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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 昨日は、入職してから初めての週末の当番でした。

 電話にかかってくる件数はその日によってマチマチということだったので、どんな感じか不安でしたが、実際は

 

 大変

 

 でした。

 

 AM6時から担当が変更になるのですが

 9時台に一気に3件。

 

 1件目は目覚まし代わりのシャワーを浴びていたので、ふと気づくと着信が3度入っていました。

 慌てて折り返すと、電話対応のみで終了しました。

 

 電話を済ませるとすぐに2件目。

 

 どうやら往診した方がよさそうです。往診を決めると、すぐに三件目。こちらは訪問看護師からの連絡だったので、ご家族から連絡してもらえるように頼みました。

 

 ご家族から連絡をいただき、こちらも電話対応のみで終了。

 

 朝食をかきこみ急いで往診へ。いつもはドライバーさんがいて、看護師さんもついてくれるので、目をつぶってても患者さんのご自宅に到着できますが、休日はそうは行きません。

 

 公共交通機関を利用するのか、タクシーを利用するのか

 タクシーを利用するのであれば、どこから、どうやって、どのタクシー会社を利用するのかをすべて自分で選択しなければなりません。

 

 移動中は運良く電話がかかってきませんでした。

 

 無事、一軒目の往診宅へ。往診中に別件の連絡が。

 

 患者さんのご家族からなので、状況判断が困難なことも少なくありません。

 かなり動揺されていて、すぐに来てほしいと言われたりもします。

 

 ただ、在宅診療の難点は、どんなに急いでもすぐには到着できないところ。

 特に、すでに別の患者さんを往診していたり、そのために移動中の場合には。

 

 電話内容で急いで対応が必要と思われたら、その場合はその時点でご家族に救急車を呼んでもらうように指示するしかありません。

 

 続いて別件の電話が。もうちょっとしたパニックです。

 

 とりあえず時間がかかる旨を説明し、ご了承いただきました。

 

 パニックになり、思考停止に陥りそうでしたが、そうなったところで事態は何も変わりません。何も手につかなければ、トータルは『0』です。他人からの評価を考えると『マイナス』といえるかもしれません

 はやる気持ちを抑え、『無理なものは無理』と割り切り、目の前のことを一つずつこなしていくしかありません。他人からのトータル評価は仮に『マイナス』だったとしても、成果は『0』よりは大きなはずです。

 

 昨日は最終的に往診3件を含む、問い合わせ合計6件でした。

 

 往診件数はそれなりですが、6件という数字だけを見るとそれほど多い数字ではありません。

 

 私のキャパシティの底がしれます。

 

 同じ電話の内容でも、病院内のおちついた環境で椅子に座ってパソコンを前に受けるのと、移動中にモバイル片手に受けるのとでは大違いです。

 

 これが10件にもなると、精神的余裕がなくなり、電話の受け答えにも影響が出そうです。

 

 

 

 

 よく『人は土壇場で本性が出る』といった主旨の言葉を耳にします。

 完全に自我を喪失するぐらいのショックの場合はともかく、少しでも自我が残っているのであればまずは落ち着こうとするのが大切だと考えます。

 明らかに全部に着手するのが困難な状況で、複数のタスクをこなさなければならない場合、優先順位を決めて、上位から一つでも多くつぶしていくしかありません。

 

 裏を返すと『土壇場は最も評価をあげられるまたとないチャンスの場』といっても過言ではないでしょう。

 

 

 

 

 朝はAM6時で当番が交代となるのですが、AM5:35に別件のお問い合わせがありました。

 入職以来、忙しい日々が続いています。昨日が忙しかったのも、私の『日頃の行いが悪いからか』と思ってしまいましたが、昨日は前々から天候が悪いと聞いていたのに、一度も雨にふられることなく過ごすことができました。

 とりあえず『日々忙しいのは私の日頃の行いが悪いからではなく、成長のためのまたとないチャンス』と考え、明日以降も仕事を頑張っていこうと思います。

 

 

 それにしても、私も随分変わりました。

 元々人見知りだった私が、はじめましてのご家庭に伺い、何十分、長いときには何時間もお話をするわけです。

 

