平和な日本にいて、
命より大切なものはあるか?
と問われたら、こんな答えになるのかもしれない。↓
<抜粋>
" こういう質問に「自由がなかったら生きていてもしょうがない」などと軽々しく言う輩を、私は信用しません。
戦争を始める為の常套句が正にこれです。そして負けが込んできて降参する時の言い訳が「何物も命には代えられない」。だったら最初からしなきゃいいじゃない?
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タバコはまあ自分の命が縮むだけですけど、戦争は他人を巻き込む話で、大いなる迷惑です。止めて頂きたい。
自由がないことを悲しむことすら、生きていなければできない。今の社会だって、何でも自由なわけではない。懲役刑はおろか、虐待を受け続けている人や奴隷ですら、死ぬより生きる道を選んでいる。そう考えれば、命の方が圧倒的に大切である、というのは自明のことです。"
<抜粋終わり>
"虐待を受け続けている人や奴隷ですら、死ぬより生きる道を選んでいる"
は、必ずしもそうは言えないように思うが、「人命は何物にも替えがたい」は確かだ。
だから、事情はどうあれ、自殺しようとしている人を見かけたら止めようとするだろう。
しかし、この文章、重要な視点が抜け落ちていないか?
戦争を仕掛けることの愚かさだけに言及し、一方的に戦争を仕掛けられた(侵略された)場合には言及していない。
奴隷や逃れられない虐待と違って、「逃げる」という選択肢が与えられたときに、それでも「(祖国の自由を守るために)戦う!」と言う市民に「逃げなさい、人命は何物にも替えがたい!」と言えるだろうか?
もちろん「逃げる」という選択肢は与えられなければならない。
その上で、戦うことを選んだ市民に支援物資を送ることの可否については、どう考えるべきか?
素人考えではあるが、こんな意見もあった。↓
<抜粋>
" 「私たちの歴史上でまだ経験していない戦争を止める方法があると、私は信じている。しかし、それは暴力ではない。もし戦争なしで自由と平等を得ることができないのなら、第二次世界大戦から何を学んだのか? 命よりも重要なものはない」
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「戦争を回避するためのまともな議論ができる人がこれほど少ないとは。
自由と民主主義のために戦ってるという美談に踊らされるな。死にたくない人がどれだけいるか。各国政府も信用ならん。もし本当に助けたいなら武器を売ったり送ったりしんくていいから、軍隊を派遣して守ってあげてください」"
<抜粋終わり>
率直な思いを語っておられて、批判するつもりは毛頭ないが、
"軍隊を派遣して守ってあげてください"
は違う。
米英軍、EU軍の加担は東西の全面対決になり、最悪核戦争にも発展しかねない(プーチンはそう脅している)ので絶対にできない。
ゼレンスキー大統領も、欧米をはじめとする自由主義諸国に武器・弾薬・防衛装備品や衛星通信インフラなど様々な支援を依頼するものの、戦うのはあくまで自分達だということを自覚している。↓
<抜粋>
" ゼレンスキー大統領が「自由のために戦う」という表現を繰り返してきたこともあってか、バイデン米大統領は、一般教書演説(日本時間3/2)で「自由は常に専制に勝利する」「同盟国と共に、ウクライナの自由のための戦いを支援している」などという表現を使い、ウクライナへの強い支持を示した。
● 相手に合わせた表現選び
ゼレンスキー大統領に世界の注目が集まったきっかけは3つあった。1つは、本格攻撃が始まる直前にロシア人に向けて語りかけた動画メッセージ。2つめは、攻撃開始後にEU首脳に向けて助けを求めたリモート会議でのアピール。そしてもう1つは、国外脱出を提案されたのを拒んだことが伝えられた時だ。"
<抜粋終わり>
この3つのメッセージ(内容は省略、リンク元参照)は、ロシア国民も含む多くの欧米人達の心に響いた。
欧州の人達には、「民衆が自ら立ち上がり、犠牲を払って自由と民主主義を勝ち取った」という自負がある。
無条件降伏の結果、自由と民主主義が与えられた日本とは違う。
ウクライナも例外ではない。↓
<抜粋>
"【ウクライナ国家「ウクライナは滅びず」の歌詞の日本語訳】
ウクライナの栄光は滅びず、自由も然り
運命は再び我らに微笑まん
朝日に散る霧のごとく 敵は消え失せよう
我らが自由の土地を自らの手で治めるのだ
自由のために身も心も捧げよう
今こそコサック民族の血を示すときぞ!
