第四篇では、能楽の将来について、山井さんの持っている危惧とそれに対処して行動しているこの二年間を、熱く、語ってもらいました。

 

 

“能楽は、博物館の陳列物になってはいけない。能とは何か、何を伝えていくかを常に考えています。”

 

 

日本に住む日本人は、日本の伝統文化に、無頓着。そのことを海外に住んでいる日本人から指摘されました。よく聞く話で、日本に住む日本人は、海外に出て初めて、外国の友人知人から尋ねられ、答えられない自分が自国の文化を知らなさすぎるということを痛切に感じるといいます。今の若い人に限らず、茶道、書道、武道、能や狂言など、あまり知らない人が多いのは事実です。

 

その理由の一つは、70年前の先の大戦の後、日本文化を『無菌殺菌』にして始めなければならなかったことがあると思います。その時、戦前からあった改めなければならないものを捨てるのだけでなく、日本が古来より伝えてきた、良かったことまで捨ててしまったのだと思います。といいますか、そうしないと、再出発出来ない時代だったのだと思うのです。あの時代から今日まで、日本人の心にぽっかり穴が空いてしまっているのです。この21世紀は、日本人が忘れてきたものに気づかなくてはならない時代だと、わたしは思います。

 

そういう意味で、2020年東京オリンピックは大きな意味があると思います。しかしそれで終わりにしてはいけないのです。そこが始まりだと思った方が良いのだと思います。 「日本人が忘れかけている大切な何かを思い出す」、2020年のオリンピックをきっかけに、それに気がつかなければならない時だと思います。100年後・・・22世紀の日本人が21世紀を振り返ったとき、2020年の東京オリンピックを契機にして日本は良い方向に変わったのだ、という風に言ってもらえるような日本にしなければならないと思います。

 

 

 

しかし、ただ古い物を守っていくだけではダメだと思います。古きを訪ねて新しきを知る。まさに温故知新の精神が必要だと思います。ある方は、「伝承」とは、前からのものをそのまま伝えていくもので、一方、「伝統」とは、新しい解釈を入れて時代に合わせて作っていくものと言っていまして。正に、生きたものなのです。

 

(能とオペラを協演するという形で2017年にカナダのバンクーバーで公演。古いものを守っていくだけではダメ。山井さんの新しいチャレンジは成功している。)

 

私のやっている能楽とは、偉大な金春流の先人たちが作ってきたもの、1400年もの間、苦しく辛い時代も乗り越えてきた大切な貴重な文化財産です。そこには、たくさんのヒントが詰まっています。これを現代に生かしていくことです。能は素晴らしいだけではダメ。能楽は、『博物館の陳列物』になってはいけないのです。能とは何か?何を伝えていくべきか?を常に考えています。今、生きていてここにあるものを伝えていく。それはいったい、何なのか。それを、突っ込んで紹介していく。今の時代に伝統文化を背負っている人間は、全てのジャンルを問わずそれを考えていかなければいけないのです。昔だけのものを守っているのでは、ダメです。それでは、どうしたら良いか。それが難しい。簡単に出る答えなどありません。どうすれば良いのかを、いつも自問自答し、もがいています。

 

ある企業の社長さんが、「日本は中国にも韓国にもインドにも経済的に追い抜かれて、日本なんてもうダメだし落ち目だし、日本は終わりですね」と言われました。しかし、私は決してそうは思いません。高度経済成長の時のような爆発的なことはないかもしれませんが、日本人、日本という国が持っているポテンシャルがあります。アメリカとの貿易摩擦の時に、日本の製品がなぜあんなに売れたかというと、日本人が作り出すものは違うからです。世界の中で品質が良いなど、車や電化製品にしても、日本人は手先が器用で、個人主義ではなく集団主義を大事にし、産み出された日本製品は高く海外で評価されています。働き蟻などと表現されますが、あの時の日本人の精神というのは、ずっとそうだったのだと思います。日本人はずっとそういう民族なのだと思うのです。とても繊細な心を持ち手先も器用です。能楽はそういった日本人の特性があったからこそ、奇跡的に伝来してこられました。その日本の素晴らしさというのが凝縮されています。そういうことが今はややお囃子ろ骨抜きにされてしまっています。

 

金春流が未来につながっていくために何が必要なのか、そこが私の目的の第一です。且つ今の時代を見て、世界の情勢を見た場合、日本人が古来からもっていた心というものが世界の人々に「ああそうか、そういう考えがあるのだ」と知らしめることの出来る、大事な時期だと思います。個人主義やある国の大統領のように自国ファーストと言って自分の国だけ良ければいい、ということではなく、「共存共栄していくのだ」という発想です。

 

西洋文化や、所謂キリスト教的な発想にはこの現代にひとつの行き詰まりがある、と私は思っています。西洋文化やキリスト教を否定している訳ではありせん。西洋には善と悪が明確にありますが、100%善と悪に分けることなど出来ない、と私は考えています。少なくても、日本の文化は違います。日本の文化では、神と鬼は表裏一体です。神は鬼にもなります。だから鬼が100%悪い、という考えが能にはありません。能ではそういう描かれ方をしていません。また、鬼も西洋的なデビルやデーモンといった『悪魔』という存在はありません。鬼も可哀想で悲哀があり理由があるのだ、誰の心にも潜んでいるのだ、という所にスポットを当てているのが、能の中での鬼の役割です。

 

その為に、色々なことをしてきました。以上がわたし個人の考えです。金春流の歴史から学んだのも勿論のこと、少なくとも他流の能楽師の方たちも同世代の方々はそのような考えを大なり小なりお持ちだと思います。これからは、こういうことを多くの日本人に、特に若い人たちにも伝えていくことが必要だと思います。そういうために、能楽の公演では私が主催する公演も含めて全て学生料金を設けています。

 

又、頼まれて、企業セミナーや異業種交流会などでお話したり、学校などで子供達への啓蒙活動も積極的に取り組んでいます。子供達は、大人が憂いて考えるより遙かに能楽の素晴らしさを感じてくれます。手応えを感じます。

 

又、昨年10月には、カナダのバンクーバーで、能を元にした新作オペラを作り能とオペラで共演するということに取り組みました。

カナダ人オペラ歌手や室内楽の方々に囲まれて、これこそ究極の異文化交流。作るのに大変な労力が掛かりましたが、大変に素晴らしい作品になり、現地で大絶賛を受けました。いつか、日本でも再演したいです。