 20代のときに、高卒で営業職を経験したことがあります。このときは、場合によっては求められてもいない商品に興味をもってもらうべく営業をかけなければなりませんでした。

 今はむしろ患者さんの希望により(医師としての立場から必要と判断される場合には患者さんの希望よりも優先されることもあります)往診することになります。

 アウェーに近い環境の当時からすれば、限りなくホームに近い環境といえます。

 

 人見知りで社会知らずだった私にとって、当時の毎日は苦痛の連続でしたが、今になって非常に大きな経験となっているのは間違いありません。

 

 『どんな状況であっても、腐らず頑張っていれば、その経験はどこかで役に立つ時が必ずくる』とこの歳になってつくづく思います。

 

 パニックになって思考停止すれば成果は0もしくはマイナスになるのと同様、苦境で腐ったところで他人はもちろん自分にも何のプラスにもなりません。

 

 辛い経験を乗り越えていれば、『あの時に比べれば遥かにマシ』とも思えます。

 

 

 

 

 とはいえ、年齢を重ねると、昔ほどの無理をできないのもまた事実です...

 

 

 

 

 

 

 

 

 本日お知り合いの方にお声がけいただき、地域密着型のコミュニティイベントに顔を出してきました。

 SDGsをテーマに複数の登壇者の方々がお話をされ、その後に交流会の場が設定されていました。

 

 海の環境問題、難民センターの運営、食を通しての市民活動、ゴミ減少活動、資源のリユースなど、とても興味深く社会的価値の大きなとりくみばかりでした。

 

 いずれの方にも共通して感じたのは『当事者意識』です。

 

 ゴミ問題はその際たる例で、ゴミを出すのは私たち一人一人です。では私たち誰もがゴミ問題を自分達の問題としてとらえ、積極的に解決に取り組んでいるかというとそうではありません。

 

 一人一人が自分達の出すごみを減らすだけで、問題そのものがかなり軽減するに違いありません。

 

 ゴミ問題は大きな問題で、世界規模の問題です。地方のみならず国家レベルでの行政が抱える問題ですが、行政まかせにするのではなく、一人一人が当事者意識をもつことこそが解決へのカギと思えてなりません。

 

 それは環境問題のみならず、政治や経済、福祉など全ての面において言えることだと考えます。

 

 

 

 また、今回のテーマはSDGsとされていましたが、それぞれの登壇者の方々は『SDGsが今の主流』だから活動を行われているのではなく、自分の取り組んでいる活動がたまたまSDGsの項目の一つだったという印象です。

 

 SDGsという言葉が生まれる前から同様の活動を続けられている方もいらっしゃいます。

 

 SDGsの理念、目標は非常に大切だと感じますが、これを一時の『ブーム』として終わらせてはなりません。

 SDGsが今の主流なのではなく、これらは時代を問わず常に意識されるべきことで、むしろ今話題になっているのは、『放置できないほど、飢餓・貧困・暴力の問題が顕在化』しているからではないでしょうか。

 

 これは現在が、過去に類を見ない程『ひどい』からではないでしょう。

 誰もが貧しく、誰もが飢えている状況では、SDGsなど考えている余裕はありません。

 

 テクノロジーの進歩により、これらの問題が比較的少ないコミュニティと、そうでないコミュニティの格差が拡大してきている。

 『お互いが助け合い、それぞれの問題に取り組むことでより苦難を軽減できる』。

 そして、

 『飢餓・貧困の解決を最優先し、利益ばかりを追えば環境破壊や種々の社会問題を生み、却って誰もが暮らしにくくなる』

 ということが認識され始めたからだと思えてなりません。

 

 

 

 

 さて、SDGsのキーワードに『Leave no one behind(誰一人取り残さない)

 というのがあるようです。

 

 私は、元々が人見知りをする性格で、知人が少ない人生を送って来たので、人付き合いがうまくありません

 

 今回の交流会でも、声をかけてくださった方の計らいで数人の方に挨拶はできたものの、今後続いていきそうな横のつながりを持つことができませんでした。

 

