ネチケットネチケットうるさかった時代なつかしーなあ(笑

表題に上げたようなネチケット(と言われていたもの)は当然ないんだけれども、ネット上で「キャラをつくる」というのが当然至極に行われている今、ネチケットという概念が昔のように黄門様の印籠のごとく高圧的に続いていたら追加されてしかるべきなんでないだろうか、という仮定。

なりきりプレイ自体は、俺自身とあるオンラインゲームで、ロボメイドキャラに「マスター」とかしづいてもらいいい目を見たので悪いことだとは思わない(何のゲームで何のなりきりプレイをやってるかは察してください)し、よく見知った嗜好の通じ合った仲間内で「じゃあお前アレやって、俺はコレな」とか大人がなりきってるのはバカバカしくも面白くもある。

だがしかし、時になりきりすぎて「ボクは〇〇のつもりなのに、なんでみんなボクに対して〇〇に対するように振舞わないんだよう!」という奴がいたら正直ウザイ。というかこういうトラブルはいくつかあった。


知った仲でもこうなのだから、もし一切の面識の無い人間から突然、「私は女王様なんだからかしづきなさい奴隷ども」と言われたら、「なんだこいつ」と反感を持って黙って立ち去るか、「ハイハイ女王様」と言うことを聞いた振りで笑うか、「何様のつもりだ」と怒り出すかが「普通の」反応だと思う。

自己像がいかに「女王様」であろうとも、SM趣味でもなきゃ、突然現れた人物に興味も持てない人相手に、いくら「私は女王、小悪魔なの」とか言われてもただ単にキモイだけでなんである。



それともう一つ、10年くらい昔はよく「ネット上では書かれた文章だけがすべて」「ネットの向こうの人の顔は見えない」と言われたものだ。

これは俺は最初聞いたときの印象どおりに、「話している相手は未成年だったり、自分の思う性別の相手ではない場合もあるから発言に気をつけろ」という発言者側に対する戒めとして受け止めていたが、後年では、「ネット上で場に沿った発言をできない子供・ネチケットのなっていない人間は発言を控えろ」というように気に入らない発言をする相手への威嚇として使われていたりした。

最近では俺はこれを、「ネット上では書かれた文章だけで相手を判断し、相手が自己申告する肩書きや社会的地位によって相手を見ない」という自分自身のネットにおける姿勢として心に留めている。

最初は誰しも見知らぬ仲であり、知らない人といろいろ会話を重ねていくうちに、ああ、この人はこういう人なんだなあ、こういうのが好きなのか、と相手のことを知っていき親しみを感じるようになるのが楽しみであり、コメント欄でたまたま趣味が同じゲストの方同士の話が弾んだりしているのを見るのも、俺にとってはまた醍醐味なんである。

例の「カメカエル論争 」もgegengaさんがカメ好き、南郷さんがケロリストということが予備知識があって、kuronekoさんがヘイトコメント大好物というのが判っているからこそ面白く感じるのであって、発端となったコメントを残した一見の人物が「人の発言をエサに何遊んどんじゃオリャー」という気持ちになるであろうことは分からないでもないのだが、

それに対する反応が「自分は現実でもっとすごい議論をしてるんだもん」という自己申告というか空威張りであることがまた「へー、そんなすごい議論をしていてこの程度の反論か」と思わせられる。同時に、「そんなこと知るか」と思う。

バカな発言をして『バカにされた』としか言い返せないようなバカはバカにするしかないし、興味も沸かない。

たとえ学があろうが学者だろうが前近代的な考え方をするような見下げた(哂)人物はそれこそ困ったくらいいて、そういう「愛国的な立派な議論を重ねている、戦後民主主義が大嫌いで日本の軍国主義を再評価したい」と願っているウヨウヨに影響を与え続けているのだろうから、そういう人がセンセーに誉められたり親にいい子がられてようが俺の評価には全く関係なく、「偉いわねー」なんてなりっこないのである。

現実で優秀な学生であろうが、社会に貢献する立派な社会人であろうが、そんなことは詐称できるし、そもそもネット上の関係にそれを持ち込んで他人の印象を変えようというのがこすっからい。

やはりネットではネットの発言が全てだ。それに対する印象を「こう思ってね」という態度も、幼稚すぎる。

発言から受ける印象は各個人の自由であって、「自分はこう思われるべき人物!」といかに声高らかに復唱しようとも、相手の印象を変えることはできないし、見苦しいのだ。

俺もこのブログに書いている文章でアレコレ陰口を叩かれたことはあるが、誰とも知らない知ろうという興味も起こらない赤の他人が踊り子を見るかのような楽しい気分でヒーヒー文句言ってても全然気になりません(哂



そういえば「ヘイトコメントを哂え」の会は文字通りヘイトコメントを哂ってしまおうって会なんだから、そこの会員が「『馬鹿にする』という目的に集まった共犯関係」なんていうのはそのとおりじゃん(哂)何か新発見でもしたかのような書き方だが。

もー、看板に書かれてることも見抜けないなんてホントバカにするしかありませんな。


(ゲロのなりきりプレイと自己申告を並べてみたらなんか自分イメージが全部なりきりプレイのような気がしてきた。どーだかわからんが。)


コメント欄 で南郷さんの書かれた「ケロリスト養成講座」が非常に親切。

冷静な議論を望むのなら、自分と異なった思考の枠組みをトレースする能力「超自我」の収得が必要です。これが出来ないナショナリズムをウチダ先生は「学習障害性ナショナリズム」と言い、カマヤンは「物心が付かない」と言ってる。


俺は他人との距離のおき方が分からない人なんじゃないかと思ったりした。