正法眼蔵の現成公案 | 筆任勢(ふでまかせ) 林道雄

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道元の『正法眼蔵』の有名な現成公案の一節

 仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふといふは、自己をわするるなり。  自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

私なりに瞑想や内観体験から解釈すると「自己をならふ」というのは内観的体験から言うと内観を通して「自分を知る」という事だと思う。表面の意識で知るわけではなく、分析するわけでもない。内観五日目くらいを過ぎると自分の姿が別の次元から見えてくる。これは自分の醜さを深い次元で認識することで、悲嘆にくれ、その後何故か深い安らぎが訪れ、静かな不動の気持ちになる。
これが道元の言う「自己を忘るる」ということではないかと思う。

しかし「万法に証せらるる」は意味がわからないし、私はそこまでの内観体験はない。深い内観体験者の何人かは「宇宙の仕組みがわかった」「過去からの太古の歴史をみた」などと発言される方があるが、「万法に証せらる」とはそういう境地のことを言うのではないだろうか。