 今回に限ったことではありません。これまでも地域に貢献できればと、いくつか地域のコミュニティ活動に顔を出してきたのですが、横のつながりがほとんどできませんでした。

 

 これはもちろん、私の性格や言動のせいなのですが、同時に、各コミュニティの閉鎖性を感じずにはいられません。

 

 

 仮に私が主催者に近い立場にいれば、既に顔見知っている方々よりも、はじめましての方々、特に個人参加の方々とつながりたいと考えるに違いありません。

 

 いずれのコミュニティも、多くの場合ほとんどが顔見知りで、興味を持って顔を出したくらいだとほとんど横のつながりも作れないままフェードアウトすることになってしまいます。

 

 

 

 

 そういう意味では、私は『取り残された人間』といえるのかもしれません。

 でも、そんな私だからこそつくり出せるコミュニティというものもある気がしてなりません。

 このブログもそんな思いで続けている活動の一つです。

 私の最終的な到着点がどんな形をしているかはわかりませんが、試行錯誤しながら、『孤独や疎外感を感じる人を一人でも少なく』をキーワードに活動していきたいと思います。

 

 

 

 

 今週も毎日あわただしく終了しました。

 

 本日は『知らないが故に選択肢がせばまり、その選択肢以外に方法がないと思い込みがち』ではなかろうかというお話です。

 

 訪問・在宅診療を行う上で、モバイルの活用は欠かせません。

 患者さんの訪問先で救急搬送が必要と判断されるケースもあります。

 

 病院内であれば、パソコンの前で椅子にすわり、情報をまとめながら搬送依頼ができますが、外出先ではそうはいきません。

 端末で操作できるモバイルカルテを利用しながら、携帯電話で搬送依頼をするわけです。

 

 利用しているモバイルがスマホの場合、先方にデータを伝えるために検査データとカルテをいったり来たりするにも一苦労です。

 

 タブレットを準備すれば、スマホよりも圧倒的に仕事効率が上がります。

 

 モバイルカルテでは、端末から紹介先へ紹介状がFAXで送れるので、各種の書類を記載する上でキーボードが付属していれば一層戦力アップです。

 

 先週末はタブレット購入のため、家電量販店を尋ねました。

 

 最初の二週間でタブレットの重要性を痛感していた私は、仕事効率の向上を考えれば、タブレットは必須と考えました。

 

 職場のベテランの先生のおススメ端末は『iP〇d』

 

 あれこれ検討してみると、おそらくこれがベストな印象を受けました。

 

 ただ非常に高価! 

 特に最近は円安や物価高の影響を受け、7月以降値段が更にあがっているようです。

 また、半導体の供給の影響もあってか、在庫もかなり不足しているようです。

 

 実は旧タイプのものを所有していますが、こちらは何年にもわたって子どもたちが学習アプリやゲームに使用しているので、今更私が取り上げるわけにもいきません。

 

 では新しくもう一台購入するか。

 

 自分で購入するとなると、急にあれこれ機能をつけたくなります。

 今支給されているスマホの容量は64GB

 購入しなければそのスマホでやりくりするはずなので、そう考えると64GBで事足りるはずです。

 

 でもここに電子版の治療薬や治療指針のマニュアルをダウンロードすれば、分厚い書籍を持ち運ばなくても、タブレット一つに医療情報を集約させることが可能になります。

 

 だったら、何GBを買おうか

 

 128? 256? 512? 1TB? 2TB?

 

 2TB!?

 

 現在支給されているのが64GBであれば、2TBなどまず使わないのですが、とりあえず多い方がいいんじゃない!?とか考えてしまいます。

 

 とりあえず容量はおいとこう。

 

 キーボードはどうだろう。

 

 iP〇dに限らず、キーボードの種類はいくつもあります。

 

 ここでもタッチパッド機能をつけたくなります。タッチパネルもあるし、スマホを用いている現状を考えれば、なくてもやってはいけるのですが、やはりあれば戦力は大幅アップです。

 

 正規品でタッチバッドつきとなると、キーボード代も高くなりますし、そのキーボードが使用できるモデルも限られてきます。P〇oと呼ばれるものやA〇rと呼ばれるものです。

 

 値段もあっという間に10万を越えます。

 

 でも48分割なら...

