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進化するブログ『思索の蒼穹』

医学、子育て、教育、教養、経営、経済等、様々な分野を節操なくつまみぐいしながら、皆さんと共有できれば幸いです。

 

 年末に、妹と電話で話をしていた際のことです。

 

 私が「ピンチはチャンス」的な話をすると妹が、

 「あ!それ私の好きな〇〇君がゆってたやつや」

 「チャンスはピンチの顔をしてやってくるって」

 

 むむ!

 

 そんな誰かと丸かぶりのコメントは避けたいところです。

 

 私は

 

 「いや、全然ちゃうで。

 チャンスはピンチの顔なんかせーへんで。

 チャンスはピンチの時でもやっぱりチャンスの顔してる。

 ただ、ピンチの時に、チャンスと気付けないことが多い。

 チャンスをちゃんとチャンスって見つけられる人が成功への鍵をつかむんや!

 違いがわかる人が成功するんや!

 ネス○フェ コーヒーブレンドや!(とまでは言ってませんが。若い人は知らないだろうなー。)」

 

 と関西弁全開で力説してみました。

 

 取って付けたような屁理屈っぽいですが、私的にはなかなかいい視点な気がします。

 

 ピンチというのは、『今のままだと悪い状況が続いてしまう、あるいは更に悪くなることが予想される状況』ではないでしょうか。

 

 その状況を打開するには、何らかの変化が必要です。

 

 物事がそこそこ上手く行っている場合、その安定を投げ捨てて失敗するかもしれない新たなことに着手するのはかなりの勇気と決断力が必要です。

 

 ところが、ピンチの時は、そのままだと状況の好転が望みにくい時です。

 普段以上に、『何とかしないと!』と頭をめぐらせることになります(かつての私は、他人や周りに頼ってばかりで、『何とかしないと!』よりは『何とかして!』でしたが、他人を頼ってみても誰も助けてくれないのは身を持って実感しました)。

  

 一見選択肢の少なそうに見える状況でも、選択肢は思った以上に多いのではないでしょうか。

 

 例えば、ピンチの時のチャンスというのを、列車のレールを変えるようなものと想像してみましょう。

 今のレールのままだと到着先が望ましいものだと思えないので、レールを変えて到着先を変更するわけです。

 

 なかなかうまい例えをしたような気もしますが、少し思い巡らせてみるとこれがすでに発想の制限に繋がっていることに気づきます。

 

 必ずしもレールの変更しか選択肢がないわけではありません。

 

 場合によっては、

 

今乗っている列車から降りてみる(一度立ち止まる)

急行を鈍行に、もしくは鈍行を急行に乗り換えてみる(タイミングを変える)

反対方向に進んでみる(過去を振り返ってみる、あるいは工程を見直す)

 

 などといった変化が、状況を大きく変えるかもしれません。

 

 同じレールで数駅進めば、乗り換えられるレールも大きく変わってくることでしょう。

 

 

 というわけで、

 「〇〇君とゆってることは、同じようで全然違うからな!」

 から出発して、なかなか言いことゆってるような気がするので、ここに記載しておきます。

 

 それでも、どこかで誰かが同じことゆってそうですが、

 『深い!』とみるか、『あるある』とみるかはあなた次第です!

 

 電話の最後に、

 「○○君の言葉より、俺の言葉を上書き修正して覚えてたほうがええで」と話したところ

 「いや、それはやっぱり〇〇君の方が上やね。尊敬してるんで」という言葉が帰ってきました。

 

 

 

 

 p.s.

 私は生まれも育ちも関西ですが、関西弁で話すと、何故か話におちをつけたくなる感じはします。

 普段、標準語的に話していると、そんな気持ちにはなりません。

 染み付いたものとでも言うのでしょうか。話におちがついているかどうかは別として、面白いものです(『言葉や育った環境の力が』という意味ですよ!私の話が面白いと自画自賛しているわけではないので悪しからず!

