角屋もてなしの文化美術館~新撰組の跡を巡る・後編~ | ライダーユージーンのつぶやき

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オートバイをこよなく愛するいちライダーの心の中身をつぶやいています。運転テクの豆知識も掲載。「新撰組」を尊敬し、“誠”を背、又,もののふとして巡察録により、気になった事やライダー必見の内容盛りだくさんでお送りするブログを目指してます。



揚屋“角屋”の一番の奥に、“松の間”があり、初代新選組局長・芹沢鴨の暗殺を企て、酒宴を催された部屋があります。京での芹沢の狼藉が会津藩に知れ、次期局長・近藤勇、副長・土方歳三に、芹沢暗殺の命が下ります。そこで、近藤・土方は、ここ角屋で酒宴を催し、屯所・八木邸にて、芹沢を暗殺します。その時の刀傷が今でも、八木邸に残ってます。芹沢鴨の最後の酒宴の場所となった“松の間”が今でも再現されてます。というのは、対象に入って、奥の掛け軸から失火。この部屋と隣の部屋を、炎上を防ぐため、取り潰した結果、建物のほぼ8割が焼け残ったのち、立て替え直された部屋でもあります。


話は変わって、これは2階においてあった燭台ですが、刀傷があります。




この刀傷は、新選組の平隊士によって付けられた刀傷です。芹沢鴨が局長時代、この角屋を始め、他の揚屋は、“つけ”でお勘定を払っていましたが、代金を払わなかった芹沢暗殺後に、次期局長・近藤勇と角屋店主との話し合いで、今で言う“現金払い”とする取り交わしの文章を交わしており、今でも資料として残ってます。その後、その取り交わしを知らない平隊士が、納得できずにつけた刀傷が、これです。これだけ新選組隊士たちが、京で暴れていたため、“幕府の犬”と罵られていたくらい、嫌われる存在だたったことが、分かりました。



この部屋も、新選組隊士たちが酒宴を行った部屋でもあります。大正時代の失火で免れた部屋です。従って、天井から電灯がついてないことから、お分かりになると思います。そこで、見ていただきたいのは、天井の色です。いやに“茶色い”とは思いませんか。


この天井は、創建当時のままです。創建当時の天井の色は、下の畳と同じ色でしたが、当時の明かりは“ロウソク”だったため、その煤(スス)がここまで茶色くしたとの事です。

時代を感じさせますね。


角屋の入口です。私が来館した時間は、ギリギリ閉館前だったので、出た時間で閉館となりました。角屋の中を見られたのと、当時の新選組の跡を目の当たりにできて、良かったと思います。今では、重要文化財に指定された建物ですが、新選組の跡を知る証として、このままの状態で、大切にしたいもんです。


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