 

 恐ろしいもので、10万と30万といわれたら、30万は高く感じますが、

 月々数千円の差といわれると

 

 だったら30万の方が得か!?

 

 という気すらしてきます。

 

 いやいや、ちょっと待て!冷静になれ自分!10万円超えてるんだぞ!

 

 

 

 ちょっと冷静になり、ネットを検索

 

 ここでひっかかったワードが『テザリング』

 テザリングとは、スマホやWifi環境を通してネットを使用するもの。

 

 その存在や、名称も知っていましたが、自分にはこれを利用するという選択肢が完全に欠落していました。

 そもそも使い方を今一つ理解できていませんでした。

 

 でも一度このワードが意識されてくると

 だったらiP〇dじゃなくても、タブレット端末があればそれで事足りるのではないか。

 そこにキーボード機能がついていれば十分ではないか。

 

 だったら安くていいものがあるんじゃないか?

 

 で私の目にとまったのが ASUSのchromebook

 

 

 

 

 iP〇dに比べると操作性などで劣る点は存在するものの、タッチパッド機能のあるキーボード、ペンが初めから付属していました。

 

 え、これで行けるんじゃない?

 

 期間限定のセールもあったようでトータルは5万円弱。

 安くはないけど10万円以上に比べたら。

 とりあえず買ってみることにしました。

 失敗したら、5万円弱はかなりの痛手ですが、使えるようならかなりの節約になります。

 

 で、いざ購入を決意して、レジに持っていったらまたすったもんだありました。

 

 数カ月前に同じ店舗でパソコンを購入(!?この時には数カ月後に職場や専門科を変更するとは思いもしていませんでした。遅かれ早かれ精神的に潰れてしまう可能性は時折チラついてはいましたが...)したばかりだったので、前回同様無利子でローンが組めるものだと思ってしまっていました。

 

 ところが、ローンにするには新たに申込と審査が必要とのこと。

 しかもローンにするとポイントが1%分しかたまらないと。

 

 そういうことだったのか。

 前回はローンを組むしか頭にありませんでしたが、無利子というのは、ポイント分が利子分に回るというようなシステムも裏にあるようです。

 そりゃそうです。

 無利子でお金を貸すメリットはローン会社にしてみればないはずです。どこかしらからお金が生まれるシステムが存在するはずなのです。

 家電量販店はカード決済を入れることで販売数が増え、ローン会社からすればポイント分を利子代わりに受け取ることで収益につながるのでしょう。

 そんなことにも気づかず、前回はのうのうとパソコンを購入してしまっていました(だからといって、その場で現金でパソコンを買うという選択肢はありませんでしたが)。

 

 今回は泣く泣く現金で購入しました(仕事のために購入し、朝・昼ごはん代を節約する毎日...この自己投資は経費にも何もならず、所得はしっかり税金で削られてしまいます。毎日駅前で演説している政治家達に『俺の朝ごはんと昼ごはん代返せ!』と叫びたいところです...)。

 

 

 iP〇dだったらもっと使い勝手がよいのかもしれませんが、今週はそれまでと比べかなり戦力アップしたのは間違いありません。

 

 5万円弱という費用は痛いですが、それ以外にも得られたものがあります。

 

 それが『テザリング』です。テザリングは自然に行えるものではなく、契約している携帯会社にテザリングが可能なように契約内容を変更する必要があります。契約している会社やプランによって異なるようですが、某会社の場合、最大550円程度です。

 

 iP〇dの購入に際して、Wifi使用モデルとWifi+セルラーモデルというのがあります。

 WiFiモデルは、WiFi環境を使用できなければネット環境を利用することができません。

 セルラーモデルが付属していれば、タブレットも携帯電話のように通信会社と契約することで常にネット環境が利用できるようになります。

 

 これまで私の中では『+セルラーモデル』しか頭になかったのですが、スマホがあってテザリングが利用できるのであればわざわざセルラーモデルを購入する必要はなくなってきます。

 もちろん利用するデータ通信料等でも変わってきますが、そもそも『テザリング』という選択肢をもっていなかった私にとっては大きな心境の変化につながりました。

 

