こちらの記事を読んで思い出したことがあります。

 

海保知里さんのコメント:

「何とか授業についていかなきゃ」「早く英語をマスターしなきゃ」と、毎日必死で勉強して、やっと英語や授業を理解できるようになったとき、現地の友達から「勉強頑張ったね!」と言ってもらえたんです。そのとき、「努力が認めてもらえた!」と、すごく嬉しかったのを覚えています。

 

私も似たり寄ったりの経験があります。

 

あれは私が高校を卒業する年のイヤーブックに書いてくれた、同級生からのメッセージでした。

 

イヤーブック (Yearbook):卒業アルバムの様なもの。アメリカの場合、全校生徒向けであり、先生や友人など、お互いのイヤーブックにメッセージの書きっこをするのが一般的である。

 

 

私は貴女が英語が喋れなかった6年生から(貴女のことを)知っています。今は私達みたいに普通に英語を操っているけど、そこに辿り着くまで、すごい頑張ってきたこと、努力してきたこと、私は知っています。今後もgood luckね!

 

 

このメッセージを書いてくれた女性は同級生(Nちゃん)ですが、友達と呼べる程のお付き合いはなかった人なので、メッセージを読んだ時、涙が出る程びっくりしました。

 

でも、よく考えるとこのメッセージはNちゃんだから書けたのかなと思うところがあります。

 

私は、中・高の7年間、いわゆる白人社会で過ごしました。周りの人、ほぼ全員の母国語は英語。私のような存在は本当に珍しかった環境でした。そんな中、彼女も私同様、マイノリティーだったんです。(彼女は、アメリカ生まれ・育ちのラテン系でした。確かプエルトリコ(スペイン語)にルーツがあったような・・・。)英語が母国語ではないご両親の下で育った彼女は、外国語を取得することがどのくらい難しいことか知っていました。だからこそ、彼女のメッセージは心に染みました。

 

それからうん数十年(笑)たった現在。そして、人生の殆どをアメリカで過ごしているこの人生。英語(外国語)取得の難しさを指摘され、そのことを褒められる、または共感されるのは嬉しいのですが、単純にアメリカ人から「英語が上手いね。」と言われるのは、差別発言の領域に入りました。逆に、「日本語が上手」とか日本の文化を忘れていないと言われることが、今の私には褒め言葉になっています。