 私はそこまで痛くない はず...)。

 

 

 

 

 2022年は私および我が家にとって激動の1年でした。

 

 私にとっては

 ○職場および専門科の変更

 ○結局大して役に立たなかった精神科・心療内科からの卒業

 ○人生初の弁護士相談

 ○とどまるところなく持っている株が下がりまくる

 

 家族からすると

 ○夫・父親が突然自宅に長期間待機→退職→転職

 ○子どもたちはある日突然、習い事をことごとくやめさせられる

 ○年末になって、ついに任○堂ス○ッチが我が家へ

 

 職場および専門科を変えてまだ数ヶ月ですが、期間の割には上出来な印象です。

 

 ○もともと総合診療に興味があり、時間に余裕があれば内科的な勉強もしていたこと

 ○緩和ケアに関しては、個人的にかなり時間を使い、人生哲学的なことに関しても色々考えるところがあったこと。ここに関しては、アメリカで心理学を学んだ4年半も大きな意味をもっている印象です。

 

 などが役立っているのは間違いありません。やはり何がどこで役立つかわからないので、色々なことは経験しておくものです。

 

 年末から本業の医療一色の生活ですが、その中で中途半端になってしまっている部分も少なくありません。

 

 たとえば、年末は少し体調を崩し、咳がなかなかおさまらなかったので、年末を締めくくる消防団の重要行事、歳末特別警戒活動に一日も参加することができませんでした。

 空手の稽古納めも参加できず。

 

 本来ならば、本日も自宅でゆっくりしたかったところですが、オンコール当番なのでそうも言ってられません。

 ただいま、診療所の片隅でこのブログを打っています。

 

 去年は参加できた地元のどんど焼きでの消防団の防災活動、空手の鏡開き(型などの演武発表会)なども、今年はオンコール当番にあたっており参加できません。

 空手の鏡開きに関しては私だけでなく、息子も参加できなくなってしまいます(妻は娘の習い事の付き添いがあるようです)。

 

 今年からは状況的にも本業中心にならざるを得ませんし、個人的な意思としても本業にウエイトを置こうと思っています。

 

 訪問在宅診療では、高齢・認知症状・廃用症候群(様々な原因で、身体の機能が低下し生活が著しく制限される状況)・各種の疾患などのために、通いたくても外来受診ができない方々が対象になります。

 

 通常であれば、精密検査や治療のために大きな病院への通院のみならず入院が望ましい状況でも、入院が困難で自宅での加療を行わざるを得ないケースも決して少なくありません。

 

 そんな中で、主治医の私の各科の知識や経験が多ければ多いほど、患者さんやそのご家族には

大きなメリットになります。

 

 大きな総合病院の一医師であれば、専門外の分野は、紹介状を書いて「〇〇科を受診してください」で事足りましたが、今後はそうはいきません。

 

 もちろん紹介状を記載した上で、救急搬送を以来する場合もありますが、「入院、救急搬送は行わず、在宅でできる範囲で」という方針の方も存在します。

 

 社会貢献という意味でも、私が医師として更に成長することは意味があることでしょう。

 

 

 

 

 さて、私の生活が医療中心となる中で、家族の状況にも変化が生まれそうです。

 

 これまで息子と一緒に空手の道場に通っていましたが、4月以降は息子は少年の部、私は一般の部で別々に稽古に参加しようと思います。

 

 丸まったまま動かなかったり、道場から逃げ出していた息子はもういません。逆に子どもたちのクラスに私もいることで、息子が友達をつくりにくい状況につながっているかもしれません。

 

 私の場合は小学校1年生から空手を習い始めましたが、もちろん親と一緒の参加ではありませんでした。

 

 この歳になって運動する機会も少なくなってきたので、せっかくなので私も一般の部で、ゼロから空手を学び直してみようと思います。

 

 親子共通の趣味にでもなればいいかなと思います。

 

 

 

 心苦しいのは消防団の活動です。現状、去年までと異なり、かなり参加が制限されそうです。

 他の隊員の方々との相談にもなりますが、あまりに士気を下げたり、迷惑になるようなら、抜ける必要が出てくるかもしれません。

 

 これまで地元の自治会主催のお掃除(月1回、20〜30分程度)になるべく参加していたこともあり、今年からは自治会役員の一人になるかもしれません。 

 こちらもどういう状況になるかはまだ不明ですが、迷惑にならないようであれば関与していきたいところです。

 

 

 