 また、屋外でネットを利用するために以前は『ポ〇ットWiFi』を利用していました。

 最近も使用を検討し、あれこれ比較していましたが、どれがベストなのか決めかねていました。

 

 これも、テザリングを使ってしまえば、私個人のレベルではわざわざ追加で『ポ〇ットWiFi』を利用する必要がないことに気づきました。

 

 今回のきっかけがなければ、そのうち『ポ〇ットWiFi』を契約していたかもしれません。

 

 

 また、テザリングをオプションとして利用するために携帯会社を利用した際にわかったこともあります。

 それは我が家で所有しているiP〇dにも月額3500円程度の通信料がかかっていたことです。これを払うことで、iP〇dを単体で屋外に持ち出してもネット環境を利用することができます。

 ところが主に屋内で使う場合(自宅でのWiFi環境が利用できる)、テザリングオプションを契約したスマホを持ち合わせている場合、iP〇dに通信料を支払うメリットはなくなります。

 これも対応してくれた店員さんに指摘してもらって初めて気づかされたことです。

 

 

 

 もし私が仮に、『iP〇dがベストでそれ以外の選択肢はない!』と考えていたら

 もっと容量が多く、もっと速く、そしてもっと快適に!と

 どんどん金額が高くなっていたかもしれません。

 しかも在庫がなくて、延々と待たされることになった可能性もあります。

 

 あれこれ調べて結局、最初の考えと変わらなかった。

 調べたことがウソや間違いだった

 あれこれ調べて、最終的によくわからなくなり余計に混乱した

 

 様々な可能性が考えられます。

 

 しかしながら、『情報量が多くて混乱するのは、情報量が限られて選択肢が少ないよりマシ』だと私は考えます。

 

 情報量が多くて混乱するのであれば、情報を整理して最終判断を決めればよいだけです。

 

 一方で、情報量が限られている場合、『その全ての情報が誤り』もしくは『遥かに優れた選択肢が他に存在する』可能性が存在します。

 

 いつも『情報量が多くて困るといっている人』のほとんどは、『情報量が100であろうと、10であろうと、3であろうと、自分では決めかねる人』というのが私の印象です。

 

 自分で決めかねるので、周りにあわせて行動する。ところがこの周りがいくつかの意見で分かれているので、結局どれにすればいいのか決めかねるのではないでしょうか。

 

 自分だけ間違っているという可能性は存在するものの、一方で周りの全員が間違っているという場合も存在します。

 

 周りの意見は十二分に尊重かつ参考にしつつも、自分なりの判断を行う。

 そんな態度が、『先行き不透明かつ予測不可能な現実』を生きていく上で大切だと考えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前の職場を10月いっぱいで退職し、11月1日から新しい職場で業務開始となりました。

 二週間が終わりましたが、クタクタです。

 

 訪問・在宅診療において、患者さんやご家族との接し方、時間の使い方、説明の仕方などは、今までと特に大きく変えてませんが私としてはそれほど違和感や不自由さは感じていません。

 

 ただ、モバイルカルテを利用した診療や、幅広い内科疾患の病態把握・管理に四苦八苦しています。

 

 こちらはもう勉強を続けて頑張るしかありません。一通り仕事がこなせるようになったら、次はさらにそれぞれの疾患への理解を深めていくことで、今よりずっと医師としても人間としても成長できることでしょう。

 

 

 

 

 先月までは二か月ほど、ほとんど自宅にいる生活が続いていましたが、この2週間は、土日祝日を除くと、ほぼ子供達に会える時間はありませんでした。

 

 

 仕事が始まる前は、子供達も「パパお仕事頑張ってね。私も(僕も)頑張るから」と言ってました。これからは私が頑張りを見せることで「自分も頑張ろう」と思ってもらえたらと考えています。

 

 特に、最近娘は、算数に苦手意識ができ始め、算数を勉強する気になれずにいるようです。

 塾での成績も最下位になってしまいました。

 

 まあ、やってないので当然です。

 

