生きても死んでも手間暇かかる | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。

今回、95才の祖母が他界してから

ずっと考えていたことがある。


人が亡くなると言うことは

様々な人の手を借り、時間を借り、

最期を迎えると言うこと。


エンディングノートや遺言は

あくまでも自分がどう死にたいかであって、


そのためには

周囲の人間が必ず動くという事実は

避けられないと言うこと。

案外、ここは見過ごされていると

感じた。



関わった人間同士の軋轢が生まれたり、

負担を背負うものがあらわれたり


誰かの努力や負担の上に

人の死は終焉を迎えると言うこと。


調べる限り

古来の日本の風習として


通夜、告別式、火葬を経て

49日法用、

その後は

十三回忌(丸12年後)、十七回忌(丸16年後)、二十三回忌(丸22年後)、二十七回忌(丸26年後)、三十三回忌(丸32年後)と続き、三十三回忌を年忌止め(弔い上げ)と言って、これで年忌法要(年忌供養)を打ち切ることが多い


と記されている。


人が1人亡くなって

32年間も遺族を拘束するのだ。


喪主となった者は

法律の縛りを受け、様々な期限の付いたものをこなしていき、


法事では挨拶やマナーを当然のものとして求められる。


やって当然とばかりに。


死はいつ訪れるかわからないから、

こちらの都合は関係なしに、


やらなければならないことが

山積する。


ピンピンコロリで死にたいやとか、

延命処置をしてほしい、欲しくないとか


死んだら樹木葬にしてくれとか 

海に散骨してだとか


墓を管理継承して欲しいだとか


その時は自分は死んで何も出来ないのに

希望ばかりを周りに託す。


逆もまた然り。


遺言なんて書いたら縁起が悪いとか、

預貯金がどこにあるとか 

年金や証書がどこにあるのかとか

一切知らせず亡くなるものもいる。



安楽死は認められていない。

尊厳死も認められていない。

だが、尊厳死は公正証書に残せば

95%が黙認されるグレーな世界。


それも口頭やエンディングノートは認められず。

遺言も死んでから効果が発生するため

書かれていても尊厳死は無効となる。


ホントにささいな間違いが

法律を通さない世界。


今回、祖母は

遺言書もなく、明確な預貯金も誰も把握しておらず、


結果的に

伯父夫婦から、年金では賄えない部分は折半だと、

老人ホーム代を5年にわたり支払わされていた私の実家。

老人ホーム代と、年金受給額、介護保険料を全て私が調べ上げた結果、

全額、騙し取られていた事実が発覚したり。


祖母から葬儀代と預かっていた通帳を伯父夫婦から返せと言われ、使い果たされていた事実。


祖母の貯金にも手を付けていて。


後期高齢者医療の高額医療費上限額も誤魔化そうとしてきたのでついに

堪忍袋の緒が切れ、弁護士を起用しようかとも考えたが、


示談に持ち込める保証は無く、

無駄に弁護士費用を負担するくらいならと

合意書締結までこぎつけたが。


遺言書すら準備をしない人間が

掛ける迷惑は尋常ではなくて。


生きてはいるが認知症で答えてくれるわけもなく。


目の前にいる人間が、

意思を示せないことで振り回された現実。


死亡診断書を役所に提出する。

と、当たり前のように書かれた文書を見る度に、


死んだ人間がどうやって提出するんだと、

他力本願な法律を 

鼻で笑いながらも


人間、生まれてくるときも

死ぬときも1人とかいうのは嘘だと

痛感した。


生まれてくるときは母親が命がけで産むし、

死んだあとは子や孫や親戚が

駆けずり回る。


それすらいない孤独死は

行政を発動させる。


動物のように

事切れて、土に帰るということがない

日本の制度は


生きていても

死んでからも


人が動く仕組みで有り、

いかに迷惑を最小限に留め、

恨まれずに死ぬか。

それは日頃の行いと

知識量と

綿密な準備を以てしてでも


誰かしらの手を借りることを

念頭におかなければならない