今朝、我が家は盛大な母のガチギレで幕を開けた話を聞いてほしい。
事の発端は、昨日、予備校の先生から娘が言われた一言だった。
「自己採点の結果、なかなか厳しい戦いだね~!」
プロとして、データを元に発したであろうその客観的な事実。
しかし、娘はその言葉を 攻撃と受け取った。
「あの言い方ひどすぎない!?まだ全部の正式な判定が出てないのに」
「めっちゃやる気を削がれた。ショッピングモールで爆買いしたい」
と激昂し、あろうことか勉強そのものを放棄してふてくされたのだ。
目の前には、2次と私大の試験に向けた手付かずの参考書。
口から出るのは「先生の言い方悪い」、「難化した問題が悪い」という呪詛ばかり。
私はその姿を見て、腹の底から怒りが湧いた。
しかも。
最近は当たり前のように朝、起きてこない。
アラームをとめ、二度寝、三度寝。
私が起こしにくるのが当然になっている。
「起きられなかった保険として親に起こしてもらう」という約束が変わっている。
おまえの受験だろうが!
スタートから気持ちで負けてるんじゃない!
受験生はナイーブだ、親はぐっとこらえてサンド
バッグになれ、と世間は言う。
だから耐えてきた。
だが、それは 「自分と向き合って戦っている子」に限る話だ。
娘の態度は、傷ついているのではない。
「共通テストが予想よりダメだった時の言い訳」を、必死にかき集めているだけなのだ。
「先生にひどいことを言われてメンタルが崩れたから落ちた」
「試験が難化したせいだ」
というシナリオを作れば、 自分の実力不足という一番痛い現実を直視しなくて済む。
自分を守るために他人を悪者にする。
これを「他責思考」と呼ぶ。
今日、突きつけられる判定がどんなものであろうが、それは娘が積み重ねてきた結果のすべてだ。
厳しいことを言うようだが、受験に限らず、社会に出ればもっと理不尽なことは山ほどある。
上司の言い方が気に入らないから仕事をしない?
取引先の態度が悪いから契約を取らない?
そんな子供じみた 他責が通用するほど、人生の仕組みは甘くない。
他責思考の人間と関わりあうと、愚痴と批判しかない。自身の内面に向き合わないから。
すべては自己責任 この当たり前のルールを受け入れた人間だけが、試験に限らず、人生の岐路を自分の足で切り抜けていける。
チャッピーは耳障りのよい励ましをいくらでもしてくれる。
だが、一切、責任はとってくれない。
現実をみて戦うのは娘以外いないのだ。
今日、国立大学を目指す娘の東進・駿台ベネッセ・河合塾という三大予備校の「共通テストリサーチ判定」と、大学入試センターから共通テストの平均点(中間集計)が出揃った。
この判定を持って予備校の門をくぐる娘よ。
「厳しい戦い」と言った先生は、意地悪をしているのではない。
「現実を見ろ」「それを基本に綿密な戦略をたてろ」と教えてくれたプロの言葉だ。
その言葉に腹を立てて止まるのか、それとも「じゃあ2次で巻き返しをどうするか」と歯を食いしばるのか。
燃え尽きて過去の敗因を考えている暇はない。
ましてやそれを他人に転嫁して【とりあえず】の安心や言い訳など全く、意味がない。
言い訳やプロセスなんて不要。
結果がすべて。それが受験だ。
親であっても他人を変えることはできない。
ただ一つ言えるのは、「人のせいにしている人間に、桜が咲く春は来ない」ということだけだ。
現実を直視し、2次の対策の勝算をあげる計画に切り替える。
共通テスト以上に全力投球するだけだ。

