はまだかよこの人生の物語 幼稚園~小学校低学年③ひきとられた家のこと | 日々是好日

日々是好日

幸せは『在る』

前回から数日あいたのもあって

ふと半生記を書いて

どうなるんだろう?

 

と考えることもありますが

私が私のために書く。

と決めたので続きを書きます。

 

はまだかよこの人生の物語 誕生① 

はまだかよこの人生の物語 幼少期~幼稚園入学②ふたつの名字 

 

 

 

記憶に蓋をしているのか

単に小さい頃のことだからか

いろいろと思い出せない。

 

前回の続きと前後することもあるけれど

記憶をたどりながら書いてみる。

 

 

 

 

 

幼稚園の頃から

ピアノを習っていた。

 

姉が習っていたから

私も習わさられた・・・というのが正しいかも。

ピアノの発表会。

この時、観客席には父と一緒に

実母がいたような気がする。

 

 

この格好では

幼稚園の先生の結婚式にも父と行った。

 

 

私が花嫁さんみたいなお洋服。

 

こんな豪華な服を用意するのは

実母とまだ暮らしていたか

実母が買って父に渡したか

そんな気がする。

 

 

 

 

 

たぶん幼稚園後半の運動会。

やっぱり写真が不自然にない。

写っているのは私か父ばかり。

 

 

 

 

 

幼稚園の卒園式や

小学校入学式は写真も探せず

記憶もない。

 

 

 

はっきりしているのは

小学校からは実母との関わりは薄れ

父のもともとの家庭にひきとられたってこと。

 

 

 

 

 

ひきとられた先の家のことを書いておく。

 

その前に

自分でも混乱するから

登場人物の書き方を統一しとこう。

 

今後はこれで統一します。

 

実母・・・実の母

父・・・昭和6年生まれ 実の父、九州男児、戦時中、戦後を生きぬいてる人

お母さん・・・大正8年生まれ 育てのお母さん、京都から熊本に嫁いできた

姉・・・17歳年上、育てのお母さんの実子

おばあちゃん・・・父の母、明治生まれ、おばあちゃんも京都の人

 

 

父はお母さんと

割烹を営んでいて板場さんだった。

 

魚の仕入れにも行ってて

そこで実家が魚屋さんの実母と出会ったんだろう

と勝手に思ってたけれど

これは後々、違う事を知る。

 

 

自宅兼お店で

小さい頃に引っ越したから

それが当たり前の環境で育ったけど

 

初めて来た人がびっくりするほど

大きな家で座敷もいくつもあり

トータル120名位は対応ができるお店(家)だった。

 

お風呂に行くとき

細い長い廊下を通り

途中の窓からは中庭の井戸が見えて

小さい頃はとても怖くて走りぬけてたもん。

 

 

 

父が割烹をする前

一応、私のおじいちゃんの代は

(父のお父さん。亡くなってて知らないけど)

誰もが知っている

伝記にでてくるような人も

泊まる旅館だったらしい。

 

 

その名残で家が広かったのを利用して

割烹をしたみたい。

 

宴会時期で忙しいときは

わたしも皿洗いとか手伝って

おだちんもらってた。

 

 

仕出しもしてて

この車にいっぱい積んで配達してた。

 

 

 

 

お仏壇もよく驚かれてた。

とっても立派で大きなお仏壇だった。

宗教熱心な父とお母さんで

毎年、お坊さんがきて先祖供養したり

毎月、お寺にお参りに行ったり

 

いくつもあるお墓のお参りにも

節目ごとに連れて行かれてて

 

手を合わせることが自然となった。

 

 

 

 

お正月も

家の要所要所に鏡餅を飾り

日本の伝統行事を大切にする

古風な家だったと思う。

 

 

なにせ

父とお母さんの年齢・・・、

とくにお母さんは

おばあちゃん位の年齢だったからね。

 

 

もうちょっと

新しいお家の事を

小さい頃の私目線で思い出してみよう。

 

よくある典型的なかんじで

お母さんはおばあちゃん(姑さん)に

厳しくされて、いじめられていた。

 

父も昭和のもっこす九州男児で

お母さんが出歩くのを嫌がり

ものすごく怒っていた。

 

 

いろいろある家庭で

父は次男だけど跡を継いだこと

戦時中、戦後でいきたくても進学をあきらめたこと

でも、兄貴は進学したこと

兄貴ばっかり可愛がって差別されていると

何かにつけ、おばあちゃん(自分のお母さん)に

当たり散らしてた。

 

