伊集院静のエッセイ集。彼のポリシーと共感できるところを拾い上げてみる。
*大人が人を叱るときの心得
パワーハラスメントなる言葉があったりして、言い方にも注意が必要だという。-あまりガミガミ言って嫌われるのもナ・・・・・。 イジメと思われてもナ・・・・・。
この頃は、さまざまな理由で職場の中で怒る人が少なくなっている。 ”それは断じて違う”
・怒りなさい。 ・叱りなさい。 ・どやしつけなさい。
言い方に気を配ることなどさらさら必要ありません。あなたの言葉で、ダメなものはダメだと言いなさい。
「何をやっているんだ」 「仕事を何だと思ってるんだ」 「そんなこともできんのか」
社会というものは、学校とも、サークルとも、家庭とも・・・・。まるで違う場所であることを教えなさい。
それで新人が、「そんな言い方は・・・・」「そんな理不尽な・・・・」と思うなら、それで結構だと、私は考えている。私は、人が社会を知る、学ぶ上でのいくつかの条件のひとつは、”理不尽がまかりとおるのが世の中だ”ということを早いうちに身体に叩き込むことだとおもっている。
*大人の仕事とは、なんぞや
ただ金を儲けるだけが目的なら企業とは呼べない。企業の素晴らしい点はそこで働く人々の人生を背負っていることだ。
当然人々には家族があり、そこには未来が(子供たちのことと考えてもらっていい)かがやいている。それらのものをすべてかかえ、なおかつ企業は社会をゆたかにし、人々に何らかの貢献をしていなくてはならない。
若い人たちは給与で企業を判断するが、己の半生を預け、そこで懸命に働くことが人間形成につながるかということこそが肝心なのだ。
*敗れて学ぶこともある
高校野球の宮城大会の決勝戦は、仙台育英高校対気仙沼向洋高校であった。バケツ雨で試合は二度中断した。それはしかたないとしても、最終スコアーが、なんと28対1である。ここまで点を取って勝つのは、まぎれもなく間違いである。
シード校がこんな試合をして・・・・。いやシードだからこうなる。今のシード校の選手は大半がスカウトされ越境入学してきた選手である。同県の対戦相手に幼馴染はいない。いれば、-もう勝負は決した。あとは対戦相手にもいいゲームにして欲しい。と願うものだ。 それが男のスポーツだ。
*大人はなぜ酒を飲むのか
若い人に無理に酒を飲みなさい、とは言わない。体質もあるだろう。自分が二日酔いで苦しんでいる時など、酒のない国に生まれりゃよかった、とおもうこともあるくらいだ。
上司や、恩師、仲間と過ごすのに酒が話の潤滑油になるのも本当だろう。
しかしそんなことではない。私が酒を覚えていたことで一番助かったのは、どうしようもない辛苦を味わわなくてはならなかった時、酒で救われたことだ。
眠れない夜もどうにか横になれた。どんな生き方をしても人間には必ず苦節が一、二度むこうからやってくる。それがないのは人生ではない。人間は強くて、弱い生きものだ。そんな時、酒は友となる。
*あなたが生きているだけで・・・・・
”五風十雨(ごふうじゅうう)”
これは農作業に適した天候のことを表す言葉で、五日ごとに風が吹き、十日ごとに雨が降ることで、これが普通の天候だという意味だ。
この天候の順調さを喩えに、今、天下は太平に治まっているの意味となり、細かいことに憂いを持たず悠々といきればいいとの教えになっている。
*喧嘩の勝敗は覚悟で決まる
一家の食卓で、いくら子供は食べ盛りでも、家長と子供が同等ではおかしいのではないか。家庭の中で妙な平等を教えるから、世の中に出た時、社会までが平等と誤解してしまう。
懸命に働いて帰ってきた家長の晩酌のビールがいつも発泡酒ではおかしいのではないか。きちんとしたビールを出せ。きちんとしたウィスキーを出せ。
子供の記憶にきちんと植えつけるのだ。「オヤジ(パパでもいいが)いい酒を美味そうに飲んでるな」
-当たり前だ。ワシは働いとるんだ。 つまり物の値段とは正当な労働と同じ価値のものなのだ。
*墓参りの作法
或る時、家族思いで有名な黒岩さん(作家の黒岩重吾氏)に盆、正月の過ごし方を訊いたことがあった。
「馬鹿者、作家に盆も正月もあるか。そんな時、働かんでいつ働くんや」
-なんだ、そういうことか。
「盆は恩師、先輩の墓に行け。それを欠かしたらあかん」
今春、私は和歌山に黒岩さんの七回忌に出かけた。墓参が果たせていなかった。
命日の朝と書いた。これは肝心なことである。
墓参、もしくは故人に手を合わせるのは昼までにすませる。午後になれば時間の吉凶が悪くなる。時刻の柄がよくない。
これは守った方がいい。 夕刻、墓参りに行くのは年寄りや寺の者に見つかると忌を抱かれる。幽霊も出るしね。
*大人が葬儀で見せる顔
葬儀に出席したら大人の男はどんな顔をしておくのか。式の長い短いはあるが、その間中、故人との思い出をずっと思い起こしておけばいい。嘆くもよし、笑うもよし。それが人を送ることだ。
通夜は早く行って、早く引き揚げる。それでなくとも家族は疲れているのだから。残された者を労(いた)わる。
相手はもう死んでしまってるのだから・・・・・。
*愛する人との別れ ~妻・夏目雅子と暮らした日々
夏目雅子との出会い、闘病、死別について綴られている。
これまで伊集院静は夏目雅子について執筆の依頼がたくさんあったが書いてこなかった。 むしろ、冷静に文章を書けなっかったのが本当のところである。
親しい方を亡くされて戸惑っている方は多いでしょう。私の経験では、時間が解決してくれます。だから生き続ける。そうすれば亡くなった人の笑顔を見る時が必ずきます。最後に、数年前に観た映画でのチェチェンの老婆のせりふを紹介します。
「あなたはまだ若いから知らないでしょうが、哀しみにも終りがあるのよ」
投稿者:蘇る青春
投稿日:2011年 9月18日(日)16時18分