昨日の一件。
私は終日、割りきれない気持ちですごしていた。
寝られないほど落ち込んだ。
長年、毒親に対して思うところは山積しているが、
人は変えられない。
と割りきって、今まで両親に接してきた。
私は幼少期から親になにを言っても伝わらないという諦めがあった。
なにかを求めたり、私の気持ちを理解してほしいと願うことをやめたのだ。
だが、今回の件は、いつものようにそう処理できなかった。
いつも自分を圧し殺して来たが、今回は爆発したのだ。
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あの電話騒動の終わりは、母からの「落ち着きました」メールたった一行。
父からはあのあと、連絡は一切なしだ。
脳梗塞かも!と言われて娘がどんな気持ちでその後の連絡を待っているかなんて考えに及ばないのだ。
母は疲れからの体調不良だったようで、父のパニックになった電話からしばらくして少し良くなったらしい。
父は、「どうしよう、どうしよう」となりながらも母が落ち着いたから安堵したのだろう。
父は、自分の心労の疲れがなによりも最優先で、再度母が、体調を崩すかもなんて考えもせず、寝たのだと思う。
何事もなかったかのように
母から詫びの気持ちもない、一通のメールで処理されたことが、私の怒りを最も刺激した。
私が費やした時間、抱いた不安、そして電話を切られた屈辱の全てが、親にとっては「メール1本で清算済み」なのだ。
母を窓口にして連絡して来ることが許せなかったのもある。。
父は、自分が起因したことなのに、母がフォローをすれば済むと思っている。
昭和の亭主関白の、最も無責任で卑怯なやり方だ。
救急搬送されても、原因が良くわからずそのまま帰されることが多い。
だから父は、
「今回の体調不良も救急車を呼ぶほどなのか」
「救急隊員にこの状況を自分がきちんと説明できるだろうか」
「救急隊を呼ばない決断をして、自宅でさらに悪化したら……」
という、様々な葛藤で動けなくなったのだろう。
でも、その 葛藤は私とて同じなのだ。
父は私を頼り、その葛藤からイチ抜けしたいのだ。
私が「決めて、指示を出す」ことで、父は「娘の言いつけ通りにした」という形に収まれるから。
だが、娘を頼るのは、私に責任転嫁したいわけではないのだと思う。
父は、自分が下した決断が、後に最悪の結果を招くことを避けたい。これだけだ。
だから、例え、最悪の結果になったとしても、
「娘が決めてくれた=不可抗力だった」
ところに落ち着きたいのだ。
昭和の価値観で生きてきた父にとって、加齢により、「自分で決められない」現状はもはや、自己の崩壊。
それは頑固親父の現役時代にはなかったはずの悩みで、それを私に、受容することを望む。
「お父さんはもう年だからしょうがないんだ」の一言で。
娘だから理解して当然だと。
父の「決断できない」丸投げに、いつも振り回される私は、いつもその責任を押し付けられるような気持ちに苛まれる。
いつでも私が対応できるわけではない。
本来、当たり前であるはずのこの前提。
しかし、この前提が許されないのだ。全力で親にのしかかられる苦痛。
もし、父の電話をスルーし、「万が一の事態」が起きたら、私はどうなるか。
その時、私が抱く後悔は、「親を見殺しにした」という不当な罪悪感になるだろう。
この後悔は、親の判断と、そのときの状況が招いた結果であり、 本来、私の責任ではない。
だが、私の心は「回避できたはずだ」と私を責め立て、私は不当な後悔に支配される。
毒親育ちの典型だ。。。
無意識に重圧を引き受け、罪悪感に支配される。
親からの肯定がなかったから、自分自身の価値を認められないのだ、私はきっと。
親のあまりにも強烈な依存と、支配から逃れなければ!
と常に気を張っている。
自分自身が自分に肯定を与えるという作業を都度、していかなければならない、、、。
40才も過ぎて、親の圧力に苛立ち、心をかき回される、自分がつらい。