お母さんはとにかくよく働く人。

 

 

 

当時の私には

お母さんは可哀想な人にみえてた。

 

お父さんはいい時はいいんだけど

怒りだすと手が付けられず

お母さん、おばあちゃん、私に

手や足も出てとにかく怖かった。

 

 

 

このあたりから

大好きなお父さんが喜ぶ良い子

怖いお父さんに怒られない良い子

お父さんを怒らせないように・・・

 

そんな子どもでいることを

無意識にがんばってたのかも。

 

この頃に人目を気にする私が

形成されたのかもしれない。

 

 

 

今思うと

お父さんは俺はお母さんに愛されてない

兄貴ばっかりっていう思いを握りしめていて

本人も気付かないまま

ギャーギャー言ってたようにみえる。

 

 

しんどくてグルグルしてた頃の

「愛されてない」「私は可哀想な人」

そんな思いが私とそっくりで痛い(>_<)

 

 

 

昔は過去の写真も見れなかったし

自分で自分のことを可哀想って思ってたからね。

 

 

「可哀想な人」でいることで

かまってもらえる

同情してもらえる

って勘違いしてた。

これもメッチャ痛い(>_<)

 

 

今は心屋を知って自分に向き合ってるし

こんな境遇すらも自分で選んで決めてきた。

なんて変態さんなんだろうって

思えて楽になってる。

 

わりと俯瞰してるから

過去をこうやって振り返っても

そんなにしんどくもない。

 

「可哀想な人」かどうかは

自分で決めれるって気付いて

私は「可哀想な人」をやめるって決めたし!

 

 

 

 

ちなみに

家も立派で大きくて

私の格好をみると

これってお嬢様?

と思わなくもないが

本人、一切自覚なしです(笑)

 

 

 

最後に!

このお家で出会った

珍しいこちらをご紹介!

もともとボケてる写真を

写メしたから、さらにボケてるけど

 

モンタロ君♡

 

カニクイザルとかで

今は輸入禁止とかじゃないかな?

わからんけど。

 

モンタロ話は私が覚えているというより

お母さんが話してたから

それを覚えているかんじ。

 

それにしても

猿を飼っているお家って珍しいよね(笑)

 

 

 

まとまらないけど

こんなかんじで割とぶっ飛んでる

お家でずっと暮らすことになりました。

 

 

次は人に焦点をあてて

書いていこうかなぁ・・・。

 

 

続く

 

 

はまだかよこの人生の物語 誕生① 

はまだかよこの人生の物語 幼少期~幼稚園入学②ふたつの名字 

 

 

 

 

 

子どもや夫にイライラしている。

自分のことは後回しにして頑張っているママへ。

【8/23(木)・熊本】いっぱい話してママの心スッキリ!お茶会のご案内

残席1

 

喜怒哀楽すべてOK!笑い飛ばしてスッキリしましょう♪

初開催特典あり!

 

 

 

何でも抱え込んでイライラして苦しくなってしまっている 
まじめで頑張り屋さんのママへ
*はまだかよこの個別カウンセリングメニュー  


只今モニター募集中! ※*90分コース ¥30,000 → ¥3,000  

詳細・お申込はこちらからどうぞ

 

ママじゃなくても、どなたでも受けていただけます^^

 

 

 

 

 

 

夫婦でやってるお店です

 

 

Slapstick-Photo

スラップスティックフォト

 

 

 

マタニティ、お宮参り、七五三、成人式など

絶賛、ご予約受付中!県外出張も承ります。

 

撮影したデータは大切な想い出と考えているので

全データ差し上げてます

 

 

 

舞台は吉祥の地に立つ、国宝の社殿 

 ~ 九州に二つしかない国宝の神社のひとつ~ 

 

熊本県人吉市 国宝・青井阿蘇神社での結婚式

 

 

╋╋・‥…   国宝プラン詳細   …‥・╋╋
http://www.slapstick-photo.com/plan/kokuhou/

他にも国登録有形文化財での撮影プランもございます。

 

 

インスタ

https://www.instagram.com/slapstick_photo.wedding/

 

ホームページ

http://www.slapstick-photo.com/

 

今までのブログ記事

http://slapstick.otemo-yan.net/
http://slapstick.otemo-yan.net/c4031130.html

 

 カメラマン夫ハマちゃんのブログ
https://ameblo.jp/bueryh

 

気軽にお問合せください

【問合せフォーム】