 最近の一番の悩みの種は娘です。算数が苦手のようで、数週間に一度確認テストがあるにも関わらず、なかなか勉強できずにいるようです。

 事前に渡されたプリントと同じような問題が出るようなのですが、テスト前日になってもそのプリントを見直したりしません。

 当然、結果は惨憺たるものです。その悪い結果がさらに悪循環になり、余計に勉強したくなるの繰り返しのようです。

 ただ壁にぶつかっているだけなのかもしれませんが、多感な時期なので、私の離職などが影響している可能性は十分に考えられます。

 

 これまでの私の人生を振り返ってみても、人間は壁を乗り越えた時に、更に一段階強くなれるものと考えます。

 テストの点数にこだわりすぎず、時間がかかってでも一つ一つ壁を乗り越えようとする忍耐力と努力の養成、そしてその先にある成功体験・自己肯定感につなげられるようサポートできたらと思います。

 

 

 2022年1月1日の時点では2022年12月31日の私の状況は全く予想できませんでした。

 精神科・心療内科でも数年にわたって「鬱状態・適応障害」と診断を受けてきましたが、自分の限界を超えたストレスに長期間さらされ続けている場合、人間は正常の機能を果たすことはできません。

 

 前職を離職したことで、私の精神状態はすこぶる安定しているのと同時に、私の精神力そのものも以前に比べて遥かに成長していることを実感しています。

 そして今なら自身をもって断言できます。おかしかったのはかつての私ではなく、環境そのものであったと。

 

 人生最大の自己肯定感を持って、今年は一歩でも『医師』として、『人間』として、そして『父』として成長できるよう努力を続けたいと思います。

 

 

 なーんてことを、診療所でもあるオフィスの片隅で叫ぶことなく、カタカタとタイプしています。

 

 

 

 はやいもので12.24。クリスマスイブです。

 あれこれやっているものの、どれもうまくいきません。

 

 仕事は科を変えたばかりにしては、それなりに適応できているとは感じますが、オーバーワーク気味で体調を崩しています。

 

 なんとか今週中に体調を整えたいものです。

 

 株も下がる一方です。資産も大きく減らしてしまいました。

 以前はそれなりに下がると一度持ち直したりしていましたが、最近はひたすら下がり続ける日も少なくありません。

 かといって、投資をやめるつもりはありません。資産を形成するには、収入を上げるだけでは限界を感じるからです。収入をちょっとやそっと上げても、税金が高くてあまり旨味を感じません。

 資産を形成できるとすれば、私の場合は株式投資しかイメージに浮かびません。

 

 投資も不動産経営など様々存在しますが、私には向いてなさそうなので(株式投資もいまのところ全くうまくいってませんが、、、)手を出すつもりはありません。

 

 

 

 本日は、空手の今年度最後の稽古納めでしたが、体調不良で参加できませんでした。

 息子は妻の送り迎えで一人で参加できたようです。

 

 1年半前には、逃げ出したり、亀のように丸くなっていたことを考えれば成長を感じます。

 

 前職を退職する際に、習い事の多くをやめてしまったことを考えると(空手も先生の計らいで一時お休みということにしていただけました)、再就職を機に、いくつか習い事が再開できたので、全く前に進んでいないというわけでもありません。

 

 

 

 

 仕事が忙しすぎて、勉強や本を読むこともままなりません。

 まだ先月の新聞ダイジェストも読み終えていないのに、もう今月号が発売されました。

 四季報全銘柄チェックもまだほんの少ししか目を通せていません。

 医学に関しても、この二か月で何の勉強もできていません。

 

 医師になって10年弱。やはり忙しすぎて勉強や読書に時間を使えない時期がありました。

 

 勉強や読書をするようになり、それ以前に比べて明らかに、要領の良さや生産性が高まったと感じています。

 

 仕事にしろ、人生にしろ、自分が悩んでいる部分は他の人が悩んでいることが多いので、勉強や読書をすることで、それに対するコツやアドバイスがあふれていたりします。

 自分であれこれ考えるより、遥かに時間の節約につながります。

 

 

 

 読書を始めた頃と比べて、大きく異なってきた点もいくつか存在します。

 

