にはめっぽう弱い。

その日は早番の仕事が終わったあと、シャワーを浴びて、ベッドでしっかり眠って出かけた。

23時30分。きょろきょろ周りを見ていないと一人で歩くのは不安なくらい、

昼間とは空気がちがう。視界に必ず外国人が入ってくるし、全然知らない場所みたい。

キャッチを振り切りながらさらさらと歩いていく友人を見失わないように、早歩きで追いかける。



「ここ、木曜日は女の子にシャンパンがサービスなの」

落ち着かないのは壁が一面大きな鏡になっているからかもしれない。

全体的にあまり色がない、水槽の中のようなきらきらしてクリアな店のなかで、

無数の男女が踊ったり、耳に口を近づけてなにか話したりしている。

端のほうのカウンターでふたり、小さく乾杯した。

彼女は小刻みに身体でリズムをとっているのに、私はやっぱり落ち着かない。



「これから一緒にどっか行かない?」

仕事の愚痴で盛り上がってきたころ、スーツ姿の男の人が2人声をかけてきた。

たちまち私は不安になり、どうするの?と咄嗟に友人に目で訴える。

「いいよ。」私とは視線がぶつからないまま、彼女は言った。

「これからいつものとこに行くところだから。」







私はさっきと打って変わって黒で統一された狭いスペースを見回す。

彼女は慣れた様子で上着を脱ぎ、店長とハグしたあと、

キャミソール1枚でさっきの男の1人と踊っている。

熱気でむっとする。大音量のヒップホップがおなかにどん、どんと響く。

私は知らない男の人と踊るために来たわけじゃないのだ。

自分の代わりに大声を出してくれる音楽のなかで、自分は無になって、

1人考えごとでもしながら周りを眺めてお酒が飲みたいだけなのだ。



1時間もいただろうか。さっきの2人組はいなくなっていた。

「俺は結婚して子どもいるし、こいつも一緒に住んでる彼女いるから。誰にも言っちゃだめだよ!」

変な捨て台詞を吐いて。私はおごってもらったジンバックを片手にひらひらと片手を振った。

最初はさりげなく周りの男から守ってくれていた友人も、さっきから黒人に口説かれている。




いつの間にか目の前にべつの男のひとが立っていた。キャップに太いパンツを腰ではいている。

軽そうなひと。声がかすれているのはもともとなのか、お酒のせいなのか。「なんでここなの?」

2回聞きなおしてやっとわかった。「友達がよく来てるって。」大声で返す。

太陽のタトゥをした肩を出したり、金髪にピンヒールで踊っている人たちのなかで、

長い黒髪にタイトなパーカー、ブーツ姿で1人飲んでいる私は浮いていたのかもしれない。



なじみの客らしく、数人と挨拶を交わしながらも、彼は私のそばから離れなかった。

軽そうなひと。やっぱりそう思うのに、安心感に包まれたのはどうしてだろう。

踊るでもなく、肩をくっつけたり、向かい合ったり、短い言葉を交わして、お酒を飲んだ。

「みんな下品だよ。あなただけが上品だ。」

床に引きずったパンツとごついスニーカーを見つめながら、彼は何度もそう言った。





朝がきたとき、彼はすっかり飲みすぎて、水を片手にカウンターにもたれていた。

その水を一口もらって、私は友人と店を出た。

お互い連絡先も聞かず、別れの言葉もなかった。何もなかったかのようだった。

私はそれをとても好もしく思った。



不思議な一夜。

ヒロと名乗ったそのひとの、なぜか顔は全く覚えていない。かすれた声と、煙草の香りだけ。