俺の頭の中は歌い手になりたい。

盛り上げたい。

楽しみたいし楽しませてみたい。でいっぱいだった。


でも、どこでどーやったらいい?

どーやって曲を作る?




大学に行きだした18歳くらいから2年くらいはパチンコ屋でアルバイトをしていた。

バイト先の先輩にREGGAE好きの人が1人いた。

その先輩は自分で趣味でMIXを作ったりしていて、ちょこちょこもらって聞いていた。

先輩も俺がREGGAEを聞き出した事を知って、色々教えてくれるようになっていた。

新台入替のため、一緒に残業していたある日、その先輩が

「Reggae好きならSIZZLAって知ってるか?」


「、、、いや全然しらないっす」


「とりあえず超ヤベーから聴いてみ!!」


その頃はやっと、SEAN PAULBEENIE MANの名前を知ったくらいで、何もわからなかった。


それからSIZZLAの曲をあさると、まさにその頃キマくっていただけにすぐに魅了された。


RASTAだけどBADで,とんでもなく力強い声出すと思ったらファルセットが凄くSEXYで。

言ってることがまだ全然わからないその時でも何かが伝わった。

こんなギャングスタみたいなやつが、ママにも歌っている。。

THANK YOU MAMAを聴いて完全にヤられた。


そこで初めてJAMAICAのアーティストにハマって、少しずつ掘って行くようになり、

SUPER CATやNINJA MAN、BOUNTY KILLA、CAPLETONと聴くようになっていく。




Reggaeをかじり出した(聴き出しただけ)そんなある日

湘南ストリートのBBQに行かせてもらった。

当時から動き出していた「JUMP AROUND」繋がりの仲間を中心にHAN-KUNももちろん、湘南の音楽関係者もチラホラと来ていた。


BBQ中はRADIOがかかってて、ふとRADIO DJ


「稲村ガ崎でBBQやってる仲間達へ一曲~

湘南乃風でREAL RIDERS~」


ズッチャンチャカチャカ チャカ~



鳥肌だった。


当時からRADIO湘南で番組をやっていて、藤沢のCLUB F.A.Pでも働いてるHARADA MANがかけてくれたのだ。

その後ラジオが終わったHARADA MANも合流した。

この状況にくらった。


仲間達がBBQしてる時に仲間がラジオから仲間の曲をかける。

最高にかっこいいと思った。



そこで談笑しながらHARADA MANとHAN-KUNが湘南のレゲエについて語っていた。

「なかなか若いSOUND MAN、特に歌い手が全然出てこないなぁ」

「この先出て来ますかねー。。」

「もっともっと増えてほしいよな~。」



その時、何故か横に俺もいた。


今日の出来事も含め積み重なった興味が爆発していた俺は、その時には迷いは消えていた。



「俺がやります!!」



まだマイクを触ったこともないのに、急に話に割り込んでって宣言した。


若いとはいえ、酒の勢いも借りてるとはいえ、HAN-KUNとHARADA MAN。関係者達にイキッて言った。


心ではやろうと決めても中々マイクに向かって一歩踏み出す事が出来ずにいたが、これで逃げられなくなった。

ここでこの人たちに宣言しちゃえばやらない訳にはいかないし次のきっかけを作れる。とも思った。



俺は基本的には無言実行したい。だけど、

夢や野望、やりたい事などは時と場合によって口に出した方がいいなとも思う。

口だけにはならないように行動がより大事になるが。




だからまず、日にちを決めた。

次のイベントのこの日に絶対に歌う!! と。



その頃同級生で既に歌い出していた松坊栗やSoundをやっていたハットン(元MASTER SHOT)らがやっていた春夏秋冬というダンスでやっていたRub a dub(と言えるものでもなかったw)で。

場所は横浜のサーカス。



行きの車でなんとか考え絞り出した1バース1サビだけを武器に臨んだ。
が、結果は言うまでもなく散々。

酷いにもほどがあった。

そんな付け焼き刃ではリリックも飛んでサビにもなってないサビを少し歌うだけ。

そしてマイクを奪われもせず、渡す。。。

くらいしか出来なかった。

恥をかく事すら大してできなかった。


だけどついに、ついに歌い手として踏み出せた、自分にとって大きな一歩だった。





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