 一つは「○○の分野でおすすめの本 □□冊」みたいなものを購入しなくなった点です。

 同様の本は今でも年に数回目にします。パラパラめくってみることはありますが、以前のように購入して保存版にすることはなくなりました。

 

 大体各分野で核になるような名著、古典は決まっていて、毎年新刊が数多く出るものの、本当にすぐれたものは限られています。

 また、紹介されるものの多くは、かなり有名だったり、それなりに話題になった本が多いので、本当に優れた隠れた名著を探すには、やはり大きな書店で自分で見つけるに越したことはありません。

 

 この手の本は、多くの本の中から、読みたい本を探すにはよいのですが、その紹介文を読んで本作を読んだつもりになるのは非常に危険だと感じます。

 

 伝言ゲームと同じで、作品は人の数を経れば経るほど、その内容は大きく変わります。

 

 

 いかに優れた批評家といえども、名画でも名文でもなんでもいいから、『その素晴らしさを出来る限り伝えろ』と言われた場合、実際に伝えられる魅力など、せいぜい数割(場合によってはゼロ!?)程度ではないでしょうか。

 

 これまで読書をしてレビュー的なこともやってきましたが、自分の評価や感想と他人のものがここまで違うのかと驚くことばかりです。

 

 やはり、作品は自分で直接触れ、評価する他はありません。

 自分の評価や感想が正しいとは限らないと同様に、有名人だから・優秀な人だから正しいとも限りません。

 

 

 最近話題の人の、成功本や啓蒙本も読まなくなりました。

 こういう人の人気や才能の多くは、メディアの宣伝によって過剰に服飾されている印象を持つようになりました。

 しばらくすると、倒産したり、炎上したりといったニュースが報道されるケースも少なくありません。

 成功本や、啓蒙本そのものが、その人をプロデュースしさらに人気や知名度を高める戦略となっている印象です。

 

 目標にしようとしていた人がウソ偽りで固められていたと気づくことほど悲しいことはありません。

 それを避けるためには、同じような内容の、過去の偉人の名著を探るのがよいと考えるようになりました。というのも、同時代の著名人に比較し、その評価や栄光が、今後大きく変化する可能性が少ないからです。

 

 

 

 

 何もかもうまくいってはいませんが、タイミングの問題の気がしないでもありません。

 今はじっと耐える時だと感じます。あるいはボタンのかけ違いといったところでしょうか。

 やっていることはそれほど間違っていないけど、どこかがずれてしまっている印象です。

 

 上手く行かない時、特に忙しすぎて心の余裕がない時には、モチベーションをそがれて歩みをとめてしまいがちです。

 そんな時こそ、足元や周囲をよく見渡し、少しずつでも前に進めるよう戦略を練るのがよいのでしょう。

 冷静さを欠いて、とにかく前に進もうとして、その方向が大きく間違っている場合、後になって引き返す距離が長くなってしまうかもしれません。

 

 と、自分に言い聞かせながら、本日の投稿を終えようと思います。

 

 

 

 久しぶりに当番のない週末なので、本日は連日でブログを更新です。

 

 まずは、10.28 日経新聞の記事をご覧いただきます。

 

 

 

 

 " 年金改革は小手先ではなく広い視野で

 

   2025年の年金制度改正に向けた議論が厚生労働省の社会保障審議会で始まった。少子高齢化が加速する中で国民の高齢期の暮らしをどう支えるのか。広い視野で議論を進めてほしい。

 

 (中略)

 

   基礎年金は現在、満額で月額約6.5万だが、46年以降は19年時点の賃金水準に換算して4.7万円程度まで目減りする。自営業者ら国民年金の加入者や、厚生年金の報酬比例部分が薄い低所得の会社員に大きな影響が生じる。

 

   基礎年金の目減りを防ぐ改革の一つとして議論される国民年金の保険料納付期限の延長には賛同できる。今は20~59歳の40年間だが、働き方改革を進める観点からも64歳まで延ばしたほうがよい。納付が増えた人の年金額を増やすことで底上げにつながる。

 

   5年間の延長部分の年金財源は今の基礎年金制度と同様に国費で半額を賄うべきだ。この国費投入には恒久的な財源が要る。そのために必要であれば、消費増税の議論も避けるべきではない。

 

