もう1年以上経つのか。
早いな~
次行った時もまだ会えそうな気がしてるな~。
そんなんじゃダメだよな。
俺の中で気持ちにケリつけたはずだけど、やっぱり約束果たすまではスッキリしないだろうな。
そりゃそーだ。
無駄にはしないよ。
どっかで話した気もするけど
この機会にまた残しておくよ。
初めて俺がジャマイカへ行ったのが2004年かな
そこから4年行けなくて
08年~11年は毎年1ヶ月ずつくらい行って
去年は長期
JAでは主にRIDDIM作ったり、MIXしたり、曲作りに息抜き、ダンス行ったり海行ったり、GOGO行ったり。。。
全部仕事と言い聞かせつつとにかく遊び回ってる。
その中で何人かJAの友達も出来たけど、クーリーと出会ったのは08年か09年だったかな。
元々は俺の友達、日本人DeejayのASSAMARLの長いJA友達。
JA滞在がASSAMARLとかぶってた時にLINKした。
JAにはインド系、中国系も多い。
クーリーはインディアン系のJA人だった。
KINGSTONに住んでて
元々はパピーン出身。
特に仕事してる感じではないが
パピーンに住む、おばあちゃんが持つ物件の家賃回収の手伝いみたいな事やってたな。
何度かLINKするうちに仲良くなった。
俺がキングストン行く時はよく泊めてもらってた。
腹が破裂するほど飯作ってくれて食わせてくれたり
チャリス回したり、一緒にダンス行ったり、スタジオ周りに付き合ってくれたり、
女の子と遊んだり
なぜかFantan Mojahを紹介されたり。
手料理ガッツりごちそうになったな~。
あいつがよく言ってた
『お前はBadなアーティストだ!! 俺はBadmanだ!アーティストじゃない。Badmanだ。それを忘れるな』と。
そしてあいつはいつも俺のケツを叩くように煽ってもくれてた。
お前ならBussれる。やれるって。
だけど実はそいつの評判はあまり良くなかった。
実際Badmanだし面倒くさい部分もある。
コークヘッドだって話しもあったし、まぁ~とにかくうるさい。
でも、俺の前だけでは最低限の部分を保ってただけかもしれない
そんな様子は全く見せなかったし、アーティストとして、ジャマイカとして、Roots& Culture踏まえた上で色々と教えてくれた。
JAはアーティストって認めるとやたらRESPECTする。
それだけ音楽が生活に身近で、みんな好きなんだなってことも感じられる。
ある日、また制作等でキングストンに2~3日行かなきゃならなかった。
その頃俺が住んでたトレジャービーチからだと、キングストンまで車で片道3時間。
しょっちゅう行ってたのもあって、毎回ホテル泊まるのもバカバカしくて
その時もクーリーの家へ泊めてもらった。
スタジオ作業も無事に終わり泊めてもらった次の日、ゆっくりぶらぶらしながらクーリーのおばあちゃん家があるパピーンへ行った。
近くには学校もあり
おばあちゃん家には7~8人の学生が下宿している。
クーリーはうるさい兄貴的存在だった。
そこでゆっくりしながら、ゲームしたりして遊んだ。
とにかく若い子はゲームに夢中だ。
そのあと、そのみんなにもということでクーリーと一緒に飯を作った。
クーリーはサバの缶詰使った料理や、ヤムイモとかバナナなどをボイルしたものを。
簡単で安く腹にたまるJAMAICAでの主食でもあるダンプリンを俺は作った。
小麦粉とベーキングパウダーと塩少しに水を加えてこねたものを揚げるだけ
ボイルしたのが普通のダンプリン。
そっちの方がポピュラーだけど俺は揚げたヤツの方が好きだ。
出来上がったのを食べてる時、おばあちゃんがダンプリンおいしいって言ってくれた!
ベーキングパウダーとの比率がよかったのかな?
サクサク感が程よくうまかった!
食後も少しマッタリしてからクーリーの家へ帰った。
その夜はクーリーの女と、その妹と4人で飲みながらビリヤードしに行った。
明けて、昼にはまた3時間かけてトレジャービーチまで自分で運転
途中お気に入りのバーベキュー味のジャークを食ったりしながら帰ってたら、家に着いたのはもう夜で疲れてすぐ寝てしまった。
次の日はトレジャービーチ特有のマッタリスタイルでゆっっくりした。
その次の日の夕方だった。
変な番号から電話が来た。
ASSAMARLだった。
『最近クーリーに会った?』
俺
『つい、おとといくらいに会ったよ~』
ASSA
『今、おばあちゃんから連絡あって、クーリーが殺されたって。。。』
俺
『いやいや、ウソでしょ。遊んでたばっかだよ。』
ASSA
『俺も信じれないんだけど、昨日の夜だって。ギャングに襲われて撃たれたって。。』
俺
『。。。』
クーリーの女に連絡して確認した。
本当だった。
その時は理由はわからなかったけど
一緒に遊んだパピーンのおばあちゃんの家の方で襲われて撃たれた。
6発も撃たれて死んだらしい。
今はそこら辺もまだ危険だから来るなって。
全然意味わからなかった。
どーしていいかわからなかった。
1週間後くらいかな?
またキングストンに行った時、パピーンにも寄ってクーリーと一緒にリンクした奴らのとこへ話しを聞きに行った。
会うなり『Yo Samurai...』なんて寂しい顔で声かけてくれた。
みんな淡々と話してくれた。
コイツら慣れてんなって思った。
日本人の俺からしたらなかなかあり得ない事で衝撃過ぎた。
でもみんなはここじゃよくあり得る事。
しょうがないって言うような感じだった。
ジャマイカ人は全体的にVibesが高い。
生きている。目が生きてる。
それはきっと日本とかよりも死が近いからなのかなって思った。
いつ死ぬか本当にわからない
だから毎日本気で生き抜いてるんだなって。
実際、日がズレていたら俺も危なかったわけで。
生きてる間も、死んでからも色々教えられた。
まさかJAMAICAでナインナイト(葬式的なもので、スピーカー出してイベントのような事をする)に行くとはあんまり思ってなかったけど参加した。
いい曲もいっぱいかかって、寂し過ぎた。
でもみんなは踊ってる。
おばあちゃんは悲しそうだった。
軽く挨拶しただけで何にも喋れなかった。
そのナインナイトさえもポリスが止めに来てあっさりと終わった。
なんか凄く虚しくなった。
そんな気持ちをトレジャービーチに戻ってから書いた
英語で1曲作った。
でもやっぱり言葉に気持ちが入りきらない感じがした。
それで日本語で、いや自分の言葉で書き直して出来たのが
『Dear Friend』
なんだ
聴いてみてよ。
本日より
NEWアルバム
『Do Rock』
各サイトより配信開始してます!!
是非聴いてみてください。
アフターも!
待ってるよん。