『その壁は自分』 | あとりえ憧憬

あとりえ憧憬

北のまちから発信します。
出逢いは偶然。偶然は必然。
「いきます! 花田聖子です」

カロスラジオロータリー「イキマス!花田聖子です」2011.2.23
本日の選曲 岡本太郎生誕100年
  
ピカソは言った。「一枚の傑作を描くことよりも、その画家が何者であるかということが重要である」と。

A ファイト  三代目魚武濱田成夫
  
B 風男  根津甚八
 
C 高松  三上寛
 
D The track for the Japanese Typical foods called カラアゲ&ソバ~キラーストリート
サザンオールスターズ

E FRIENDS
F Long hair lady   サザンオールスターズ

ラスト Computer Children
岡本太郎「今日の芸術」から
子どもの絵と、すぐれた芸術家の作品との根本的ちがいについて
子どもの絵は、たしかにのびのびしているし、いきいきした自由感がある。それは大きな魅力だし、無邪気さにすごみさえ感じることがある。しかし、その魅力は、われわれの全生活、全存在をゆさぶり動かさない。なぜだろうか。
子どもの自由は、戦いをへて、苦しみ、傷つき、その結果、獲得した自由ではないからです。
当然無自覚であり・・・だから、力はない。ほほえましく、楽しくても、無内容です。
すぐれた芸術家の作品の中にある爆発する自由感は、芸術家が心身の全エネルギーをもって社会と対決し、戦いによって獲得する。ますます強固におしはだかり、はばんでくる障害をのりこえて、うちひらく自由感です。抵抗が強ければ強いほど、はげしくいどみ、耐え、そのような人間的内容が、おそろしいまでのセンセーション(感動)となって内臓されているのです。
すぐれた芸術にふれるとき、魂を根底からひっくりかえすような、強烈な、あの根源的驚異。
その瞬間から世界が一変してしまうような圧倒的な力はそこからきているのです。
  
いつもバッグに「壁を破る言葉」を入れている。
パッと開いた頁をその日の自分への戒めの言葉にしている。