   報酬比例部分がある厚生年金の適用対象者も拡大すべきだ。労働時間が週30時間未満の雇用者が加入するには週20時間以上働き、月給が8.8万以上ある等の要件を満たす必要がある。従業員規模の要件は従来の500人超から段階的に緩和してきたが、24年10月に50人超にして打ち止めになる。対象をさらに広げてほしい。

 

   低年金による生活困窮者が続出する事態を防ぐには、高齢期の住宅確保の支援を充実させるなど公的年金制度の枠を超えた改革が必要だ。私的年金と一体で老後に備える重要性も増している。

   最低所得を保障するベーシックインカムなど様々な抜本改革案を野党や識者が提起している。専業主婦にいる世帯をモデルとする制度も時代遅れだ。現行制度の枠内で傷口を塞ぐ小手先の発想ではなく、広い視野を持って持続性の高い仕組みを再構築してほしい。"

 

 

 

 

   数年前の私なら

 

 「さすが天下の日経!」

 「そうか、年金やばいのか。小手先ではなく広い視野で。そうだよなー。今のままじゃあまずいよなー」

 「なになに、高齢期の住宅確保、ベーシックインカム、消費税増税が大切なんだな」

  的な反応をしていたと思いますが、

 

  今の私はそうではありません。

 

 

  私からすると、そんな対策が通用するものか。

  そんな社〇主義みたいな下手な政策を押し通したら、行く付く先は

 『更なるGDP低下』および『国力の低下』としか思えません。

 

  日本のGDPは世界第三位といわれていますが、2021年のデータでは1人当たり名目GDPでいうと日本は27位となっています。

 

  因みに1980年は24位

  1990年 8位

  2000年 2位

  2010年 18位のようです。

 

 そもそも上の年金対策は何が問題なのでしょうか。

 

 まあ、あくまで私的な見解ですが

 

 国民の老後の暮らしを補助する金額を捻出するために、財源確保に苦心している点です。

 しかも、そのために消費税が増えたり、納付期限が増え、支給は先送りにされるリスクばかりが高くなっていることが読み取れます。

 

 つまりこういう感じです。

 

 老後の年金を払わないと。でも足りない。

 じゃあどうすれば!?

 

 だったら、60歳で支給していたのを64歳にしてそれまで年金を払わせればいい。

 で64歳になったら、60歳で支給するより多くもらえますよって説明すればいいじゃん。

 

 10年、20年経って足りなくなれば、支給額を減らすか、もっと税金あげればいいじゃない。

 だって、仕方ないでしょ。お金ないんだから。

 

 え!?高齢者に支払う年金額を、若者が払う年金額だけでは賄えないって!?

 

 だったら、消費税とか他の税金あげるしかないでしょ。

 仕方ないじゃん、お金ないんだから。

 

 こういうのを巷では「自転車操業」っていうんじゃないでしょうか。

 

 

 

 

 私が思うに、年金問題の縛りの一つ「公平性」に限界があるのではないでしょうか。

 年金を払うからには、払う側にもそれなりのメリットを。

 「公平性」にしばられるが故に、どんどん誰もが貧しくなっている構図としか思えません。

 

 年金額を十分に支払っていても、年金額に頼らずに生活できるような人であれば、そこには年金額を支給しないという選択肢があってもいいのではないでしょうか。

 

 そして「公平性」を年金支給額ではなく、他の税金の免除や減額にすればよいのではないでしょうか。

 

 

 国費から支払うということは、結局、その財源を国民に求めることにつながります。

 「あなた達の暮らしを守るために」とかいわれながら、負担が増える一方なのは納得できません。

 ここですぐに「少子高齢化だから仕方ない」となり、増税や年金支給額の減額の話になるわけです。

 

 "小手先ではなく広い視野で"国民の負担の話ばかりが出てきます。

 

 果たしてそうなのでしょうか。

 

 この数十年で国民の生活は大きくかわりました。

 

 少子高齢化。

 しかもその内容は均一ではありません。

 

 共働き世帯が増え、最近の若者はいままで以上に晩婚化もしくは結婚しない傾向が指摘されています。

 

 離婚率もかつてと今では異なりますし、金利も異なります。

 

 かつて普通預金の金利が4%程度の時代もありました。

 

