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6 【ギャルになりたいのに、なれない私がとった行動とは⁉︎】

 
 
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本日の記事

↓ 7【里親制度、地図にない島で先生になる⁉︎】↓

 

 

先生になるための勉強をしているとき

 

私は、ふるさとの

 

沖縄を愛していない

 

ということに気付きました。

 

 

 

 

逆に嫌い

 

海で泳ぐことも、

 

いい加減で適当なとこも

 

就職先が少ない事も

 

結構、イヤ

 

 

 

 

だから、京都に来た

 

そう思っていた


でも

 

先生になるのにふるさとを愛してないなんて…

 

と違和感を感じました。

 

もう一度沖縄に帰りたい。

 

帰って、沖縄を大好きになりたい。

 

だって、私が生まれたところだから。

 

私はもっと私の生まれた場所を好きでいたい。

 

そう思って、短大を卒業したら

 

沖縄に帰ると決めました。

 

 

 

でも…

 

心から先生になりたかったわけではなかったので、

 

まずは、海で遊ぶための

 

海友達を作ると決めました。

 

 

そして

 

なんとなく英語を話したくなって、

 

語学学校へ通い始めます。

 

 

 

そこで、出会ったのが

 

サーファーのお友達。

 

ハワイに留学中の子や、

 

沖縄でサーフィンをしている子

 

ドンピシャな出会い!(引き寄せてるよね)

 

海に連れて行くよう頼みました。

 

 

 

私の勢いに押されたサーファーさんは、

 

手に負えないからと、

 

ボディーボードをやっている女友達を

 

紹介してくれました。

 

 

 

それからは、ほとんど毎日のように

 

彼女と海に行くようになりました。

 

京都でバイトして貯めたお金で

 

自由を満喫していましたが、

 

車もなくボードを買うお金もない…

 

 

 

 

私はバイト感覚で、

 

臨時の先生やろ〜と思いつきます。

 

履歴書を提出したら即採用。

 

私の赴任先は、地図にも載っていない

 

小さな島でした。

 

 

 

その島は、人口30名弱。

 

徒歩20分弱で島一周できます。

 

人がいないので


もちろん子どももいない


 

島の学校を存続させてる為に


里親制度で子供を預かりような


小さな小さな島でした。

 

(沖縄の西表島のその先にある島で先生やってたニヤリ↑)

 

 

 

私の担当する学級は児童2名…

 

隣のクラスにはその妹達が2名…

 

小中併設校で中学生が8名くらいいました。

 

僻地(へき地)といわれる場所の中でも

 

最上級のへき地、

 

お給料はとてもいいです。

 

 

 

その島に来る子供達は、

 

不登校などで学校に行けなくなった子が

 

山村留学という形で、親元を離れて来ていました。

 

 

 

私はそこに1年間滞在していましたが、

 

直接保護者と話した記憶がありません。

 

私があまりにも経験がなさすぎて、

 

校長か主任が対応したのかもしれません。

 

 

 

 

先生方との仲がとても良くて、

 

釣りに行ったりお酒を飲んだり

 

家族のように過ごしていました。

 

警察もいない島で、信号もありません。

 

島に住むおじさんは、なぜか、県外の方ばかり…

 

なぜこの島に住んでるの?とは

 

聞くに聞けないオーラがありました。

 

 

 

そのおじさま達から、

 

私は様々なお酒を飲ませていただき

 

お酒に合う魚料理を振る舞ってもらいました。

 

お酒を酌み交わした次の日に、

 

そのおじさまが船で渡ってきた警察に

 

連行されていくこともありました。

 

 

 

 

 

その島にいる間、私は

 

自然が、子供達を癒していく過程を

 

目の当たりにしました。

 

 

 

当時、私は21歳

 

先生と名乗り、教壇に立つけれど、

 

子供達の心のケアなど全くできない。

 

 

 

それでも、海の青さと、強烈な太陽と、

 

圧倒的な強い緑と…

 

 

宝石みたいな星空と…。

 

 

 

真っ赤なデイゴの花と…。

 

 

 

 

 

 

すぐそばだ生きてた、魚や鶏や鴨を、

 

 
 

 

 

 

 

 

 

青年会の若者がさばいてくれて

 

命を頂く。


めちゃくちゃ美味しかった…



 

島の文化、祈り、

 

全ての島の要素、リソースによって


子ども達が変化を目の当たりにしました。

 

みるみるうちに、


子供達の目が変わっていくんです。


に現れるんです

 

エネルギーが宿ると、目が変わるんです。



 

 

 

その後私は、この場所に来たことを

 

無駄にしたくなくて

 

ちゃんと


小学校の先生になると決めます。

 

 

 

そんな素敵な経験をしていたにも関わらず、

 

私は、まだ浮気性な彼と付き合っていたので、

 

島から東京までよく遊びにいきました。

 

その人の存在は、私の拠り所でした。

 

 

 

”東京にいる彼”

 

が私の存在価値を高めてたのでしょう…

 

 



有名人と付き合う事で、自分の価値を上げたり


こんな人でもいないよりはマシとか


惰性で別れないことを選択することは、


自分さえ我慢すればいいという、


独りよがりな


自分だけが損するということではありません。


このような選択をし続けると


自分自身はボロボロになるし


大切にしたい人にも、


影響を及ぼすもの



ある日、早く別れておけばよかった…。

 

この彼と惰性で付き合ってきたことを


心から後悔することが起こりました。


 

 

続きはこちら▶︎▶︎

8【彼の裏切り】

 

 

 

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