2006年頃から状況が変わりはじめ、福祉施設の職員の方とうつ病やWRAP

(元気回復行動プラン)等のフォーラムを聞きに行きました。
都心へ電車に乗って行くのは、苦痛でしたが、何とか乗り切りました。
それと合わせて、福祉施設で職員の方と、本の読み合わせ(認知行動療法)

をしました。2年くらいやったと思います。

 

          

2006年頃、保健所の紹介で福祉施設に通う事になり、1週間に2回程通いました。

お茶を飲んで話したり、交流の集まりに出たりしました。
最初は慣れませんでしたが、少しづつ慣れてきて、職員の方に困り事を相談したり

しました。自分の病気を治すために精神療法をやりたいと何度も話すと、勉強会を

やりましょう、と言う事になり、本を買って勉強会が始まりました。

 

           

2000年から2005年まではクリニックを転々としながら、

パソコンのアルバイトを少しずつやりました。

体調の波があったので、動ける時はあまりありません

でした。これまでにクリニックは8回変わったと思います。

とうとう痺れを切らし、保健所に電話して、事情を話し、

福祉施設に通う事になりました。行くところが出来た

ので少し安心しました。

 

       

2000年、新聞に精神疾患の名称が変わったと広告に載っていた。
これで少しは変わるかなと思いました。
1991年に病気を発症してから9年経ち、これまで仕事の付き合い
のあった人間関係を全て切り捨てました。
一人になり、自宅とクリニックに通う日々が続きました。
これまで、眠気、怠さ、ふらつき、しびれ、便秘などの副作用
に加え、過呼吸、パニック発作、うつ状態にも悩まされました。
パニック発作は4回くらい。自分で救急車を呼び、処置室で
のたうち回りました。入院は1回しました。検査しても異常は
無し。自分がどうなっているのか分かりませんでした。
4回目のパニック発作の時は外出中で、都内の病院に担ぎ込まれ
ました。2時間くらいで落ち着いたので、母親と帰途に着きましたが、

帰りの電車で、ホームに飛び込みたくなり、怖くなって
階段を少し降りて、電車が入って来るのをじっと待ちました。
這うようにして自宅に戻り、しばらく安静にしました。

1995年から1999年頃までは、バブル経済の後遺症が出始め、
景気も下降線で企業もリストラが横行していました。
私はパソコンの仕事をしていましたが、貧乏暇なしと言う
感じで、空回り、だまされたりする事が多くありました。
健康状態も不安定で、収入も時々しかありませんでした。
金銭問題で脅されたりで、最悪でした。

 

       

クリニックを変え、処方箋をもらっては、薬を飲むと言う事を繰り返していました。
本屋に通い、あがり症、対人恐怖に関する本を探しては、読むという日々が続き
ました。薬が効かない、又は合わないなどで、処方箋が変わり、副作用に苦しむ

ことになりました。治るどころか悪くなった感じでした。
先の見えない暗闇の中を手探りで進む感じでした。それが何年も続きました。

 

             

1994年頃は、パソコンが普及する時期で、こぞってお宅達は夢中になりました。
私も毎日パソコンをいじくり回し、ネットにつないだり、ゲームに夢中になりました。
それと同時に病気持ちになったので、個人の精神科クリニックに通い、

薬をもらっては飲む日が続きました。症状は、少し良くなった気がしましたが、
副作用も多く眠気に悩まされました。段々薬の量が多くなり、とても飲み切れ
ないので余ってしまい、捨てたりもしました。そして、これはクリニックが
合わないのだと思うようになり、クリニックを変えました。

 

           

 

1994年頃、隣街の大病院に行きました。診察は軽い質問をされるだけで、

処方箋を出されました。2ヶ月くらい通い、何も変わらないので、個人の

クリニックを紹介してもらいました。ここから私のドクターショッピングが
始まりました。

 

             

1994年頃、まだ社会不安障害という言葉も無かった時は、
治療法が森田療法、自立訓練法くらいしか無く、都内の
自立訓練法をやってくれるところに通いました。
この頃も精神状態が不安定で、何とかしたいと言う
気持ちでいっぱいでした。半年くらい通ったと思います。

 

  

1993年頃は自分がどんな病気か分からず、本屋へ通い出しました。

まだ精神疾患に関する本は専門的な物が多く、治療法についての

物はあまりありませんでした。取り敢えず、自分に該当する物を探し、
本を読みはじめました。本を読むと、少しは気が楽になりました。