 4%で100万円を預けると、1年後には104万円。

 10年後には148万円になります。

 

 これだと下手に投資をして損失を出すよりも、貯金をするのが正解です。

 

 ただ、現状は金利が低いので、貯金をしているだけならお金はほとんど増えません。

 

 だからといって単純に『投資が正解だ!』とはいいきれませんが、少なくとも『貯金でお金が増やせた時代と同じではない』という認識は必要です。

 

 

 

 ベーシックインカムについても疑問が残ります。

 誰もが必要最低限の収入を保障される世界というのは理想的です。

 しかも、誰もが高水準の生活を保障されるというのであれば。

 

 しかしながら、それが必要最低限であればどうでしょう。

 

 中途半端に働いても、結局は税金でもっていかれる。

 多少働いてもなんのメリットもないのであれば、むしろ働かない方がいい。

 

 そう考えれば、働くモチベーションも生産性も低下するとしか思えません。

 

 これは歴史的に既に証明されたような気もしなくもないですが、どうなんでしょうか。

 

 

 

 有識者がいうぐらいなので、私の方が間違っているんでしょうか。

 

 昔は、「えらい人がゆってるんだから間違いない」

 と信じて疑いませんでした。

 

 しかしながら最近は「!?」と思う事ばかりで

 「うんうん」と聞いてられることの方が少なくなりました。

 

 というより、ほぼないといってもいいかもしれません。

 

 

 私が今の教育に必要と考えるのは

 高い学歴でも、有名な講師でもありません。

 

 自分が直面している問題をまずは抽出し、それについてすでに分かっていること・わかっていないことを把握した上で、問題解決のためにどういった行動をとるかという判断を下すことです。

 

 判断を下した後も、自分の判断や行動を分析・評価し、次の行動へと活かす態度が必要となります。

 

 

 

 目の前に問題が存在しても、それを認識できなければ対策の打ちようがありません。

 

 教育が実用的であるべきか否か。

 

 私は何の役にも立たない非実用的なものは教育に含まれるべきではないと考えます。

 

 しかしながら、一般に「実用的でないから無駄」と思われるものの多くに、そのままでは活用しづらいが「物事の基礎・基本」となるものが含まれていることが少なくないことには注意が必要です。

 

 

 私の視野は全然広くありませんが、世の中の「えらい人」の多くの視野もまた、「全然広くない」気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あっという間に12月。しかも本日は10日。

 もう12月も中旬に突入です。

 今年も残るところあと数週間。ほんとに時間が経つのが早いと感じます。

 新しい職場も、入職して早1カ月が経過しました。

 モバイルの扱いにもなれ、仕事内容にもなれてきましたが、週末および夜間の当番は精神的にもかなり大変です。

 

 でも、まあ、頑張っていくしかありません。

 

 

 

 さて、毎日仕事が終わるとぐったりで、これまでルーティーンにしていたこともなかなかできないでいます。

 株価のチェックはなんとか続けていますが、当ブログの更新はかなりご無沙汰になりつつあります。

 株価もチェックするばかりで、売買まで行う余裕はありません。しかも保有している株はズルズルと下がる一方です。

 新聞ダイジェストも今日、明日でなんとか読み終えようと思っていますが、なかなかおもい通りにいきません。

 医学関連の勉強も、ここ一カ月はほとんどできていません。

 

 

 

 かなり疲れているものの、空いた時間がゼロかというとそうではありません。

 5分、10分の時間を全てつなげていけば、それなりの時間になるはずです。

 疲れているので、ぼーっとしているとあっという間に過ぎてしまいますが、

 1分、1秒でも、勉強だったり読書に活かしたいと思います。

 

 

 

 疲れていると、あちこち体の不具合もでてくるものです。

 膝の痛みが少し落ち着いたとおもったら、今度は椎間板ヘルニアによるものと思われる腰の痛みが出てきました。

 訪問診療は、一度に何度も車を乗り降りする上に、寒くなってきたので、腰が悲鳴をあげたようです。

 最近は使うことのなかったコルセットを引っ張り出してきて、今日もお世話になっています。

 

 

 

 ニュースの見出しを見ていると、また税金が上がりそうな感じです。

 

