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前回の記事▶︎▶︎

3【先生を見下す生徒。往復ビンタで報復される】

 

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私が1番私を肯定する♡最上愛人生ストーリー

 

 

 

 

今回の記事はこちらから↓

 

4  【力尽きた高校生活】

 

 


 

常に二学年先取りした勉強をさせる。

 

それが母の教育方針でした。

 

 

 

姉は、反抗しながらも指示通りにできるタイプ。

 

私は反抗はしないけれど、

 

物やお菓子で釣りながら、

 

あやしておだてて

 

手をかけてるのに

 

最後までできずに途中で辞めてしまうタイプ

 

 

 

 

母を何度もがっかりさせ、

 

私も私にがっかりしました

 

 

 

 

ただ、学校の成績は、先どりしているので、

 

下位になることはありませんでした。

 

 

 

中学では、特定の先生を見下したり

 

万引きをしたり、

 

カンニングを疑われて呼び出されたり…

 

先生方には沢山指導されるのですが

 

父や母には何も言えない、

 

反抗をしない。

 

そんな子になっていました。

 

 

 

その頃いつも目標にしていたのは、

 

父と似た監督のいる高校に入って、

 

部活でレギュラーになること。

 

できれば父と一緒に全国大会に行きたい。

 

 

 

お父さんには教えてもらえなかったけれど

 

せめて、自分で頑張って

 

全国大会に出場したい。

 

そして、スポーツ推薦で大学まで行き、

 

父と同じように高校の先生になりたい。

 

そう考えていました。

 

 

 

 

しかし、高校合格までが私のゴールで

 

入学してからは、身長が止まり、

 

ベンチに入るのがやっと

 

憧れて入った高校なのに、

 

ついていくのに必死

 

 

 

毎日、憂鬱でパワーが出ない。

 

勉強も部活も学校生活も、

 

楽しいようで楽しくない

 

 

 

楽しんでいる友達が

 

羨ましくもあり…

 

疲れるから離れたいという思いも

 

同時に湧いていました。

 

 

 

疲れるのは、

 

友達が嫌いとかではなく、

 

本当にヘトヘトだったから。

 

 

 


 

「なぜ?私が生きているんだろう?」

 

という疑問が常にあって、


休み時間に哲学の本を読んだり、

 

友達といるのに

 

ヘッドフォンで耳を塞いで洋楽を聞き、

 

訳してノートに書くという

 

空気の読めない行動を取り始めます。

 

 

 

たまたまヘッドフォンをしていて、

 

音楽がなっていない時、

 

「りんりんって、楽しいのかな…」

と、周りの友達が私のことを話していたのですが、

 

特に返事を返すことはしませんでした。

 

 

 

 

唯一好きになった男の子がいて

 

その子に会うために学校に行っていました。

 

見ているだけ…

 

それだけで救われてました。

 

 

 

人気者の彼を見ていると、

 

エネルギーが湧いてくる

 

周りにいる女の子もみんな元気だった

 

 

 

私は、


そういうグループには入れないんだな…って、

 

遠くから見てるのが

 

苦しかったのも覚えています。

 

 

 

後から考えると、

 

私がどんな状態であっても、

 

誰かが側にいてくれて

 

中学の時なんか、

 

卒業式の日に

 

一度に3人もの男の子に告白されたりして

 

 

 

でも、当時の私は

 

「私の何が分かるの? 


 私のことを好きだなんて…


 この人は信用できない」

 

と、逆に切れてしまうほど…

 

 

 

自分のことが1番嫌いで、

 

こんな私なんてって思いが強くて

 

一人一人の思いを


受け取ることができませんでした。

 

 

 

疲れるから放っておいてと、

 

オーラで放つのではなく

 

みんなのテンションにはついていけないけど

 

嫌いってわけじゃない、

 

放っておいてくれてありがとう

 

って、話せればよかったんだと思います。

 

 

 

当時の私にはそれが言語化できなかった。

 

あの時はあれで精一杯でした。

 

 

 

高校総体県予選では、

 

一回戦敗退…

 

推薦枠をとることができなくなった私は

 

もう、お父さんと同じ道を歩むことができない。

 

小学生の頃から頑張ってこれたのは


お父さんと並んで、


県大会で優勝する事。


この目標があったから。



 

夢破れて、一気に崩れていく感覚

 

このままじゃダメになると感じました。


進路を変更しなきゃいけない

 

私は沖縄から出ることを決めます。

 

私の成績でも行ける


京都の短大へ進むことに決めました。

 

 


 

「あなたなら向いてるよ」

 

と母が勧めてくれた、

 

小学校の先生になるための免許を取る。

 

新しい道があるということが

 

生きる力になりました。

 

 

京都に向かうと決めた私は、

 

一度だけ

 

好きになった子をデートに誘います。

 

でも

 

好きだということは言えずに

 

初恋は、終わりました。

 

今思えば、子どもの頃からずっと

 

本音を言わない人生を送ってきたのだと思います。

 

そんな、本音を伝えない私の習慣は

 

子育てや私の人生全てに


大きく関わっていくことに


この時はまだ気付くことができませんでした。

 

 

 

京都での生活が始まった時

 

私って、こんなに我慢してたの??


ってことに気付いてしまい


我慢しなくていい解放感から

 

水を得た魚のように


生き生きとした


女子短時代を送ることになります^^♡

 




続きは次回\(^^)/

5【京都で知った本当の私】

 

前回の記事▶︎▶︎

3【先生を見下す生徒。往復ビンタで報復される】

 

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