 簡単な問題を解いてみる。パターンを理解あるいは覚えて、同じような問題ならすぐに解けるようになるまで繰り返す。同じパターンの簡単な問題ができるようになれば、レベルを上げた問題に挑戦していく。そしてできなかった問題は解答を見たりしてまず理解し、次はすぐに解けるようになるまで何度も繰り返す。

 

 この連続なんですが、嫌いだし、出来ないので、まずは解いてみるというのがなかなか集中できません。

 

 教えられたりしながら一度解けたら、次はパターンを身に染みるほど何度も反復すればいいのですが、嫌いなので、何度もどころか二度目を説きなおしてみようとしません。

 

 

 

 分からないでもありません。実際、私は受験生だった頃、『暗記は自分には無理』と最後の最後まで苦手科目に取り組まなかったわけですから。

 

 当時は『私には無理』、あるいは『才能がない』と決めつけてしまっていましたが、今では、『嫌いなので見向きもせず、大して時間をかけていなかった』ことに気づきました。

 

 『出来ない』のは『頭がいい・悪い』の前に、『嫌いなので、時間をかけて勉強出来ない』場合が大抵なのではないでしょうか。

 

 

 今の私も、『科が変わったから分からない、出来ない』と考えてしまったら、成長速度はずっと落ちてしまいます。

 

 『分からないからこそ勉強しよう。勉強したら、しただけ知識がつく』と考えると、勉強の意欲もわきますし、覚えられなければ何度も繰り返して覚えないとと思うようになります。

 

 

 

 

 暗記科目に苦手意識がある時は、「覚えればいいだけでしょ?」というアドバイスとも思えないアドバイスに「その覚えるだけが出来ないんだよ!」と初めから否定的になってしまっていました。

 

 覚えることが苦手な人間にとって『覚えるだけ』というのはイコール『不可能なこと』にすら思えてしまいます。

 

 『覚えるだけ』となると、覚えるのが得意な人からすれば簡単なこと、苦手な人にとっては不可能なこと、と思いがちではないでしょうか。

 

 今の私は、『覚えられない』もので『覚えておくべき』ものは『覚えるしかない』と考えます。

 

 

 当時の私にその認識はありませんでしたが、暗記の苦手な私でも『好きなこと』、『興味のあること』はそれほど苦も無く記憶にとどめることが出来ていました。

 

 好きなバンドの名前、曲名、歌詞

 好きなマンガのタイトル、キャラクター、セリフ

 自分の名前、電話番号、住所などなど

 

 最後の電話番号、住所(名前も!?)などは特に興味があるものでもありませんが、これを覚えておかないと大変です。

 

 その都度メモを出したりしなければなりません。

 

 また、記載する機会が多ければ、特に覚える気がなくても自然と覚えているという場合も少なくありません。

 

 そう考えると、やはり『覚えられない』というよりも、『覚える気が(そこまで)ない』と結論つけざるを得ません。

 

 

 

 私は自分の過去、現在を踏まえても、子供に

 「どうして出来ないの?」、「どうして覚えられないの?」

 とは思いません。

 

 むしろ

 「どうやったらできるようになるんだろう」、「どうやったら覚えやすくなるんだろう」

 と考えて上げる方がよいのではないでしょうか。

 

 少なくとも私が言われる側だったら

 「どうして出来ないの?どうして覚えられないの?そんなのこっちが聞きたいよ!」

 と思ってしまいます。

 

 

 

 仕事中は株価もチェックする時間はなく、仕事が全て終わってからチェックすると、上がらず下がる一方です。

 

 疲れ切ったところに、さらに追い打ちをかけられる感じですが、

 もし仮に私が仕事をやめて、投資一本だけで生活するようになっていたら

 娘は算数など勉強しなくなるに違いありません。

 

 「お父さんはお仕事やめて、投資に専念するようになった」

 「仕事よりも投資の方が大事」と結論づけてしまうかもしれません。

 

 まあ、その視点もひょっとしたら間違いではないかもしれませんが

 先行き不透明な世の中で、投資一本で生計を立てるのも大変です。

 

