとか、ついていないというだけの可能性も十分存在しますが、こんなに狙ったように私の保有している銘柄だけが上がらないというのはあまりに不自然です。

 

  売った銘柄が下がっただけなら『私は投資の才能がない』ということでまだ納得いきますが、多くの場合、売った途端に急騰するのです。

 

  1年半もあれば、たまにはどかーんと大上がりしてもよさそうなものですが、どーんと大下りするのに、上がるときはちょっとだけばかりです。

 

  私は親の資産運用も行っているので、定期的に連絡をとっていますが、母からは

  「多分、試されてるんやで」

  といわれました。

 

  私の場合、どんなに損失をあびても投資をやめるつもりはありません。

  なので、わざわざ試される必要もないはずです。

  ひたすら下がるとすれば、それは試されるというよりは、いじめられている状況です。

 

  何かのバチがあたってるのかとも考えました。

  運命に見放されて、やることなすことうまく行かないのではないかと

  まあ、その可能性も否定はしきれませんが...

 

  ただ、それだと気持ちが萎えてしまうので、

  もっとプラスにとらえられる理由はないかと考えてみました。

 

  それで、『逆に、順調に株があがっていたらどうしてたか』を考えてみました。

 

  数か月前まで、心身ともに疲弊しきっていたので、本業に対するモチベーションが著しく低下していました。

  株が順調だったら、ひょっとしたら本業をやめて株一本でやっていこうと決心していたかもしれません

 

  休養をとり、職場を変えることも決心した今、改めて本業に対するモチベーションが高まっています。

 

  おそらくこれまで不自然なほど投資がうまく行っていなかったのは

  『本業をしっかりやるべき』ということなのだととらえました。

 

 

 

 

  こういうのを、『お導き』や『運命』ととらえる方もいらっしゃるかもしれません。

  あるいは、『ただの偶然』と考える方もいらっしゃるでしょう。

 

  私の場合、『お導き』や『運命』があってもおかしくないとは考えるものの、

  そこまで強くその存在を肯定するものではありません。

 

  かといって、以前のように、『すべてがただの偶然だ』とも考えなくなりました。

 

  通常、私のような経歴から医療職につく方はあまりいらっしゃらないでしょう。

  だからといって私が医療職につくのは運命だとか、何かのお導きだとまでは考えませんが、

  何らかの流れのようなものは感じたりします。

 

  

 

  川に入っていて、急流に流されたとします。

  流れに逆らって泳ぐことで川を上流したり、急流の中で向こう岸にたどり着くのは非現実的です。

  何もしないでその身をまかせてしまうと、その先には大きな滝が待ち受けているかもしれません。溺れてしまって深い川底に沈んでしまうかもしれません。

 

  どうすることもできずに流され続けていると、川下に木の枝が張り出してきているのが見えたらどうでしょう。

 

  あの枝までたどり着けたら、なんとかこの危機から逃れられそうです。

 

  

  

  これまでの人生を通しての、『ピンチ』に対する印象はこんな感じです。

  神のような絶対的な存在がいて、いつも必ず助けてもらえるというものではありません。

  都合のよい『枝』がいつも存在するとは限りません。

  どんなにあきらめずにこらえてみても、枝の一本も見えてこないこともあるでしょう。

 

  ただ何もしないでいても、誰かがきっと助けてくれるようなものではありません。

  なんとか努力していれば、必ず事態がよくなるという保証もありません。

 

  しかしながら、何もしなければ、さらに状況が悪くなる場合がほとんどです。

  努力すれば報われるというものではありませんが、

  『枝がのびてればラッキー』ぐらいに思いながら、努力するしかありません。

 

 そして枝が見えてきた場合には、

 『枝に頼らず我が道を行く』

 よりは、『枝に頼ってみるのがよい』

 というのが私の印象です。

 

 ただ、弱みにつけこんで利益を得ようという『詐欺あるいはだまし』のようなものも存在するので注意が必要です。

 

 

 

  

  『絶対的な存在』については、いてもいなくても、どちらであってもおかしくない

 というのが私の考え方です。

 

  存在する場合には、何らかの努力をしようと・しなかろうと、祈れば必ず救われることでしょう。

 

  ただし、もし仮に存在しないとしたらどうなるでしょうか。

  祈るだけでは救われることはありません。

 

  そう考えれば、祈る、祈らない・その存在を信じる、信じないに関わらず、状況を好転させるためには何らかの努力をする方がよいというのが私の考えです。

 

 

 

  

  最近、本業関連の勉強を中心に行っています。

  そして極めようと考えたら、その勉強に終わりはなくなります。

 

