母とのお別れ... | 愛知刈谷と名古屋 お花とクラフト教室ディマンシュの西尾令子のBlog 

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パリスタイルのプリザーブド、フレッシュフラワー、アーティフィシャルフラワー、クレイのお教室Dimancheを主宰。お花、フランス、カルトナージュやリボンデコ、大好きな旅、音楽、美味しい物など好きなものに囲まれた日々のことを綴ります。

こんにちは  ディマンシュの西尾令子です。

1週間以上ブログの更新をお休みしてしまいまして、すみません・・・

 

 

 

7月17日に母が永眠いたしました。

 

 

 

7年前に乳がんを発症し、手術、抗がん剤と治療をしてきて普通に暮らせてきましたが、

昨年末あたりに再発の兆候があり、それでも日常生活にそれほど支障もなく過ごしていました。

今年の4月ぐらいから手術の後遺症で右腕が重度のリンパ浮腫になり、右手右腕がまったく使えなくなり、

家事もまったくできなくなってしまいました・・・

 

 

 

同時期に皮膚転移も重症化し、不快感や痛みとの戦い・・・

もともと骨粗鬆症で足腰も弱く、そちらも一気にひどくなり歩きづらさも加わって、

あらゆる苦しみが一気に押し寄せて、母の不安や辛さは計り知れないものだったと思います。

 

 

 

5月下旬から入院、一時退院、自宅介護(たった5日でしたが・・・)、肺転移による呼吸苦での再入院、

緩和病棟への入院・・・ 病状的にも精神的にも怒涛の日々でした。

緩和に移ってここからは穏やかな時間を過ごしてほしいと願っていたら、たった1週間で逝ってしまいました・・・

 

 

 

最期は苦しむことなく眠るように・・・

すべての痛みや苦しみや不安などから解放されたので、それだけは良かったのかなと思います。

亡くなる5日前まで大好きなスイーツを食べ、前日まで3口ですがお粥が自分の口で食べられたので、

それだけは幸せだったと思いたいです。

 

 

 

この数か月、教室以外の時間はほぼ実家や病院に通い、できる限りの事を自分なりにしてきましたが、

やはり後悔は後から後から押し寄せてきます・・・

 

 

 

優しくて温厚で誰からも好かれ、真面目で一生懸命に生きてきた人。

厳格だった舅や長生きだった姑のお世話、これまた厳格な父に従い、気の休まる時はあったのだろうか・・・

同じ乳がんの娘(私の妹)を看取り、ずーっと人の世話ばかりの人生で、果たして母は幸せだったのだろうか・・・

真摯に生きてきた人がこんなに苦しまなければいけないなんて、神様はいるんだろうか・・・

 

 

 

考えれば考えるほど私自身も精神的にいっぱいいっぱいでしたが、

家族や親族で支えあったり、お友達に話を聞いてもらったり、親身になってくださるケースワーカーさん、ケアマネさん、

介護ヘルパーさんに出会えたり、親切にしてくださる近所の方など、本当に精神的に助けられ、感謝しています。

 

 

 

地域のボランティアや集まりにもきちんと参加し、人を大切にしてきた母だったからか、

74歳のおばあちゃんにしてはたくさんの方にお通夜や告別式にいらしていただき、別れを惜しんでいただいたので

やはり母は幸せな人生だったのだと思います。

 

 

 

親との別れは誰にでも必ず訪れます。

母は死をもっていろいろな事を教えてくれたのかなと思います。

病気との向き合い方、生き方、死に方・・・

遺影写真や葬儀費用などきっちり準備して、「周りの人に迷惑をかけないような質素な葬儀にしてほしい」と

遺言まで書いていた母のその生き方を、しっかり胸に刻んでおきたいと思います。

 

 

 

 

最後に・・・

この数か月、教室をしている時も本当に精神的に助けられました。

無理をして教室をしていたわけではなく、まともな精神状態を保つために教室は本当に必要なものでした。

生徒さんたちのお顔を見ると、その時だけはすべて忘れられたので本当に助けられ、感謝しています。

8月はお休みをいただきますが、9月からは気持ちも新たに頑張っていきますので、

どうぞよろしくお願いいたします!