 △△費をGDPの□%に。

 来年の予算を〇〇円に。財源は××から。

 国民の理解をお願いしたい

 

 この手の話は毎回『!?』と思わずにはいられません。

 他国との比較は確かに有用です。

 どう対処するのがいいかわらかない場合、他人や他国を参考にするのは重要です。

 自分一人では10年、20年かかっても思いつかないような方法を、既に誰かがみつけてくれているかもしれません。ひょっとしたらそれがすでに常識で、ただ自分が知らないだけというような場合すらあります。

 

 しかし、だからといって、他人や他国が正解とも限りませんし、状況もそれぞれです。

 

 ○○円の予算が必要だとしたら、大切なのは『数字』ではなく、『なぜその数字になるのか』です。

 設備への投資なのか、人件費なのか、物品の購入費なのか。

 必要な金額が出てきたら、次は『今お金がかかっているもので、削減できるものはないか?』です。

 今の政府にはコスト意識のコの字も感じることができません。

 

 現在、物価が上昇しています。消費税は10%のままです。物価があがり、消費税が過去最高税率であれば、税収は最大額になるはずです。

 

 それでも足りないから、さらに税金を。

 こんなバカな話はないでしょう。

 足りなければ、無駄がないか、削れるところがないかをまず確認でしょう。

 

 衣食住に金をかけ、車も新車に買い替え、交際費も上限を気にしない。

 支出が収入を越えていたら、通常家庭ではどうするでしょうか?

 支出を減らせないかをまず考慮するはずです。

 『誰かにサポートさせればいいんだ!』などと第一に考えるでしょうか。

 

 

 

 ビジネスや政治では当たり前のように行われていることで、家庭などの個人的レベルで考えるとおかしなことは山ほど存在します。

 

 よく起業家の肩書で次のようなものを見かけます。

 

 『クラウドファンディングで○○円調達!』

 『フォロワー〇〇人のインフルエンサー!』

 『コンサル件数〇〇件!』

 

 まあ、数字がないよりはあった方がすごいのは間違いないのですが、それが実力通りとは限りません。

 

 いずれも期待値であって、結果の値ではないからです。

 通常、結果が伴わなければクラウドファンディングの調達も、コンサル件数もフォロワー数ものびないとしか思えません。

 ところが実際そうとは限らないのは、詐欺事件や倒産、人気の急落を考えれば明らかです。

 実力以上に、コネや横のつながり、宣伝効果が大きい印象を受けます。

 

 最近でも、高級パン屋が潰れているニュースをよく見かけます。

 ちょっと前はタピオカやからあげ。

 ユーチューバーの解散や引退のニュースも見かける機会もふえてきました。

 

 人(他人ばかりではなく、自分自身も含めてです)の評価は変わりやすいものです。

 ラグビーへの気持ちが、W杯時のラグビーブームと同じころの気持ちと変わらない人の割合はどの程度なのでしょうか。

 鬼滅ブームはどこにいったのでしょうか。

 今回のW杯の日本サッカーへの気持ちを半年後まで維持している人の割合はどの程度なのでしょうか。

 人の気持ちのなんと移り気なことでしょう。

 

 

 

 さて、連想ゲームのように、ちょっと関連があるようなないような、とりとめもない記載を続けてまいりましたが、次が最後です。

 

 『あなたにとって理想の上司は?』

 

 ぱっと思いつく理想像や、芸能人がいらっしゃるでしょうか?

 

 「〇〇さんみたいな上司だったらなー」というようなセリフを耳にすることがあります。

 私からすると、これほど不毛なセリフや考えはないと考えてしまいます。

 

 実際にはそうではないので、願望を言ったところで何の特にもないませんし、

 〇〇さんが実際に上司になった時に、本当に理想の上司である保証などどこにもないからです。

 

 私としては、理想の上司像があるとすれば、それを自らに当てはめればよいのではないかと考えます。

 

 あなたが理想の上司像をつきつめ、自分をそれに向かって昇華させることができれば、あなたが誰かにとって理想の上司になる可能性はどんどん高まるに違いありません。

 

 

 

 

  なーんてことを書きながら、今日も理想の人物像を目指して、私なりの努力を続けたいと思います。