 別に大損しないで、増えないだけでも本業をやめるつもりはないのですが

 株での大損も悪い事ばかりではない、と自分を慰めながら、来週も仕事を頑張ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『機会費用』とは

 

 コトバンク上の、日本大百科全書(ニッポニカ)から一部を引用すると

 "あることを行ったことで見過ごした機会に発生した費用。機械損失ともいう。"とあります。

 

 10月31日をもって退職しました。

 

 今月に入り、生活が一変しています。

 色々覚えるべきことが多く、日中は投資を確認したり、ブログを更新する余裕もありません。

 

 ひと段落をして株価を確認してみると、連日下がりっぱなしです。

 

 しばらく同じような日々が続くと思われるので、これまでのように投資に割ける時間は当分作れそうにありません。

 

 とはいえ、私としては『今は覚えるべきこと・勉強すべきことに集中するのが最優先』と考えています。

 

 

 

 

 私は子どもの頃から、あまり『勉強しなさい』と言われた記憶はありません。

 

 勉強の効率がいいか悪いかは別にして、勉強すべきだと思ったらとりあえず机には向かっているタイプだったからです。

 

 父は勉強とは無縁で勉強についてあれこれいってきませんでした。

 言ってこなかったというとウソになりますが、受験勉強などする私に向かって

 『俺はもっと成績がよかった』と訳の分からない『父親としての維持』をみせるぐらいでした。

 

 母はというと、自分自身は受験とは無縁だったにも関わらず、『とりあえず勉強は大事』という考えから、『とりあえず子供には勉強させておくのがいい』という感じでした。

 

 私も小学校高学年の頃から、勉強すべきとは考えていましたが、勉強そのものの重要性に気付いていたわけではなく、才能や個性に乏しい自分にとって、社会人になるに際して学歴ぐらいしか頼るべきものがないだろうと考えていたからでした。

 

 

 

 現在40代後半になりましたが、医師という職業柄、そして専門を変えるにあたり常に『学び直し』が必要な状況です。

 

 年々『学ぶことの重要性』に対する認識は強まっています。

 

 学校の勉強以上に、本業に関する知識や経験は、日常業務の効率に直結します。

 

 本などを通じて、様々な知識を得ていると、同じ経験をしてもそこから得られる情報量などは段違いです。前もってコツなどを本の知識から仕入れていると、それぞれの手技に対する成功率なども大きく向上します。成功例だけでなく、失敗例も紹介されていることが多いので、『こうすべき』というのと同時に『これはダメ』ということも学べます。

 

 『学ぶことは重要』と考えるわけですが、『学ぶ』ということを選べば、その時間は『学ぶ』こと以外には使えません。

 

 

 今週は生活が激変し、かなり疲労がたまっていたので、本日はダラダラして過ごしました、

 無理せずに休むのも大事です。ダラダラ休むと、当然勉強はできません。

 しっかりと休みをとらず勉強や仕事ばかり頑張ってしまうと、早々にダウンしてしまい却って逆効果になってしまいます。機会損失を考慮しても、本日はダラダラして過ごそうと決断しました。

 なんとなくダラダラしてしまったというよりは、敢えてダラダラして過ごしたという感じです。

 

 

 

 今の職場を続けるというのも、他の職場で働く、働かないで別のことをするという『機会損失』を伴うものです。

 私は今の職場で働き続けるのはデメリットが大きすぎると判断し、退職を決意しました。

 退職するということも、『これまでの職場で働き続ける』という機会の損失です。

 意識しようとしなかろうと、一つの選択には必ず機会損失が伴うわけです。

 

 

 

 子供を含め、他人に勉強を勧める時には

 『勉強が大切』ということと同時に

 『勉強をするということは、別のことが出来ていた時間を勉強にあてることに他ならないこと』

 

 つまりは、『勉強に費やす時間は、他の事に使うのをあきらめていること』に他ならないことを伝えることが大切だと考えます。

 

 勉強の大切さに気づいている人ならともかく、

 勉強の大切さに気づいていない人、勉強をしたがらない人には、

 まず、『何故勉強が大切なのか』

 『勉強をしないのであれば、その時間を何に使うのか(勉強以上に大切とするものは何か)』ということを意識してもらうことが重要なのではないでしょうか。

 

