慶応4年1月5日早朝、伏見を撤退した新選組、会津兵、幕府大砲隊は、千両松堤に布陣する。伏見口より追撃してきた新政府軍とこの地で激戦となった場所です。この鳥羽伏見の戦いで、新政府軍、旧幕府軍双方ともに多くの死傷者が出ました。新選組にも数十名の隊士が討死する。この時、土方が鳥羽伏見の戦いで、「もう槍や剣では戦争というものは出来ません」と語った。また、永倉新八の「浪士文久報国記事」によるとこの日の戦いで新選組副長・助勤・山崎丞も戦死したとしているが、重傷を負うも1月13日江戸へ撤退の際、富士山丸の船上で死去したと言われてます。この埋骨地には、会津藩・新選組の戦死者のお骨を弔った地として、今も花が供えられていました。
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