元々は1917年に起きたロシア革命により独立を宣言したウクライナの民族主義者により国歌として採用され、ソ連に併合されるまで使われた。ソ連から独立後に再び国歌として復活したということだが、戦火と国家存亡の危機にさらされ続けたウクライナという国に生きる人々の覚悟、決意表明ともとれる歌詞だ。
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15万もの軍を投入するロシアの優勢は揺るがないと伝えられる中で、18歳から60歳までの男性は国に留まるよう要請され銃器や火炎瓶などを手に市街地戦に挑んでいる。しかし、この事態に、日本ではワイドショーなどで「市民は逃げるべきだ」「命より大切なものはない」といった机上の空論が飛び交っている。もやもや感は高まるばかりだ。
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● なぜ戦うのか?
日本で2013年から暮らし、デモのために山口県から来たというウクライナの女性は
次のように答えた。
「当たり前のことです、わたしもウクライナにいたら家族と一緒に現場にいて、軍隊ではないが何かできることは絶対にあるので現場で手伝いたい。ウクライナにいれば命をささげられますが、いまはここにいるから私たちにできることはとても限られています。それはとても痛感している」
また、大阪で13年暮らす30代のウクライナ女性は次のように話した。
「私の男性の友達、男性の親族は全員戦闘に行っています、いまは連絡とれる人が一人もいません、安否確認できない、無事かもわからない、帰ってくるかもわからない、自分の命をかけて大好きなウクライナを守ろうとしている」「ウクライナはウクライナでいて欲しい
ロシアの一部では無くてウクライナはウクライナです、ロシア軍に比べ戦っているウクライナ人は少ないかもしれないが自分の国を必死で守りたいです」と話す。
さらに、来日20年になる須田エフゲーニアさん(47)は次のようにと強い口調で訴えた。
「誰もやりたくて戦っているわけではない、でももしロシアの一部になれば民族も国も消えてしまう」、「もし無くなれば国を復活させるには何百年もかかる」
● 「命より大切なものがある」
ソ連から独立したウクライナは1994年、核兵器を手放す代わりにアメリカ、イギリス、ロシアが主権と安全保障を保証する「ブダペスト覚書」に調印した。しかし、その後ロシアによるクリミア併合、東部ドネツク、ルガンスク地域への侵攻、占有が続き、国民の中で自分の国は自分たちで守らないといけないという意識はいま芽生えたわけではない。長年、日本で暮らすウクライナ人と交流しサポート活動を続ける日本ウクライナ文化交流協会の小野元裕さんは「歴史が示してもいるがウクライナの人は『絶対に屈してはならない』、『命より大切なものがある』と考える人が多いのだろう」と指摘する。
国のために、民族のために、家族・友人のために、未来の子供たちのために...。好戦的なメッセージを発したいわけでも、国の危機において戦う姿を美化したいわけでもない。戦時のメンタリティーが掻き立てられている部分もあるだろう。「逃げるのか」、「戦うのか」簡単に答えなど出るわけもないこともわかっている。しかし、ウクライナの人々の思いに触れ平和ボケしてしまっている私の頭の中は大きく揺さぶられている。"
<抜粋終わり>
安全保障と引き換えに核を手放したウクライナはロシアに裏切られたのだ。
無条件降伏で自由と民主主義が転がり込んだ日本とは大違いだ。
我々は、ウクライナが特殊なのではなく、日本が極めてレアーなケースであったということを肝に銘じておかねばならない。
私は、戦争を煽るつもりも戦争に加担するつもりもないが、特異な歴史を持つ日本人の教訓を他国の紛争に当てはめることはできないと思っている。
最後に、この記事を添付しておこう。↓
<抜粋>
ウクライナでよく知られていることわざは「自由か死か」です。すべてを物語っています。私たちウクライナ人には、他の選択肢はないのです。
<抜粋終わり>
抗戦を続ければ間違いなく犠牲者は増える。
それを承知の上で、西側諸国は経済制裁に加え武器等の支援を行っている。
そこには、「国際社会がロシアの横暴を絶対に許してはならない」という強い決意がある。
祖国に残って戦おうとしているウクライナ市民に、我々は
「逃げなさい、人命は何物にも替えがたい!」
と言えるのか?