  これまた少し前までは、本業に対するモチベーションが低下していたので、資産が形成できたら「業から足を洗って、教育分野への参入を検討したい」と考えていました。

 

  発信力や説得力を増やすために、教育学部への再入学を考えていましたが、これについても考えが変わってきました。

 

  教育についてあれこれ考えるために、大学から入りなおす。

  そのために大学受験をする。

  

  というのは、勉強のための勉強を行うことに他なりません。

 私からすれば、ただ学歴をえるためだけの受験勉強はこれと同じに思えてなりません。

 

  私が教育についてあれこれ学んだり、考えたりするのと

  教育学部に入るために、また受験勉強を行うのとでは、勉強の中身も目的も全く異なります。

 

  もし仮に私が学校を作れば、その学校に入った人達には影響を与えられるかもしれません。

  しかし、それ以外の人への影響は限定的であり、学校建設に至るまでにかなりの時間を要することが予想されます。

 

  学校建設に至れなかったり、教育者としての立場を得られなかったとしたら、それこそ再受験や大学入学は無駄に終わってしまうかもしれません。

 

 

  であれば、本業を通じて、突出した知識や経験を養い、患者さんあるいは家族を通じて私のイズムを浸透させる。

 

  本業での知識や経験、実績を高めることは、私個人の存在価値を高めることにつながり、それは教育学部に入り直し、教育者としての肩書を得ることに劣らないかもしれないと考えるに至りました。

 

 

  私は現在の日本の教育制度に大きな価値を見出せません。

  「学びなおし」

  「リスキリング」

  「問題解決能力」

  などなど。

 

  世界的にトレンドだから重要なのではありません。

  それが必要だと考えられるから、身に着けることが大切なのです。

 

  様々な問題に対し、状況を分析して対策を講じ、その効果を判定する。効果の分析を通じて試行錯誤を続け、状況の改善を目指す。

 

  学びなおしも、リスキリングも、状況が目まぐるしく変わる中で、常に成長・向上を目指す態度に他なりません。

 

  そんな態度が重要なのは何もここ数年に限ったことではありません。

 

  産業革命、文明開化、第二次世界大戦敗戦、高度経済成長、ITバブル崩壊、リーマンショック、震災、新型コロナ感染拡大

 

  大きな社会的変化はその都度起こってきたわけです。

 

  これからは英語だと、スピーキングやリスニングに力を入れてきていますが、

  問題となっている、読解力の低下はどうするのでしょうか。

  英語力を伸ばそうとしたら、読解力までひどくなった。そんな未来が見えてなりません。

  お偉いさんが決める方針に間違いなどあるはずがない。

  そうお考えになる方がいらっしゃれば、『ゆとり教育』を思い浮かべていただければと思います。

 

  学びなおしや、問題解決能力を育てるといいますが、学びなおしや問題解決能力を有さない大人や教育者が、子供たちにその重要性や方法をしっかりと教育することなどできるのでしょうか。

 

 

 

  専門科を変えて、勉強をし直すのは、まさしく『学びなおし』です。

  投資に関して、様々な知識を学んでいますが、今話題の『お金に関する知識』そのものです。

  

  『私自身が学びなおし、お金の勉強がしっかりできている。だからすごい!』と思ったことは一度もありません。「常に学び続けたい。知らないことばかりだ」といつも新鮮な気持ちです。ただ、そんな態度で回りを見渡してみると、他人には要求するものの、「その人自身が学びなおす態度、問題解決能力をしっかりと身に着けている』と思える大人がほとんど見当たりません。

 

  今回、退職や科を変えるにあたって、一切他人には相談しませんでした。

  仮に相談していたとしたら、きっと

  「そんなの無謀だ」

  「やめといたほうがいい」

  と言われていたことでしょう。

 

  

  私が教育学部に入るための受験勉強をしたとして、その知識は問題解決能力とはまた別のものです。

  過去問をといて、パターンを覚え、解法を覚える。

  受験勉強対策としては役立ったとしても、『教育者として成長』できるどうかとはまた別のものと思えてなりません。

  受験対策にたけた教育者が、必ずしも『優れた教育者』とも限りません。

  

 

  この数年、本業、ブログ、オンライン書店などなど、個人的にはそれなりに頑張ってきたつもりですが、なんの評価も、何の反響も感じられません。

 

  他人の評価や肩書等にこだわることを捨て、自分自身のやり方で、夢をつかもうと思います

  そしてここにきて、本業を通すことで、その達成に近づけるのではないかと考えるようになってきました。

 

  また、私自身に他人にプラスに作用するような価値があるとして、それが実の子供たちにプラスに反映されなければ、私に『教育云々を語る資格がない』のは明らかでしょう。