 

 私は何事も『勉強が大切』だと考えます。本などを読むことによって、先人が数十年、場合によっては数百年かけて、あるいは短期間でも様々な文献や意見を集めて得られた知恵を、拝借することができるからです。

 

 自分が何十年もかけて培った知識や技術が、実はすでに本にまとめて書かれてあった。ひょっとしたらそれ以上のことが本に書かれている。それを読んでいれば、何十年もかけず、場合によっては数週間~数ヵ月(本を読み終えるのに必要な時間)でマスターできていたという場合も少なくないと考えます。

 

 

 

 子供達よりも前に、

 もし仮に受験生だった頃の自分自身にアドバイスを送れるとしたら

 

 『勉強は面白く、大切であること(先人の知恵を借り、自らの実経験から学べる以上の知識や経験を身につけられる)』

 

 『ただ勉強していればいい』のではなく、『他にあるいくつもの大切なこと(遊ぶ、働く、休息する、スポーツする、音楽活動をする、などなど)よりも勉強を優先すべきかという視点を持つべきこと』(優先すべきと考えれば勉強するのがいいし、そうでないのであれば、勉強を犠牲にして自らが大切だと考えるものに時間を費やす)。

 

 『勉強したことが役に立たないのは、知識や経験そのものが無意味・無駄というわけではなく、社会生活での活かし方に問題がある場合がほとんどだということ(『知識や経験が使えない』のではなく、『知識や経験の使い方がわかっていない』。そももそ学ぶという行為自体が楽しい)』

 

 

 

 年々少子化が進み、有名私立大学も、生徒の確保が急務のようです。

 そんな中で、推薦入試やAO入試により、12月までに新入生を囲い込む傾向が強まっているという新聞記事を以前に当ブログでも紹介いたしました。

 

 一方で、幼い頃から有名進学塾や、有名進学校に通い、いわゆる『受験勉強』的な学習を続けている人も少なからず存在します。

 

 そんな状況の中で『学歴社会がなくなる』とは思えません。

 私が予想するのは『学歴の二極化』です。

 

 時間を費やして学歴を得た人からすれば、『学歴は不要あるいは無意味』とは考えないでしょう。

 学歴がない人からすれば、『学歴があって仕事ができない人』に遭遇すると、これまで以上に『学歴は不要あるいは無意味』と考えることが増えてしまうかもしれません。

 

 仮に学歴社会でなくなったとしても、学閥社会(出身校などが就職や出世に影響する社会)としての側面が強くなる気がしてなりません。

 

 

 

 考え方は様々ですが、私個人としては『学歴以上に、自ら学ぶ態度・学べる技術が大切』だと考えます。

 

 有名進学塾や有名進学校に通い、ただ与えられた課題を盲目的にこなし、一流大学に入ったとしても、勉強の必要性に気づけず(むしろ勉強ギライになってしまっていると状況はさらに暗くなってしまいます)、自ら教材や勉強計画を決めることができなければ、『ただ学歴があるだけの人』になってしまうことでしょう。

 

 社会に出て、何を学ぶべきか、どう学ぶべきかを指導してくれる人がいなくなってしまえば、何もできなくなってしまうかもしれません。学校で学んできた知識が活かせない職場であれば尚更です。周りからは『学歴はあっても何も出来ない人』というレッテルを貼られてしまうかもしれません。

 

 本を読む人が少なくなっているといわれる一方、書店に行けば、テキストの読みやすさ・種類は年々進化しているというのが私の印象です(専門書はかつては白黒で、図表が乏しいものばかりでしたが、最新はカラーの上に、図表も豊富のものがほとんどです)。

 

 ある分野について学ぶ際に、『何から学ぶ』、『どうやって学ぶ』、『どういう順序で学ぶ』ということを自分で決めることができれば、大概のことは独学で学べると考えます。

 

 この年になって、特に11月に入ってからは、明らかに子供達以上に私の方が勉強しています。

 

 本業に力を入れることで、投資に割ける時間は今のところほとんどありませんが、教育という面においても、子供たちにいい影響を与えてくれればと思います。