11月6日、ようやく貴船神社奥宮のお水汲みが終了です。
今年の6月15日に桃の井をスタートして、頑張れば1日で終わりそうな行程を約5か月かけて桃の井、醒ヶ井、柳の水、錦天満宮、貴船神社奥宮とようやくすべて制覇。
当日はちょっと空気が冷たいかなというぐらいの気温で、天気にも恵まれ、行った時間がよかったのか、人もまばらで貴船神社奥宮、貴船神社を堪能できた。
(9月17日に行った錦天満宮の記録が書けてないのが気になるな…)
まず奥宮へ。
駐車場に車を停めて、紅葉で景色がよかったので、しばし、写メタイムをしたあと奥宮の参道に降りると、記憶ではここにお水はなかったと思っていたのですが、門のまえに手水場があるじゃないですか。
記憶とはなんと曖昧なものか(笑
ここでもまたちょっとだけ写メタイム。
いっこうに奥宮へ入らないまま30分ぐらい経過…何しに来たのかと怒られそう…(汗
そして手水場で手を洗って中へ。
奥宮へ入ると、明日からのライトアップに備えて、色々なライトチェックをされてました。
一足先に色んなライトアップが見れてちょっとラッキー!
船形石がライトアップされているのが入る前から見えていたのですが、近くによってみると、船形石の上に帆が立ってる。
船形石がライトアップされてるのも初めて見たけど、帆が立ってるのも初めて。
これは出航の合図? やね。
今日一緒に来た椿、直子にも何かしらの変化が現れることになるってことでしょう。
(どんな変化になるかは本人次第です!!)
このお水巡りの流れから考えると、記憶が蘇る → 本当の自分を知る(に戻る) → 霊的な存在である本来の自己としての意識を持って歩んでいくって感じかな。
このスパイラルがどんどん上昇していき、本来の自分を少しずつ取り戻していき、やがて本当の意味で本来の自己に戻っていけるのだと思う。
簡単な道ではないけど、やりがいがある道。
だからこそ自己探究をやるし、続ける意味がある。
自己探究をして本当の自分を取り戻していく度に、幸せ度も少しずつアップしていく。
すごい仕組みっていうか、これが原理なので、幸せになりたかったら自分を知って改善していくしかない。
他人に自分の幸せをどうこうしてもらえるなんてないのが現実やし真実。
嫁や私が、探究者にいろいろなアドバイスやエナジー的な調整をしても、それは背中をちょっと押してあげてるだけで、変わっていくのは本人の力以外は無いんよね。
この理屈を完全に身体で理解しないと、いつまでも『他人のせいで自分の幸せがやってこない』と思い続けることになってしまう。
いくら頑張っても、他の誰かが自分の幸せをコントロールしているとしたら、その誰か次第で幸せが決まるってことでしょ?
自分のために頑張るのではなく、その誰かのために頑張るって奴隷みたいなもんでしょ。
これほど不幸なことはないと思う。
なので、より多くの人に自己探究に目覚めて、自分の幸せというものを真剣に考えられる環境というものを創りたいし、目覚めさせるのが嫁と私の役割でもある。
で、話を戻すと、
しばらくは、貴船神社奥宮の境内を散策して、写メしまくって、手水場でお水をいただき貴船神社へ。
貴船神社の駐車場がうまい具合に1台だけ空いており、車を停めることができた。
やはり来る日、来る時間がばっちしだったということ。
(貴船神社の駐車場が空いてなかったら、奥宮の駐車場から歩くしかなく、膝の調子が良くない嫁さんにはつらい行程になるので、貴船神社は諦めたかもしれない)
駐車場から上がっていくと、最初の鳥居のところに小さな川があり、橋がかかっている2mほど先が滝になっており、気持ちいい空間なので、またもや写メタイム。
この日はとにかく撮りまくりの日だった(笑
じゃあそろそろ境内に上がろうかというタイミングで太鼓の音が鳴り始める。
よくある具現で、このタイミングで正解という合図。
階段を上り本殿に行くと、神主さんが夕方のお勤めの最中。
これを見守り、目的のお水をいただき、また写メして終了。
だいぶ掻い摘んでますが、こんな感じ。
これを書いてて、『貴船神社』の名前の由来になった『玉依姫』を調べてびっくり!
ウィキペディア(Wikipedia)の『玉依姫』の項に
龍口明神社では龍神を束ねる海神族の祖先とされ、また姫自身も龍神として崇められている。
なんてことが書いてある。
昨今ラブスピースは、龍づいてて、龍族からのメッセージもあったりして関連深い。
この記憶の蘇りのエッセンスになった『京都府警あやかし課の事件簿 3』の中の話しでも最後には龍神が出てくるし、他にもエッセンスになった『 阿部 智里 著』でも玉依姫の子どもが龍であった。
嫁さんのルーツに龍もしくは龍使いがいたり、私の名前に龍が使われていたりと、龍とは本当に縁が深いと感じる。