久しぶりに当番のない週末なので、本日は連日でブログを更新です。
まずは、10.28 日経新聞の記事をご覧いただきます。
" 年金改革は小手先ではなく広い視野で
2025年の年金制度改正に向けた議論が厚生労働省の社会保障審議会で始まった。少子高齢化が加速する中で国民の高齢期の暮らしをどう支えるのか。広い視野で議論を進めてほしい。
(中略)
基礎年金は現在、満額で月額約6.5万だが、46年以降は19年時点の賃金水準に換算して4.7万円程度まで目減りする。自営業者ら国民年金の加入者や、厚生年金の報酬比例部分が薄い低所得の会社員に大きな影響が生じる。
基礎年金の目減りを防ぐ改革の一つとして議論される国民年金の保険料納付期限の延長には賛同できる。今は20~59歳の40年間だが、働き方改革を進める観点からも64歳まで延ばしたほうがよい。納付が増えた人の年金額を増やすことで底上げにつながる。
5年間の延長部分の年金財源は今の基礎年金制度と同様に国費で半額を賄うべきだ。この国費投入には恒久的な財源が要る。そのために必要であれば、消費増税の議論も避けるべきではない。
報酬比例部分がある厚生年金の適用対象者も拡大すべきだ。労働時間が週30時間未満の雇用者が加入するには週20時間以上働き、月給が8.8万以上ある等の要件を満たす必要がある。従業員規模の要件は従来の500人超から段階的に緩和してきたが、24年10月に50人超にして打ち止めになる。対象をさらに広げてほしい。
低年金による生活困窮者が続出する事態を防ぐには、高齢期の住宅確保の支援を充実させるなど公的年金制度の枠を超えた改革が必要だ。私的年金と一体で老後に備える重要性も増している。
最低所得を保障するベーシックインカムなど様々な抜本改革案を野党や識者が提起している。専業主婦にいる世帯をモデルとする制度も時代遅れだ。現行制度の枠内で傷口を塞ぐ小手先の発想ではなく、広い視野を持って持続性の高い仕組みを再構築してほしい。"
数年前の私なら
「さすが天下の日経!」
「そうか、年金やばいのか。小手先ではなく広い視野で。そうだよなー。今のままじゃあまずいよなー」
「なになに、高齢期の住宅確保、ベーシックインカム、消費税増税が大切なんだな」
的な反応をしていたと思いますが、
今の私はそうではありません。
私からすると、そんな対策が通用するものか。
そんな社〇主義みたいな下手な政策を押し通したら、行く付く先は
『更なるGDP低下』および『国力の低下』としか思えません。
日本のGDPは世界第三位といわれていますが、2021年のデータでは1人当たり名目GDPでいうと日本は27位となっています。
因みに1980年は24位
1990年 8位
2000年 2位
2010年 18位のようです。
そもそも上の年金対策は何が問題なのでしょうか。
まあ、あくまで私的な見解ですが
国民の老後の暮らしを補助する金額を捻出するために、財源確保に苦心している点です。
しかも、そのために消費税が増えたり、納付期限が増え、支給は先送りにされるリスクばかりが高くなっていることが読み取れます。
つまりこういう感じです。
老後の年金を払わないと。でも足りない。
じゃあどうすれば!?
だったら、60歳で支給していたのを64歳にしてそれまで年金を払わせればいい。
で64歳になったら、60歳で支給するより多くもらえますよって説明すればいいじゃん。
10年、20年経って足りなくなれば、支給額を減らすか、もっと税金あげればいいじゃない。
だって、仕方ないでしょ。お金ないんだから。
え!?高齢者に支払う年金額を、若者が払う年金額だけでは賄えないって!?
だったら、消費税とか他の税金あげるしかないでしょ。
仕方ないじゃん、お金ないんだから。
こういうのを巷では「自転車操業」っていうんじゃないでしょうか。
私が思うに、年金問題の縛りの一つ「公平性」に限界があるのではないでしょうか。
年金を払うからには、払う側にもそれなりのメリットを。
「公平性」にしばられるが故に、どんどん誰もが貧しくなっている構図としか思えません。
年金額を十分に支払っていても、年金額に頼らずに生活できるような人であれば、そこには年金額を支給しないという選択肢があってもいいのではないでしょうか。
そして「公平性」を年金支給額ではなく、他の税金の免除や減額にすればよいのではないでしょうか。
国費から支払うということは、結局、その財源を国民に求めることにつながります。
「あなた達の暮らしを守るために」とかいわれながら、負担が増える一方なのは納得できません。
ここですぐに「少子高齢化だから仕方ない」となり、増税や年金支給額の減額の話になるわけです。
"小手先ではなく広い視野で"国民の負担の話ばかりが出てきます。
果たしてそうなのでしょうか。
この数十年で国民の生活は大きくかわりました。
少子高齢化。
しかもその内容は均一ではありません。
共働き世帯が増え、最近の若者はいままで以上に晩婚化もしくは結婚しない傾向が指摘されています。
離婚率もかつてと今では異なりますし、金利も異なります。
かつて普通預金の金利が4%程度の時代もありました。
4%で100万円を預けると、1年後には104万円。
10年後には148万円になります。
これだと下手に投資をして損失を出すよりも、貯金をするのが正解です。
ただ、現状は金利が低いので、貯金をしているだけならお金はほとんど増えません。
だからといって単純に『投資が正解だ!』とはいいきれませんが、少なくとも『貯金でお金が増やせた時代と同じではない』という認識は必要です。
ベーシックインカムについても疑問が残ります。
誰もが必要最低限の収入を保障される世界というのは理想的です。
しかも、誰もが高水準の生活を保障されるというのであれば。
しかしながら、それが必要最低限であればどうでしょう。
中途半端に働いても、結局は税金でもっていかれる。
多少働いてもなんのメリットもないのであれば、むしろ働かない方がいい。
そう考えれば、働くモチベーションも生産性も低下するとしか思えません。
これは歴史的に既に証明されたような気もしなくもないですが、どうなんでしょうか。
有識者がいうぐらいなので、私の方が間違っているんでしょうか。
昔は、「えらい人がゆってるんだから間違いない」
と信じて疑いませんでした。
しかしながら最近は「!?」と思う事ばかりで
「うんうん」と聞いてられることの方が少なくなりました。
というより、ほぼないといってもいいかもしれません。
私が今の教育に必要と考えるのは
高い学歴でも、有名な講師でもありません。
自分が直面している問題をまずは抽出し、それについてすでに分かっていること・わかっていないことを把握した上で、問題解決のためにどういった行動をとるかという判断を下すことです。
判断を下した後も、自分の判断や行動を分析・評価し、次の行動へと活かす態度が必要となります。
目の前に問題が存在しても、それを認識できなければ対策の打ちようがありません。
教育が実用的であるべきか否か。
私は何の役にも立たない非実用的なものは教育に含まれるべきではないと考えます。
しかしながら、一般に「実用的でないから無駄」と思われるものの多くに、そのままでは活用しづらいが「物事の基礎・基本」となるものが含まれていることが少なくないことには注意が必要です。
私の視野は全然広くありませんが、世の中の「えらい人」の多くの視野もまた、「全然広くない」気がしてなりません。