周りの友達は当たり前にアルバイトをし、プリクラやカラオケ、マックといった「高校生らしい日常」を謳歌していた。
一方、お小遣いをもらえず、自転車通学だった私は、放課後にどこかへ立ち寄るなど無縁の世界にいた。
母は私が「遊ぶ」ことを嫌った。
制服のスカートが超短い時代、「バカがやること」と常に牽制した。ポケベルもPHSももちろん、「バカの持ち物」。
音楽番組やテレビ(NHK以外の全て)は「バカがみるもの」
あれもこれも全てが規制される。
大半のものが、その本質を知らないのに母に全否定された。
高1の夏。受験ストレスで激やせして陸上部を辞め、ただ家に帰るだけの生活になろうとしていた私に、一筋の光が差した。
お茶の水女子大学出身の、憧れの国語の先生から声をかけられたのだ。
「新しく部活を立ち上げたいから、あんた、手伝って」
私は幼少期から文章を書くのが好きで、懸賞サイトや小説の懸賞に応募しては、何度も賞金や景品を手にしてきた。
先生は、私が出す作文や論文を熱心に添削し、「高校生とは思えない」と全肯定してくれた。
なにをやっても認めてもらえない毎日。自己肯定感なんてまったくない私に先生は輝いて見えた。
母より少し年下のその先生の教養の深さは常に滲み出ていた。
大学で学ぶことの楽しさ、必要性を私はこの人から学んだ。
「文章を書くのが好きならジャーナリズムに興味がない?楽しいわよ!
ペンは剣よりも強し。あんたの武器になる。」
先生の圧倒的な知識量と、私を一個の人間として認めてくれる言葉に救われ、私は文芸部とは異なる新しい部活の立ち上げに没頭していった。
母も「お金がかからない部活だ」という理由だけで、あっさりと入部を快諾した。
部活が終わればまっすぐ家に帰る。部費も陸上部ほどかからない。だから、日々の生活にお小遣いは必要なかった。
けれど、私はどうしてもアルバイトをしたかった。
友達のように遊ぶお金が欲しかったわけじゃない。
この家を出て一人暮らしをするための資金、そして大学進学を諦めず、通信制の大学へ行くための授業料を、あらかじめ自分の手で貯めておきたかったからだ。
(続きます)
