以前コメント欄で書いたのだが、歴史認識とか、特定の宗教施設への思い入れなどは、政治家を選ぶ基準として一番に挙げるべき問題ではない。そういうのは学者や宗教家のものだろう。

歴史観や靖国参拝をもって政治家の善し悪しの判断基準とし、過去の政治家を「腰抜け」などと評している人たちを見ると、現政権に都合のいいように釣られまくっているとしか思えない。


郵政民営化も、「米国政府の日本政府に対する年次改革要望書」の中に盛り込まれている、小泉「改革」の主たる目的「アメリカの要望」に過ぎない。小泉は国民の利益なぞ考えていない。

一宗教法人に過ぎない靖国に対するこだわりも、中国にとっていい抗議の種を与えてしまうだけだ。

アメリカも「日本をファシズムから解放した」という誇りを持ってイラク戦を始めたくらいだから、靖国を肯定する思想を後押しすることはありえない。黙認しているのは、アジアから日本が分断されて統治するのに都合がいいからだ。


それなのに、靖国万歳だの小泉は毅然としてかっこいいだののんきなことを言っていられるのは、幼稚であるとしか思えない。六カ国協議でも日本をどの国にも相手にされない情けない国にしてしまった日本政府を、どこまでいいように解釈し続けて甘やかすつもりなのか。

「ぼくちんたちのアベチャンは日本の誇りを持ってかっこいいんでちゅー」

「日本はずーっと正しい国で、イチャモンをつける国はいけないんでしゅ!」

自己の幼児性を国や政治家に投影させるのは国益の妨げとなるのでやめていただきたい。


「侵略」を認めなかった「情けない」過去の歴代総理に反して、小泉は「抗日戦争記念館」に詣で「侵略」を認める発言をしているのだが、これは「毅然として立派な」小泉に「侵略なぞしない立派な日本」史観を求めている人たちにとって大きな誤認識ではないのか。


しつこいが靖国  当代江北日記

2001年 10月8日、北京 抗日 戦争 記念 での発言。

侵略によって犠牲になった中国 の人々に対し心からのお詫びと哀悼の気持ちをもって、

2001年 10月15日、ソウル 西大門 独立公園 での発言。

 日本 植民地 支配によって韓国 国民 に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対しまして、心からの反省とまたお詫びの気持ちをもって、いま、色々な展示や施設や拷問 のあとを見させて頂きまして


小泉首相 靖国参拝 を続けながら、周辺国に「謝罪」を続けるということをもう少し考えてみたい。先ほど、このような行動はむしろマイナス と書いたが、実際、小泉首相 のおかげで「謝罪」のハードルが上がりつつある。『論座 』で田中明彦 氏が「一度靖国 に参拝するために何度もペコペコしなければならない」と、コスト から言って見合わないという話をしていた。事態はもっと進行していて、中国 政府 は「言葉では なく、行動を見る」と言っている。江沢民 時代は共同宣言に「おわび」を盛り込むかどうかでもめたが、もはや中国 の関心はそこには なくなったようだ。「行動」は現在のところ、靖国問題 教科書 問題の妥当 な処理を指すのだろうが、この先はどうなるか。考えるのが怖い。


国家や政治家を、自らに心地よい歴史認識や、国のために死ぬと奉られるというカルト的なものを与え続ければ「いいもの」などと、自分と同様に甘やかすのはやめろ。

TB

世界の街宣車窓から ~銘右翼百選~その8 ロイ・M・コーン  

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